🟠馬に「水」を飲ませたいなら

「教え方」よりも「学び方」(内発的動機付け)に関心を持てば授業が変わる

次の諺は、よく学習の場面で使われます。

馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない。

勉強という言葉には「強いる」という漢字が使われています。かといって、教師が「自分がやりたいこと」を無理にやろうとすると、生徒の気持ちは冷めてしまいます。

次の順序をご覧ください。

input(for output) – uptake – (forced but scaffolded) output – express  

従来、英語学習では「input → intake → output」の流れが示され、inputの後にすぐにoutputを用意するのではなく、習熟(定着)の段階としてintake(摂取されていくこと、自分のものとして使えること)の必要性が言われてきました。しかし、英語の教室で何ができるか』(開拓社)に掲載された大津由紀雄氏と吉田研作氏の対談の中で、吉田氏は言語活動では “uptake”(吸収すること)が重要になると述べています。

intakeは食べ物や薬が体内に摂取されていく(役割を果たす)というイメージですが、uptakeには「吸収」だけでなく、「理解」という意味が入っています。辞書にもbe quick [slow] on the uptake(理解[飲み込み]が早い[遅い])という表現が載っています。

吉田氏は、教室での活動に「個性がないこと」(fish bowlの中での活動)に警鐘を鳴らしています。ディスカッション、ディベート、スピーチ、プレゼンテーションなどのように、自分の考えを英語で表現したり、書いたりするようなオーセンティックな場面を用意すべだと言っています。そのようなopen seas の環境でなければ言葉は身につかないというのです。また、従来の Presentation – Practice – Production という流れが形骸化しており、interaction(意味のあるやり取り)がないこと、communicativeではないことから、もっと学習を帰納的にするー 教師が教え込むのではなく、学習者自身のnoticingを引き出すーこと、それを可能にするのが Focus on Form の学習であり、より自然な文脈や場面を与えることで学習者が自ら気づけるようになると述べています。

さらに、ことばの「意味内容」(meaning)と発音や単語などの「言語形式」(form)と文法、目的、役割などの「言語機能」(function)が実際の文脈や場面の中で一体化してくると、「ちょっと使ってみようか」という気持ちになります。それが uptake の状況であり、それを具現化する「課題」(forced and scaffolded output)を用意し、変化を加えながら、何度も練習をする、仲間と刺激を与え合うという学習プロセスに変えていくことが大事だとも述べています。 

吉田氏の提言から、教師は漠然としたin・takeのイメージ(練習によって段々摂取されていく)という考えではなく、学習をup・take(学びを浮かび上ががらせる、学習の必要感を作る)といったactive learning (主体的に獲得する)の状態にしなければならないことがわかります。

また、この書籍では、チョムスキーの愛弟子である大津氏が、ジョン・ホルトの著したHow Children FailHow Children Learnの中から非常に興味深い一節を紹介しています。

Basic Philosophy

> Children love to learn, but hate to be taught.

> All children are intelligent. They become unintelligent because they are accustomed by teachers and schools to strive only for teacher approval and for the “right” answers, and to forget all else

> When children are very young, they have natural curiosity about the world, trying diligently to figure out what is real. (下線は筆者)

下線を引いた2箇所について考えてみたいと思います。learn は、当HPの記事「『校内研修が楽しくなる』ってホント?」でもご紹介したように「自分でハッと気づく」「自分の力で獲得する」という意味です。人から教えられたことはすぐに忘れても、自分で気づいたことはずっと覚えています。さらに、それが自分の人生の「基礎基本」(思考や行動の土台)となっていきます。人から「しなさい」と言われたことは自分で決めたことではないので、なかなかやる気にはなれません。

they are accustomed by teachers and schools to strive only for teachers and for the “right” answers の部分は「学校で先生に認められようとする、正しい答えを出そうと努力をするシステムに慣れてしまうと、それが目的となり、それ以外の肝心なことは全て忘れてしまう」という意味(かなり意訳ですが)にならないでしょうか。

大津氏は、第1章で、言葉の教育では、子どもの持つ「力」(ポテンシャル)や「好奇心」を最大限活かし、「ことばへの気づき」(metalinguistic awareness)を豊かに育成すべきではないかと提言しています。さらに「ことばは人間だけに与えられた宝物であり、人間はことばによって高度な思考を実現させることができた。このことを子どもたちが実感することを支援する。さらに、文字を得たことによって文化の継承の可能性が飛躍的に高まったことを理解する。ここにことばの教育の本質があるのではないか」と述べています。

大津氏とは20年来の付き合い(『15 フィフティーン』2006.ベネッセでも共著)ですが、私は大津氏、三浦 孝氏(静岡大学名誉教授)、柳瀬陽介氏(現・京都大学教授)、田尻悟郎氏(現・関西大学教授)、横溝紳一郎氏(現・西南学院大学教授)といった方たちの考え(知識を教え込むのではなく、創造的な課題を用意し、探究につながる発問を考え、仲間と学び合う環境を醸成すること)に深く共鳴しています。

冒頭の諺に戻りましょう。内発的動機づけに基づいて、「馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない」を言い換えるとしたら、次のようにならないでしょうか。

もし、馬に水を飲ませたければ、馬の背に乗って一生懸命に走らせれば良い。馬は、そのあとで自から水辺に行って水を美味しそうに飲むだろう

この書籍は、日本の言葉の教育に携わるトップレベルの識者の方たちが存分にその思いを語っているオススメの書籍です。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント