🟠 研究授業の「振り返り」をきちんと言語化するのは「何のため」?

今まで、たくさんの方の授業作りに関わらせていただきました。学習指導案を書く前や途中の段階で一緒に考えることができた方と、授業の数日前に送られてきた指導案通りにされた方とでは何が違っていたのでしょうか。私が研究授業の前に、単元のデザイン等でアドバイスをさせていただいた方々からは、必ずメール(学びを言語化したもの)が届きます。一方、後者にとっては研究授業は「点」なので、何も届きません。

今回は、丁寧にご自分の学び(生徒の変容からハッとしたこと)を書いて来られた方々のメールの一部をご紹介します。何が変わったのでしょうか。それは何故でしょうか。これからの授業作りの参考になれば幸いです。

🔵 自分は、勝手に「無理だろう」「難しいのではないか」と子どもたちの能力を決めつけていました。課題も下位の子どもに合わせた簡単な、上位の子にとっては味気ないものになってしまっていました。それを当たり前と考えていました。しかし、 中嶋先生が「アクティブ・ラーニングとは脳が働くこと。どの子も時間を忘れるくらい夢中になれること」と言われ、ハッとしました。そして、今回の発表を通して、子ども達の可能性・努力を痛感しました。何よりも、稚拙ではあっても、彼らの「表現したい」という気持ちを今まで引き出せていなかった自分、教科書を進めなければ、単語や文法を教えてテストでできるようにしなければという窮屈な考えにがんじがらめになっていた自分から鎖が、音を立てて外れていくような気持ちがしています。今後の授業デザインは、もっと彼らの可能性を信じ、個々の実態やニーズに応じた「足場かけ」を意識していきたいです。中嶋先生が見せてくださった映像「中1の6月でここまでできる」の授業風景のような子どもたちをイメージに持ちながら授業内容を工夫していきたいと思います。今は、発表が終わって「寂しい」というのが正直な心境です。授業後に子どもたちが言った「もう終わり?」と、同じ思いです。今回の発表を通過点にさせていただき、今後さらに努力・工夫をしていきます。

🔵 中嶋先生と単元全体の構想を練っているとき、ゴールとしてどんな生徒を育てればいいのかが話題になりました。私は、「教えたことを一つでも使ってグループで発報しあう。苦手な子どもが少しでも参加できればいい」とゴールの設定自体を低く考えていました。しかし、中嶋先生は「研究授業で生徒を育てられなければ、やる意味がないです」と言われました。その後、こうしてみましょうと言うことで決まった活動でしたが、最初は「こんな高度な事、子どもたちには無理!まず私が無理!」と思っていました。しかし、「難しい」と思っていたのは教師だけで、生徒たちは「おもしろそう」「やってみたい」「できた!」という経験を通して、みるみる吸収をしていきました。色々とアドバイスを受けてアレンジした指導、単元構成を逆から進めるプロセスをやってみる中で、彼らの変容を目の当たりにし、「正しい指導をすれば、生徒はぐんぐん伸びていくのだ」と感動しました。今までずっと、間違いばかりに目を奪われ、彼らの力を過小評価していたこと、 本当に申し訳なく、恥ずかしく思います。しかし、彼らが決してできないのではなく、それだけ伸び代があるのだと考えると楽しくなってきました。次の目標は、3年生でチャットを3分間継続してできるようになることです。それを考えると、やりたいことがいくつも頭に浮かんできてワクワクします。 今回の単元は来週水曜日のNSへの発表、その発表内容を書いて まとめるという所で仕上がりますが、私が中嶋先生から「足場かけ」を していただいたように、卒業するまで、継続して子どもたちが安心して 登れるよう頑丈な「足場かけ」をして行きたいと思います。これは教科指導ばかりでなく3年生90人1人ひとりの成長を見守る者として。 学校の同僚の皆さんにも支えていただいたおかげで、このように学びの多い研究授業にすることができました。この感謝の気持ちを必ず子どもたちへの指導に反映させます。

🔵 自分の事を話す、クラスメイトの事を聴くことは楽しいということ、聴いていることを頷きや質問をする方法など態度で示すこと、わかったふりはしないこと。そのために 発問を工夫したり、グループワークでは役割を与えるよう工夫しました。主体的に学ぶよう活動のねらいを共有し、肯定的なフィードバックとさらに上達させるためにはどうしたら良いのか、生徒と一緒に考えてきました。半年後、英語でのやりとりを楽しむようになり、だんだんできることが増えていき、生徒たちが頼もしく感じられるようになりました。授業をする上でずっと、ずっと私は考えていたことがあります。それは(1)授業における「縦糸」と「横糸」とは何か (2) 「ヒューマンな英語の授業」とは何か (3)教科書に書かれていないことをどのように生徒が想像できるか(4)今、生徒が出来ていることは何で、プラスαとして何を加えるか、です。全て、中嶋先生から繰り返し教わってきたことです。(1)と(2)については、大切さがようやくわかってきました。 クラスメイトの存在を大切にしながら、英語の授業で居心地のよさ、質を高めあう学習集団づくりを、これからも研究して行きます。最後に一緒に授業をした生徒の授業のふりかえりに書かれてあった文を紹介させてください。「6月半ばに、先生から全英連で公開授業をするのだと聞いたときは、話すことが苦手なので正直不安な気持ちになりました。でも、先生が見せてくださった Takahiro さんのムービーで CHANCE に TRY したら、CHANGEできる、と言われて、私も頑張ろうと思えました。いつの間にか、最初の不安はなくなって、授業を心から楽しむことができました」山口大会の基調講演で中嶋先生から受け取ったメッセージを生徒たちとも共有しました。 きっと、この感想を書いた生徒の心にずーっと残るメッセージになっていたのだと思います。生徒たちが書いてくれる感想に勇気づけられ、そして反省をしながら、今後も真摯に授業の改善に取り組んでいきたいと思います。

🔵 昨日の公開授業に至るまで、あたたかいご指導をいただき本当にありがとうございました。中嶋先生の教えを受け、授業に対する見方や考え方が大きく変わりました。昨日はもちろんのことですが、ここ数週間は特に、「英語を教えることってこんなにも楽しいんだ」という気持ちになりました。目の前の子どもたちも大会があるからというのも大きかったとは思いますが、楽しく英語を話すようになり、一日2時間英語の授業があっても、「やったあ」と言うようになりました。教師としての喜びや子供たちがいきいきと英語を使うきっかけを与えてくださった中嶋先生には感謝しかありません。本当にありがとうございました。来週、勤務校の全先生に授業を公開します。単元の構想や主体的な学びについて、今回教えていただいたことを先生方にいかに伝えたらよいのかを、この週末にしっかり考えたいと思います。「それは英語という教科だからだよね」と言われないよう、学びの場になるようにしたいです。                                           追伸 今朝出勤して、一刻も早く会いたかった1年1組の生徒のもとに行き、「昨日はありがとう」と言おうとすると、子どもたちから「先生、お疲れ様」「昨日めっちゃ楽しかった」「いい思い出になった」というような言葉がかけられました。涙が出そうになるのをこらえました。

🔵 研究大会ではお世話になりました。ありがとうございました。当日を迎えるまで不安でいっぱいでしたが、本番当日は生徒と楽しい時間を過ごすことができてよかったです。チャイムが鳴った瞬間、一人の女子生徒が「え、もう終わり?」とつぶやいていました。決して英語が得意な生徒でもない、真面目な生徒でもない。しかしきっとトピックに対して自分なりに一生懸命考え、仲間の考えを一生懸命聴いていたのだと思います。彼女のつぶやきが全てを表していたと、今になって思います。これまでの私の授業を振り返ると、どう文法項目を習得させようか、どうテストに繋げようかを軸にして、その中で楽しい授業ができればと思っていました。中嶋先生と出会ってから、まず「楽しく、ワクワクする授業を生徒と一緒に考えてみよう」「自分が生徒だったら、こんなことを伝えてみたいな」と、いつの間にかまるっきり自分の考え方が変わっていたのに驚きました。次の単元ではどうしようか、教材研究をするのが今から楽しみです。そして、中嶋先生のご講演もこれまでに何度かお聴きしたことがあったのですが、いつも「こんなことができれば楽しいだろうな。でも自分には、そして今の生徒には無理だ」と諦めていました。それが、先日の体育館でのご講演を聴いた時にこんなことを思いました。「今日の自分の授業は、中嶋先生のご講演の内容に近づけたのではないか。」そう気づいた瞬間、自分の中で何かが始まった感じがしました。今回やってみて、自分にもできた、生徒にもできた。自分の辿るべき道はこれだ。これで生徒を夢中にさせよう。今後も信じてやってみよう。そう強く感じました。*My Dictionary(小ノートに自分が言いたくて言えなかった単語を書き込んでいく)の実践、ぜひやってみたいです。答えは既に懇親会で隣に座れられたM先生が持っておられました。お好み焼きをつまみながら「日本語教室で、メモを取る生徒は言葉の上達が早い」と話されていました。思ったより身近なところに答えがあって驚きました。バックワードデザイン、今後も続けていきますが、やっぱり自分には何かが足りない。準備期間に中嶋先生がおっしゃったように「単元計画を逆に並べているだけではないか」。指導案をいくつかいただいていますので、今後勉強します。まだまだ自分に足りないところはたくさんあります。学習指導要領を本当に理解しているのか。発音指導はどうなっているのか。それぞれの活動の意味は。そしてそれらは本当にゴールに向かう際に必要なものか。準備期間に何度も読み返した中嶋先生の書籍「3つの力」と「30の技」を、今、一文字一文字を噛み締めながら読みたいと思います。

* My Dictionary の発想は、NHKの番組に出ていた時に、共演したデーブ・スペクター氏が見せてくださったボロボロの小さなノートがきっかけでした。彼は、街を歩いている時に見かけた言葉で、自分が知らなかったこと、さらには興味が湧いた言葉やフレーズを調べて、そのノートに書き込んでおられました。使い込まれて古くなっていました。今まで何十冊も作られたそうです。アメリカ人のスペクター氏があそこまで日本語が流暢に話せること、語彙が豊かであることがパッと繋がった瞬間でした。それをある研修会でご紹介したところ、「やってみよう」とすぐに実践された先生がおられました。

「研究授業後の改訂版」として保存しておくようにします。そして、それをしばらく寝かせておいては見る、修正して寝かせては見るようにします。何故なら、教師は常に授業を通して、日々「学習」をしているからです。その成長を「柱の傷」(“背比べ”より)として、履歴としてその都度加筆していくようにすれば、内容が編集され、質が高まり、まさに「漆を塗る」ようになります。子どもたちが表現する活動を仕組み、「間違い探し」をするのではなく、彼らの感受性の豊かさやポテンシャルの高さに感動した教師だけが、以後、子どもを真に主体にした授業を作ることができるようになります。

preparation vs. readiness, method vs. theory それぞれどう違うのか

どちらも「準備」で使われる言葉ですが、実はその定義はかなり違います。英英辞典で確認してみましょう。

Preparation is the process of getting something ready for use or for a particular purpose or making arrangements for something.(教師側の立場。教師がする準備、用意するプリントやスライド

If someone is very willing to do something, you can talk about their readiness to do it.(学習者側の立場。(意味は準備ができていること、進んですることであり、学習を促進させるためには、どの学習者もできるようにらなっているかどうかを、毎時間、見極めておかなければならない

そして、もう一つ、授業づくりで大切なことがあります。それは method を追いかけるのか、それとも theory を大事にするかということです。

COBUILD(英英辞典)によると、前者は、A method is a particular way of doing something.のように説明されています。つまり、method とは「方法、手法、やり方」(指導技術)です。

一方、後者はThe theory of a practical subject or skill is the set of rules and principles that form the basis of it.のように定義されています。theory とは、何かをなすときに必要不可欠となるルール、原理や信念です。

両者の違いは歴然です。method は「やり方」を模索します。一方、theory は「何を目指しているのか、何のためにやろうとしているのか」を考えます。たとえば、「できない、無理」と限界を決めているのは自分です。この姿勢は自分に対してだけでなく、相手(学習者)に対してもそうなります。それがその人の「思考体系」(パラダイム)であり、そう考えるのが習慣になっているからです。つまり、やり方だけでなく、全体構想を作り、そのプロセスを体系づけることが大事だということです。

銀座の「すきやばし次郎」は高級店でありながら、なかなか予約が取れないほどの人気店です。アメリカのオバマ元大統領も来日した際に「どうしても」と懇願して向かったようです。なぜ、そこまで多くの客に支持されるのでしょうか。店主の小野次郎氏は、こう言っています。

「面倒くさい」は禁句です。手間暇かけて美味しくするのです』

授業も同じです。「授業」は、一方的に授ける(与える)ものではなく、学習者の力をつける(自信をつける、自律的学習者に育てる)ことを目的に行われます。忘れてはいけないのは、「時短」(省エネ)や「予定調和」を目指すのではなく、どれだけ一人ひとりの子どもに「気配り」(温かい眼差し、待ってやれること)と「心配り」(相手の立場になって行う気遣い)ができるかです。映像で拝見する、小野氏がお客さんの動きをじっと見つめる眼、お客さんの食べ方を見ながら絶妙のタイミングで握る様子は、まるで微かな息遣いに耳を澄ませているかかのようです。これは、小野氏が大事にされている theory なのでしょう。

同じように、授業でも大事なのは method(やり方、手法)ではなく、 theory (原理原則、体系、理論)です。前者は指導技術(教え方)に関心があり、後者は学習者のポテンシャルを高めること、論理性や感性を育む指導体系に関心があります。その違いがわかるようになると、授業に必要なのは preparation (プリントやスライドなどを準備すること)ではなく、readiness(授業前、授業中、授業後に学習の準備を整えてやること)を作ることだと理解できるようになります。

それには、日頃から「よい準備」を心がけることです。つまり、最初に全体構想を練り(仕上がった状態をイメージして)、少しでも早く準備に取り掛かることです。単に計画を立てるだけでなく、チェック機能(短期ごとの成果、他者による中間期の成果の検証)も用意しておくことも必要です。

研究授業に取り組んだ方の多くは、「もっと早くから準備をしておけばよかった」という後悔をされます。教師の頭の中で描いた学習指導案(単元計画)では、「できるはず」という胸算用で書かれています。しかし、日頃から教師が説明をし、ワークシートを使って進める授業では、多くが「見切り発車」(十分に習熟していない実状を知らない)となっています。教科書を少しでも先に進ませなければならないという焦り、全てのページを網羅しなければならないという思い込み、そしてデジタル教科書への依存が、教師の創造力を劣化させています。さらには「練習」と「言語活動」が区別されていないこと(教師の専門性の低さ)も大きいようです。

何故なら、どれもが大切な活動に思えてしまい、その結果、指導の軽重が図れなくなってしまうからです。本来の授業は、4技能を高めるために必要な系統的なトレーニング(練習)を経て、意味のあるやり取りが行われる言語活動や自己表現活動へと発展させるのが本来の「インタラクションのある授業」(生徒にコミュニケーションを体感させられる授業)です。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント