平成17年に録画された、田尻悟郎氏(関西大学教授)とのTTから
アイキャッチの写真、そして上の写真は、平成17年に砺波市立出町中学校3年1組の教室で、関西大学教授の田尻悟郎先生と即興でTeam Techingをしたときのものです。SVOC(make) を指導すること、そして星野富弘氏の作品(英語版)を扱うことだけ決めておき、あとはアドリブで授業をやりました。
なぜなら、田尻氏とは30年来の旧友(同志)であり、お互いに考えていることがすぐにわかり、本来のTTの要素である「餅つきのつき手と返し手」の関係になれたからです。さらに、「よい餅」(生徒)にするには「手水」(足場かけ、教師が教え込まずに、学習者に気づかせること)のタイミングが非常に重要になります。田尻先生は、それを思いつきではなく、天性の「ひらめき」で見事に展開していかれました。無茶振り(Sorry, I was mean.)もあったのですが、「おっ、そう来たか!」という対応をしていただき、非常に心地よいひと時でした。
ちなみに、このクラスの生徒たちは、NHK Eテレの「わくわく授業 私の教え方」に登場した生徒たちです。当時、授業を試聴された方から、次のようなコメントをいただきました。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/NHK「わくわく授業」を視聴した感想.pdf
6月15日(土)に行われる、アルクの「田尻・中嶋 オンライン対談」では、この20年近く前に録画された授業を振り返りながら、「授業づくり」について話し合う予定です。その後、全国に配信される予定です。
当たり前ですが、「記録」が残っていなければ編集はできません。つまり、「しまった、録画しておけばよかった」「生徒のノートをコピーしておけばよかった」では後の祭りだということです。かといって、全てを記録に残すことは到底できません。だとしたら、大切なことは、何を仕掛けたときに、何が知りたいから「記録」(生徒の作品やノートも含む)を残しておくのかという「ビジョン」(グランド・デザイン)になります。
次にご紹介するのは、私が若かった時(1996年)、ある研究サークルに所属し、研修を積んでいた頃の記録です。同じ頃、向山洋一さんの研究グループで研修をされていた田尻さんと出会いました。そこからお互いに、影響を与え合って(化学反応を起こすかのように)、実践がどんどん加速していきました。誰とどこで出会うかというのは、教師にとって非常に大きなことです。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/「魅せます!私の授業」.pdf
管理職(教頭)として「学校だより」で心がけたこと
自分の考え、自分たちの取り組みについて、「理解してほしい」というスタンスでいると、説明口調になってしまうことがあります。「学校では・・・」とか「あなたのお子さんは・・」という言い方が増えていきます。相手が心を閉ざしてしまうのは、途中で「でも・・・」とか「しかし・・・」という言葉です。それは「説得」であって、相手の心には届き(刺さり)ません。
大事なのは、相手が「納得」するような言い方を心がけることです。そのためには、相手が「共感」できること、さらには具体的に相手もイメージできることを取り上げ、それをどう順序よくつなげていくかです。大事なことは「相手の気づき」を優先することです。
校長先生のお考えもあり、私は、PTAの役員の方たちと向き合うのではなく、「同じ方向」(生徒がわくわくする学校づくり)に向けて何ができるかを考えるようにしました。そのおかげで、PTA(保護者の方々)から、「付き合い」(自分のこと以外の時間が必要になります)を億劫がるのではなく、それを「楽しい」と思えるようになることが大事だということを教えていただきました。「こうなったらいいな」を共に語り合い、「今まではこうだったから」とか「こうあるべき」という閉塞的な考えをやめ、少しでも自由度を高めて「創造的」にしたことで、関わる方たちが笑顔になれたように思います。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/出中だより(種と庭).pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/出中だより(スイッチ・オン).pdf
過去を振り返り、意味付けることで、自分の「軸足」が確認できる
5月に、開隆堂のSunshine Letter とアルクの教師応援マガジンに原稿が掲載されました。このように、何かまとまったことを言語化することで、自分の立ち位置を理解すること、何をやったかではなく、何を目指していたのかを自分なりに「意味付ける」こと、さらに自分の理念や「軸足」をも確かめることができます。
前者は、自分の現役(小、中教諭、指導主事、管理職)時代、大学、そして教科書著者としての思い出(今回、25年関わった教科書の編集から降りました)やエピソードなどをご紹介しています。
https://www.kairyudo.co.jp/contents/04_shiryo/kikanshi/sunshine-letter/vol8/relay_column.htm
後者は、アルクの「英語の先生応援マガジン」です。今まで、ブックレットの時に寄稿したことはあったのですが、今回は、WEB版ということで、様々なデータを埋め込むことができ、時代が大きく変わったことを痛感しました。内容は、2つに分かれます。
1つ目が「理論編:脳が”アクティブ”になる授業が自律的学習者を育てる」で、2つ目が「実践編・「即興のやり取り」や「論理・表現」の活動が得意になる」という画期的な「思考ツール」を紹介しています。購読は無料ですが「登録」が必要になります。ご自分のメールアドレスとパスワードを決めてアクセスなさってください。なお、実際の映像(中学生が即興でやり取りをする、SDGsのテーマを自分ごとにしてチームでスライドを自分たちで用意し、メモも見ずに堂々とプレゼンテーションをし、質問に答えている)については、リンク・インタラックの HP Teachers Cloud(ALTが入っている地区の会員限定)で見られます。
https://alc-nds.com/k-alc-magazine/category/special-feature
オムニバスで、過去に書いたものをここに貼っておきます。関心のあるところをご覧ください。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/授業の質を高める8つの授業マネジメント.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/ペア学習の極意は絆づくり.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/教材となる文集づくり、文集の変遷.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/プロ教師の技(通信簿).pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/子どもが変わる教師の言葉遣い.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/保護者からの苦情と対応.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/本気でやったテスト研修.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/学習集団をエンパワーする.pdf
NHKの大河ドラマ、朝ドラにみる「納得感」は、なぜ生まれるのか
「納得」についてですが、朝日新聞の「天声人語」(令和6年6月8日)に「時代考証の功績」と題して、次のように書かれていました。
(引用はじめ)虎に翼、ブギウギ、鎌倉殿の13人……。NHK連続テレビ小説や大河ドラマの陰には、たいていこの人の存在がある。NHKNHKシニアディレクターの大森洋平さん(65)。巨大な組織でただ一人、25年にわたって時代考証を専門に担ってきた▼完成前の台本に目を通し、おかしな部分を洗い出す。たとえば江戸時代。長屋の住人が、ご隠居の粋なふるまいにパチパチと拍手を送る――なんて場面には、待ったをかけなくてはいけない。日本人が称賛の意味で拍手をするようになったのは明治になってからだそうだ。▼逆に、殿さまが「片頭痛がひどい」と嘆いても大丈夫だ。いかにも現代風の病だが、1603年に刊行された日葡(にっぽ)辞書にも「ヘンヅツゥ」の項目がある▼考証には時代ごとの専門家も加わるが、大森さんの仕事は、こぼれ落ちた森羅万象の謎に答えを示すこと。何でも見ておこうと、旅先では遠回りでも古い街道を歩く。古本屋めぐりが過ぎて「店先だけで品揃(ぞろ)えが分かるようになった」▼集めたうんちくは、著書『考証要集(こうしょうようしゅう)』として出版され、いまでは制作現場の必需品になっているという。退職を目前に、放送文化基金賞の受賞が決まった▼創作が「主人」で、時代考証は「しもべ」というのが持論だ。出しゃばってはいけない。しかし、時代考証という土台があるゆえに物語はリアルになる。そもそもの土台や型を知らなければ、型破りなことなど出来はしない――。ものを創る全ての人へ。大森さんからのメッセージだ。(引用終わり) * 太字は筆者
「考証」とは、「古い事物について、文献・遺物などによって、実証的に研究すること」(大辞林より)と説明されています。これは、それが本当かどうか、自分の理解が正しいかどうかを確認するということに置き換えられます。これを読んで痛感することがあります。「考証」することの意義です。私たちは、つい習慣になつていること、今やっていることを当たり前と考え、深く考えず、そのまま流していないか、ということです。
言葉もそうです。果たして、どれだけの教員が「主体的」を正しく説明できているでしょうか。「自主的」との違いは何でしょう。4月の職員会議に出される資料の多くには、冒頭に「目的」が書かれています。しかし、そこで使われている抽象的な文言は、個々の判断(理解度)に任されたまま、先に進められていきます。よくあるのが、途中から経験の差による、行動のずれが生じ、「こんなはずではなかった」という声が上がります。
一方、職員会議の資料に出てくる文言(学習指導要領に記されているもので抽象的な言葉)は、国語辞典でその定義を調べ、括弧の中に入れて出しているという学校があります。時間はかかりますが、教務主任、生徒指導主事、研究主任が、丁寧にそれに取り組んでいるため、誤解が生じません。教員は、まずその枠に入れられた「定義」を読み、取り組みのベースをしっかりと共有しています。ですから、どんどん成果が上がっています。
学習指導要領の「理解」も同じです。書かれた文章の「意味」がわかることではなく、「意義」(なぜそれをするのか、どのようにするのか)が説明できることです。たとえば、小学校3、4年生の「外国語活動」には次のような節があります。
第1 目標 外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ、外国語による聞くこと、話すことの言語活動を通して、コミュニケーションを図る素地となる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
確かに、言わんとしていること(文章の意味)は分かります。しかし、ここで、NHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公(寅子)ではないですが、「はて?」という思いがしてくる箇所がいくつかあります。
それは、「コミュニっケーションの定義とは何か。教科部会でそれを共有しているか。また、それを子どもにわかりやすく説明しているか」ということです。さらに、「見方・考え方とは何のことか。具体的に何ができればいいのか」「働かせるとは何をすることか。教師はどのような足場掛けを用意すればいいのか」「言語活動と練習の活動の違いは何か」ということです。
これらのことについて、教師が自分の考えをきちんと述べられること、さらに定期テスト(評価)から逆算して、日々の授業(指導)で何をするかを考えていることが重要であるように思います。たとえば、最初のコミュニケーションの定義ですが、「相手に正しく伝えるために、4技能5領域の内容を押さえること、その知識を与えたり、練習をしたりすることはもちろん大切ですが、それ以上に相手に関心をもち、相手の意見や考えを傾聴する姿勢を育てること、そして何よりも違いを尊重できること」ということを共有しているかどうかはとても重要になるように思います。
先般、富山大学大学院で「特別授業」をしてきました。そこで、院生の方(多くは小・中・高の現役教師)に、「子どものための学級づくり」というテーマの中で、授業をどう仕組むか、学習指導要領をどう正しく読み解くかについての話をしました。これについては、院生さんたちのフィードバックを含め、別途、項目を改めてご紹介したいと思います。