Backward Design とは何か – 自身の「授業力」を高める究極の考え方
平成元年から始めた「ハードカバーの卒業英語詩集」というゴールから逆算して、それぞれの学年のどの単元でどのような表現活動を仕組むかをALT(Native Speaker)と一緒に考えました。その実践とプロセスを兵庫で行われた達人セミナーで発表したところ、吉田達弘先生(兵庫教育大学大学院)と柳瀬陽介先生(当時は広島大学、現在は京都大学)からこう言われました。「あなたのやっていることはまさにBackward Designだ。日本でそんなことをやっている英語教師を初めて見た」。お二人ともかなり興奮しておられたので、25年経った今でも、その時のことを覚えています。
それ以来、ずっとゴール(具体的な成果物や育った生徒の姿、つけたい力)を明確にし、それに到達するにはどのような準備、そして指導が必要になるかを考えるようになりました。
巷では、Backward Design について、「最後の活動から逆算する」とか、「最後の活動を最初にやってみて、自分ができることとできないことを知ってから取り組む」といった様々な実践が報告されているようです。最も大事な指導は、一人ひとりの頭に具体像を描けるようにする(visualize)ことです。たとえば、それは3年生最後に取り組むことを3年の4月に伝えておくことであり、1年や2年の最後に取り組むことを同じく4月に伝えておくことです。そのやりかたは、単元の学習でも同じです。最後の統合的なタスクのイメージを単元に入った最初に学習者に与えておくのです。
教師の言葉(説明)や教科書に載っている単元最後のタスクを見るだけではイメージは湧きません。必要なのは具体です。先輩の作品やビデオを見せて「だいたいこんな感じで」と伝えておくと、見通しが立つようになります。それが用意できないときは、そのタスクを読んだ後で自分が想像したことをグループ内で話し合います。自分が読み取ったこと(主観)と複数の仲間のそれを出し合うことで「客観」(正しいゴールの認識)になっていきます。
学習者が「夢中」になるのは「ジグソー・パズル型」の授業、あくびをしながら時計ばかりを見ているのは「積み木型」の授業
セミナーで、私は教師の授業デザインを2つのタイプに例えて紹介しています。一つは「ジグソー・パズル型」の授業デザイン、もう一つは「積み木型」の授業デザインです。
ジグソー・パズルは、最後に仕上がった絵がわからなければ組み立てることはできません。また、時間をかけて作るので、仕上がったら額に入れて壁にかけておきます。ジグソー・パズルタイプは、最初にゴールを確認し、見通しをもち、段取りを考えて授業に取り組み、さらにやりっぱなしにせず、教訓(または原理・原則)を得た場合はそれを整理しておくタイプです。
一方、積み木は事前に設計図など用意しません。その場、その場で「思いつき」で組み立てていきます。仕上がるものは、毎回、バラバラです。さらに、積み木遊びが終わったら、崩してしまい、後には何も残りません。次のイラストをご覧ください。このようなイメージです。
言うまでもなく、児童生徒が力をつけるのは、ジグソー・パズル型の授業です。つまり、ゴール(到達目標)を明確に理解し、それに到達するための道筋を用意しているということです。これが、Backward Design(つけたい力、育った子どもの姿から逆算をして計画をしていくこと)です。
「単元をひとまとまりとして考える」というのは、ブロック肉(単元全体)の扱いを考えてみるということです。その単元は、とんかつ、ローストポーク、生姜焼きのどれになるのかを事前にしっかりと考えるということです。こうすると、学習者は「今度の単元では何をするんだろう?」と期待します。一方、バラ肉(1時間)ではつながりがなく、しかも毎回がワンパターンの料理になってしまいます。生徒はすぐに飽きてしまいます。
「大きなまとまり」で考えるというのは、英語のチャンク(名詞チャンク、動詞チャンク、副詞チャンクの3種類がある)と同じで、つながりを大切にするということです。つまり、自己評価シートはユニット全体でまとめて作成し、最初の時間に配り、それには自身の到達目標と見通しを書きます。振り返りも、記述式で「できたこと、まだモヤモヤしていること」を丁寧に書きます。それを回収してチェックするのは最初、中間地点、そして最後だけです。生徒はまとめて持っている方が、常にフィードバックできるようになるからです。1時間ごとにバラバラの状態では、教師は毎回プリントを用意したり、授業の最後には「毎回同じ自己評価シート」を配ったりしています。このような違いは、教師が1年間を見通して、それぞれの単元をつなげて、系統的・計画的に4技能5領域の言語活動(練習を前後に組み合わせる)を行っているか否かで生まれています。ですから、それが日々の授業に色濃く出てしまうのです。
Backward Design に取り組んでいる広島市立美鈴が丘中学校(7月の研修より)
昨年度、広島市立美鈴が丘中学校(村上和敬 校長先生)から「校内研修(2年間)」のアドバイザーを依頼されました。昨年1回、全員の授業を見て助言をし、午後は全員の先生を対象に講演を行いました。そして、本年度は7月と10月の2回、同じように全員の授業を拝見し、それぞれの成長を実感すると共に、さらなる進化(深化)を目指して「令和型学習指導案」に取り組んでみませんかと提案をさせていただきました。昨年の実態把握を活かして、本年度は2年目として7月に次のような内容で研修を行いました。授業が「座布団の積み上げ状態」(1時間、1時間がバラバラで繋がっていないので、学習履歴が残りにくい)になっていることから、それを「紙芝居」のように繋げるために、マンダラートとマッピング、情報カードと3色付箋紙を使って「授業デザイン」をすることにしました。
美鈴が丘中学校では、研修部を中心に、個々の教師の授業デザイン力を高めるために、次のような努力目標を作って校内研修に取り組んでいます。
最初にご紹介したのは、エドガー・デール(米国の教育学者)が発表した「経験の円錐」(Cone of Experience)です。次の図をご覧ください。これは、1946年にEdgar Dale が発表した経験の円錐(Cone of Experience)です。人が2週間経っても覚えていることについて紹介しています。この図を見ると、10%、20%、30%にあてはまるのは、教師が中心になって説明をする授業と考えられます。どんなに教師が一生懸命に説明をしたとしても、「自分ごと」になっていない限り、定着度は低くなることがわかります。
人が2週間経っても覚えていることとして、膨大なデータを元に問題提起されたものですが、これは授業をされている方なら、大いに納得されるのではないかと思います。注目したいのは、「主体的な学習者」(最初の段階でゴールを知り、見通しを持って取り組み、自己修正ができる)を育てるには、学習において「わかる・できる」ということが欠かせないということです。定着度が高い(ずっと覚えている)のは、Active (脳働的 – 脳が働く)Learning になっているということです。50%、70%、90%の項目を見ると、それぞれ学習者が「主体」となって動いているケースと考えられます。この下半分が Active Learningになります。Learnは以前の記事でも説明しましたように、「自分が獲得したこと、自分の力でできること、何も見ずに自分の言葉で説明できること」です。授業では、その状態をよりactiveにする(activeはlearningを修飾する形容詞)ことが大事になります。ペアやグループの学習形態を使ったとしても、課題が自分ごとになっていない状態、獲得していく学習になっていない状態であればactive learningとは言えません。それだけ、教師がやらせたいことではなく、学習者が夢中になって取り組む課題になっていること、思わず前のめりになるような教師の発問が重要であるということです。
「令和型学習指導案」で、ゴール(学習指導要領に明記されている、児童生徒の育った姿)から逆算し、事前に何をしておかなければならないかをつなげて考える
次の学習指導案をご覧ください。これは、私が平成19年に京都府教育局から「学力向上プログラム」のアドバイザーとして、研究指定校の京都府綾部市立豊里中学校に継続的に伺っていた時に、ご紹介した学習指導案の型です。その後の「令和型学習指導案」(大修館書店『英語教育』10月号参照)のベースになったものです。何に気づかれますか。
第1次から書き始めていません。「座布団の積み上げ」になりやすいのは、順に「文法→本文理解→文法→本文理解」のようにしてしまうからです。そこで、最後の第6次(単元が終わった時にどうなっていなければならないか)について、教師が最初に明確なイメージを持ちます。こうすると、単元の振り返りが一過性ではなく、本当につけなければならない力がついたかどうかを振り返る時間を用意できるようになります。さらに、1時間、1時間がそれぞれ「主体的な学び・対話的な学び・深い学び」のどれに相当するのかを事前に考えておくことで、指導すべき内容を「区別」(differentiate)できるようになります。では、次のスライドをご覧ください。今度は何に気づかれますか。
「指導上の留意点」が非常に細かく書かれています。ここを読んでいるだけで、思わず授業の様子が浮かんでくるようです。指導上の留意点は、「空欄の部分」が多い指導案をよくみますが、生徒が活動をしているのであれば、教師が事前、事中、あるいは事後にどうしておくかという考えをきちんと書いておくべきです。空欄では、何も指導を考えていないということになります。
授業名人と言われる方たちは、このようにあらかじめ「脚本」のあらすじを用意しています。「予定調和」の決めきめの授業は、やることだけを書いているので、臨機応変に対応できません。しかし、脚本にするには「主役となる学習者」の立場に立って書かなければなりません。つまり、児童生徒が必要かんを持って「したくなる」状況にするにはどうすればいいかを考えながら授業デザインができるようになるのです。もし、授業中に児童生徒から「教師が予想していなかった考え」が出てきたとしても、流してしまうのではなく、「あっ、それいいな!」と考えるとともに咄嗟に対応もできます。
昨年、拝見した研究授業(中学校)でパソコンが途中でフリーズしてしまい、同僚も登場して5分間ぐらい何もしない状況が続いたことがありました。生徒は私語をし始め、参観者は「何か指示を出さないと…」とハラハラしながら見ていました。指導案を拝見すると、その活動の「指導上の留意点」は空欄になっていました。
一ヶ月後、今度は小学校の研究授業を見る機会がありました。ちょうど、その日は天候が大荒れで朝から雷が鳴っているような状況でした。授業中、ピカっと光り、ドーンという大きな音とともに電源がパッと切れました。ちょうどその時、デジタル教科書を使っていた場面だったのですが、画面が消えた後も教師は慌てずに、次の活動に入って行かれました。感心して指導案を確認したところ、そこには「パソコンが使えなくなった場合」として、すでに代案が書かれていました。その方の学習指導案も、指導上の留意点は「脚本」のように書かれており、生き生きとした児童の姿が想起できるような内容になっていました。
学習指導案を3色付箋紙で「可視化」すれば、授業が見事に変身する
美鈴が丘中学校の先生方に、ご自分の学習指導案を用意していただきました。通常、私たち教師は、パソコンで学習指導案を書き、印刷をして配布します。不思議なもので、パソコンで順に書いていくと、全てが繋がっているように見えてしまいます。しかし、それは「可視化」されていないため、思い込みであることが多いようです。
付箋紙は3色です。赤色は、教師が中心になって行なっている活動(または指導)の部分に張ります。黄色は「個人」で思考をしている、個人で練習をしている活動に、青色はペアやグループのように「関わりのある活動」の箇所に貼ります。こうすると、自分の授業のパターンがくっきりと可視化されます。当たり前だと思っていた授業が、学習者にとって居心地がいいものだったのか、本当に力がつく授業になっていたのかがわかります。
多くの教師は「自分の指導パターン」(自分の型)を持っており、それがいつしか「当たり前」になってしまっています。授業を拝見していて心地よさを感じる授業と居心地の悪さを感じる授業には、それぞれ共通点があります。次の指導案をご覧ください。右は before の指導案、そして左は after の指導案(自身で renewal したもの)です。
三色付箋紙を使うことで、自分の授業は何色が多いかが一目瞭然です。可視化することで、自分が今まで当たり前だと思っていたことが、実はとんでもない勘違いだったということがわかります。また活動のバランス、自分の授業の弱点もわかります。一度、ご自分の学習指導案に三色付箋紙を貼ってみられることをお勧めします。全国のセミナーでこれをやっていただくと、多くの先生方がショックを受けられ、「変えなければ」と強く決心されます。
では、順にそれぞれの色が多い授業について説明していきます。
「赤色」の付箋紙が多い授業であれば、自分が講演を聞いている時の気持ちを子どもたちが同じように感じているということです。講演の場合、自分で関心がある内容であれば真剣に聞きますが、それでも途中、睡魔が何度も襲ってきます。思わず、柱の時計を確認し、まだ30分もあるのかと思ってしまいます。もし、関心がないことであれば、最初から頭には入ってきません。さらに、講師の喋り方が淡々としたものであれば、「仕方なく」という思いはさらに強まります。それが赤色が多い授業の特徴です。教師の悪い癖は「SOS」(しゃべりたがる、おしえたがる、しきりたがる)です。その典型的な授業が「赤色」の多い指導案です。
では、「黄色」が多いとどうなるでしょう。個人の活動が多いのは、何かを書く活動、タブレット端末を使った活動、またはデジタル教科書の活動になるでしょう。私語もなく、それに向き合っていると、とりあえず学習が成立していると思いがちです。しかし、時間が経つにつれて、学習差がどんどん開いていきます。一人では時間がかかる子どもたちが「おいてけぼり」にされてしまうのです。
最後に、「青色」が多い指導案です。ペアやグループの活動が多いと、一見、授業が活発なように見えますが、所々で私語が聞こえ、また間違えに気づかないまま学習を進めていくような授業です。教師がきちんと活動のねらいを意味づけ、練習と言語活動を区別していればいいのですが、活動がやりっぱなしで続いていく、「活動あって学びなし」というパターンがこの「青色」色が多い授業です。よく管理職が「一体、何をしているのか。どんな力をつけるための活動なのか?」と眉をひそめられる授業です。
ポイントは、「赤色」(指示ではなく解説)がどこに入るかです。さらに、言語活動は「青色」になりますが、「青色」の前と後に何色が来ているかが重要です。「青色」の前は「黄色」です。個人が自分の考えを持たないうちに、ペアやグループにしてしまうとお客さん(仲間に依存)が生まれてしまいます。また、「青色」の活動は正確さが欠けてしまいます。ということは、教師がモデルを示したり、いくつかのペア(グループ)を指名し、実際にやらせた後で、正しく着地しているかどうかを確認しなければなりません。さらに、「仲間との活動がどうであったか」を振り返って、自己修正をする時間も与えます。それが「赤色」で行われる指導なのです。
5枚の情報カード(1枚が10分)を使って、自分が生徒になって受けてみたい授業をデザインする
美鈴が丘中学校の先生方には、単元計画を情報カードを使って考えていただきました。8時間扱いなら8枚のカードを用意します。単元を一括りと考えて、最後の授業のカード(つけたい力)から考えます。そして「山場」となる時間(緑色で囲まれた時間)を決めます。そして、その前に「必要な指導」「必要な練習」「練習を活かした言語活動」を「何のために」という視点で考えていきます。
まずは、マンダラートで「つけたい力」と「その方法」を整理します。
指導すべき内容と方法が固まったら、それをカードに書き込んでいきます。
こうして単元全体がストーリーのようにつながります。色がついているカードは単元の「山場」です。つまり、そこに至るまでに「どこで何をしておかなければならないか」「生徒が自分の言葉で説明ができる」「自分の力でできる」(関連する質問が即興でできる、原稿を作らずにマッピングで構想を練り、まとまった内容を話せる、等々)を想定して必要な指導を考えていきます。
こうすると、「これを教えて、次はこれを教えて・・」といった座布団の積み上げ授業ではなくなり、生徒たちはみるみるできるようになっていきます。カードで全体構想が固まったら、そこで初めてパソコンに向かいます。ただし、印刷をした後、もう一度3色付箋紙を貼り、活動のバランスがどうなっているかを考えます。
いずれも、夏季休業中の校内研修の様子です。2学期に行う研究授業の単元全体の構想を丁寧に練っているところです。どの教師も、学習指導要領、教科書、カード付箋紙を広げ、整合性を確認しながら作業をしています。
美鈴が丘中学校の先生方の研修後の感想をご紹介します。読まれると、どの方もハッとされるのではないかと思います。「自分の授業を可視化する」ことで、学習指導案とCAN-DOとテストを三位一体にすることに繋がるのです。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/11/広島市立美鈴が丘中学校_7月研修_ふり返り.pdf
仕上げの10月の研修では、前時と次時の「のりしろ」を考える
ご紹介したのは、前時から繋げる「のりしろ」です。次時に繋げるときはどうすれば良いでしょうか。そうです。予告をするのです。ただし、「次の授業では『不定詞』をやります。ここは多くの先輩がつまずいたところだから、ちゃんと聞くんだぞ」という言い方ではなく、I love watching movies. Especially, Hollywood movies are my favorite. I want to visit Hollywood when I become a university student. And I want to be a film director and I’ll make a touching movie. のように書かれたものを見せ、「小学校でやっているから大体わかるよね。これを学ぶと、自分の夢が語れるようになります。そして、長い英文を書くことができるようになるからライティングが楽しくなるよ」と言って終わります。すると、生徒は次時の内容をイメージしてワクワクするようになります。映画の予告と同じで、「早くそのシーンがみたいな」という思いで終わるのが、次時への「のりしろ」です。
「カード」と「カード」の間に「(前時や次時の)のりしろ」を考える
7月に使ったカードを持ち寄り、カードとカードの間に隙間を作り、そこに「のりしろ」となる活動を入れるという研修を行いました。理科の研究授業の振り返りを全体でしながら、活動と活動をつなげることで、生徒の理解度、定着度が高まることをお話しし、実際に模造紙に数直線を引き、左端に0を右端に50を書き、時系列で活動、教師の発問や指示を入れながら気がついたことを付箋紙で貼っていきました。
その時、あるグループで、一人の教師(体育科)が「子どもたちの仮説は本時ではなく、前時の最後に行っておくことで、それがのりしろになるのではないか」という問題提起をされました。まさにその通りでした。学習指導案が教師が考えた「仮説」であるなら、授業は「検証」となります。単元全体を考えるのであれば、「1時間でまとめなければならない」「最後はまとめておわらなければならない」という教師の思い込みを捨てるべきです。
大修館書店『英語教師の授業力を高める3つの力』でもご紹介したように、「ツァイガルニク効果」は人の心理を活かしたメソッドであり、途中で切ることによって「知的にハングリーな状況」(連載漫画、NHKの朝ドラのように「続き」が無性に知りたくなる状態)にすることができます。そこで、今まで1時間をまとめて終わらせるという考えで作っていた指導案の流れを、もう一度、前時と本時、または本時と次時で分けた方が効果が上がるという場所を探してもらいました。その後、グループごとに「紙芝居」のようにリニューアルされた授業デザインを語り部になって語っていただきました。
次の2つの振り返り資料から、先生方の気づき、変容、そして決意が読み取れます。ぜひ、今まで「当たり前だ」と思っていたご自身の授業を振り返り、学習者をワクワクさせる授業づくりの参考になさってください。
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/11/美鈴が丘中学校_10月研修_ふり返りシート.pdf
https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/11/授業改善研修会_ふり返り.pdf
「自己流の授業」「やりっぱなしの授業」では「学力」が高まらない
最後に、次のスライドをご覧ください。指導案に朱書きされた内容は何だと思われますか。
そうです。単元の全体計画を「箇条書き」で羅列した指導案と異なり、令和型学習指導案で単元全体をストーリーのようにつなげて考えているので、履歴が残っています。1時間分の指導案を書いた場合、うまくいかなかった部分があったとしても、本時までの計画はほとんど残っていません。ですから、次の授業に活かすことなく、やりっぱなしで終わっているのです。教師の「授業力」とは、1時間の授業で「どう教えるか」ではなく、自身の授業を「生徒主体の授業」に改善していける力(自己修正力、自己調整力)がベースとなります。「うまく行かなかった」という反省ではなく、「生徒ができなかったのは何故か」「どのような練習が足りなかったのか」さらには「どこで見極めをしなければならなかったのか」を時系列で教室の事実や生徒の声(自由記述のアンケートによる)を根拠として追究することが大事です。
このように、「授業力」を磨きたいのであれば、他に「答え」を見つけようとするのではなく、自身の指導案に朱書きで「変更しておくべきこと」「付け足しておくべきこと」「削らなければならなかった箇所」を明記しておき、常にそれを見ながら、望ましい授業(自分が児童や生徒になって受けてみたい授業)のイメージ・トレーニングをしていくことが不可欠です。
本気の「出力」(研究授業)を経た教師は、ひとまわりもふた回りも大きく成長します。何故なら、生徒のポテンシャルの高さ、そして「教師のために」と多くの参観者の前で健気に頑張る姿に感謝できるようになるからです。そのような授業を共に「紡ぐ」ことで、相補の関係が生まれ、互いにレスペクトし合えるようになります。これが、教師が用意したことを「予定調和」で進める授業(説明とプリントと練習が中心の授業)ではこのような状況にはなりません。学習者の良さ(自己表現という創作活動で見られるオリジナリティ、こだわりから生まれる協働的な学び)に触れることがないからです。
朱書きを入れた学習指導案は、「改訂版」として保存しておくようにします。そして、それをしばらく寝かせておいては見る、修正して寝かせては見るようにします。何故なら、教師は常に授業を通して、日々「学習」をしているからです。その成長を「柱の傷」(“背比べ”より)として、履歴としてその都度加筆していくようにすれば、内容が編集され、質が高まり、まさに「漆を塗る」(直山木綿子氏より)ようになります。
人生は「やるか」「やらないか」の2者択一です。実際にやってみることで、思考し、たとえ上手くいかなくても、後に活かすことができれば、それは大きな知的財産となります。「アクションはプラスの要素を生み出す」という人生のルールに気づけるようにもなります。しかし、やらない場合は、何も変わりません。「現状のまま」を選択したと考えがちですが、実際にそれをやって経験を上積みした人とは、どんどん差が開いていきます。さらに「現状」に満足して守りに入ってしまうと、「後退・劣化」(だんだんできなくなっていること)に気づけなくなります。荒れていた学校の授業が、「生徒が静かに授業を聞いている状態」を「落ち着いている」と勘違いしてしまうと、教師主導の授業が変容せず、やがてまた心の荒れが(反社会的な行動だけでなく非社会的な行動も)やってきます。
いかがでしたか。「教え方」(指導技術)を追いかけるのではなく、このように「授業デザイン力」を高めていくことで学習者の心理も読み取れるようになります。「教えなければならない」という教師目線一辺倒の指導ではなく、相手の立場に立ち、教師が「正解」を求める質問で進む授業ではなく、自然なコミュニケーションとインタラクションの多い授業となり、AI にはない「非認知能力」も含めた学力と心が育っていくきます。それが最大の生徒指導となるのです。