🟠Task on time 型では学校が閉塞し、Time on task 型なら逆に活性化する

教師が“Task on time型思考“なのか、それとも“Time on task型思考“なのかで学校の方向性が決まります。今回は、それについて詳しくお話をしていきましょう。ちなみに、この内容は、セミナーでお話をすると多くの方から「大いに納得できた。しかし、今までそれを当たり前にしてきたことがショックだった」という感想が聞かれます。

Task on time型, Time on task 型, さて, あなたはどっち?                                  

コロナ禍後の現場を回っていて、つくづく考えさせられることがあります。それはTask on time の考えの方が増えているということです。Task on timeとは、「決められた時間や枠の中でできる範囲の仕事を考える」というものです。これに慣れてしまうと、目先の仕事しか見えなくなり、準備が後手後手になっていきます。新しい仕事に向き合った時は、「無理、難しい」という言葉を発したり、うまくいかなかった時には「時間がなかった」という言い訳をしたりするようになります。日々が自転車操業のようになり、ストレスが溜まっていきます。

一方、生徒が夢中になって取り組む授業を行っている教師は、Time on task の考えです。これはtask の本質を捉え、それを達成するにはどれだけの時間、どんな準備が必要になるかを前もって考えるというものです。ですから、時間(枠)が決まっていても動じません何が優先されるべきなのかを察知し、重みづけを図る部分と軽く扱う部分をきちんと差別化できるからです。

では、この2つの考え方が授業にどう影響を与えているかを見てみましょう。

Task on time では、常に教科書の進度が気になります。その関係で、「*なんちゃって言語活動」(板書やワークシートを見ながら話す、見ながら書く)の場面が数多く見うけられます。また、TTの授業では、やることを日本人教師が一人で決め、ALTに対して「今日はここをやってほしい」と唐突に依頼したりします。驚いたことに、3時間で教科書の内容を詰め込んで教え、1時間はALTに丸投げという学校も見られます。

*他にも「なんちゃって単元計画なんちゃって音読・リテリングなんちゃって振り返り」などが見られます。それについては、新しく項を立てて説明をしたいと思います。

Time on task は、taskで目指すことを認識しているので、場面に応じて適宜「負荷」をかけ、必要感を生み出し、同時に生徒の学習意欲を喚起しています。たとえば、出力の場面を大切にし、彼らの感受性やポテンシャルを活かそうとします。その際、発表はメモのみ使用可としてノートを読ませない、ワークシートは裏返してやり取りをさせています。TTでは、単元計画の段階からALTと言語活動(task)の構想を練り、それぞれができることを考えます「つけたい力」を優先し、定期テストを学期の最初に作っています。こうすると、見通しを持って活動できるからです。

2つを比べると、どっちが主体的な学習者を育てるかは論を俟ちません。

さらに、授業だけの問題ではなく、Task on timeの考え方が染み付いている学校では、教員の人間関係がギクシャクしており、その影響を受けた生徒たちの心が歪み、荒れやすくなります。一方、Time on taskの考え方が浸透している学校では、逞しく育てられた生徒によって「確かな伝統」が引き継がれていきます。そう考えると、現状を当たり前だと考えてしまうこと(習慣)が本当に望ましいものなのかどうかを全員で振り返ってみることが大事であるように思います。

まずは Time on task で見通しを立てる

多くの学校では、Task on time の考えをベースとし、年間指導計画と教育計画に基づいて授業や行事、諸活動を考えます。時間は無尽蔵にあるわけではないので、あくまでも予定された時間内で終わることを目指します。教科書も年間指導計画に基づいて教えていきます。しかし、「1年間で教科書を終わらせる計画」になっていると、やがて「ノルマ」をこなすかのように事務的になっていきます。「どんな力を身につけるか」という目的を見失ってしまうと、時間内に終わらせることが優先され、目先のことばかり意識してしまうようになります。それが当たり前になってしまうと、「依存的学習者」(指示待ち、言われたことしかしない)が育ってしまいます。

Task on time の考え方に慣れてしまうと、終わらせること、形を整えることが目的になってしまうことがあります。仕上げることをノルマのように感じてしまうと、思い通りに進まない時はイライラするようになります。つい、教師が余計な介入をしたり、子どもに任せておきながら、待てずに説明をしてしまったり、指示が多くなったりします。

「子どもたちの主体性を育てたい」という思いとは裏腹な指導が増えると、やがてそれはストレスになります。愚痴(せっかく〜したのに、〜してくれない)や言い訳(今のクラスではできない)が頻繁に出てくるようになります。教師にゆとりがなくなるので、クラス全体がギスギスしてきます。

一方、Time on task の考え方は、task(単元最後の統合的な活動)で「つけたい力(最終到達目標)」を共通理解し、時間がどれくらい必要かどんな指導が必要かをまず考えます。無駄をなくし、本当に必要なことを徹底します

仕事の意義を考え、真に必要な内容を考え、不要なものを取り除こうとするので、自律的学習者(なりたい自分のイメージを持っている)が育ちます。授業でも、「教科書を全部終わっても力はつかない。むしろ、つけなければならない力が身に付くように徹底したい。そのためには、指導する内容の軽重を図らねばならない」と考えます。

強い部活動や競技団体の指導者は、この Time on task の考えに基づき、選手がどんな状態になればいいかをゴールとして想定し、そこから逆算して練習内容、その時期、対戦相手の選定などを行なっています。

Time on task の考え方を持っていると、本当に大事な部分を焦点化するので、無駄な部分をカットし、欲張ることがなくなります。時間に汲々とすることがなくなり、焦ったり、慌てたりすることがなくなります。さらに、最初に「育った姿」を思い描くので、子どもたちの小さな変容にも気づけるようになります。具体的に評価できるようになり、子どもたちを褒める機会も増えていきます。クラス全体に笑顔が多くなります。

Task on time から始めてしまうと、「終わらせる」ことが目標になるので、時間をどう節約するか、どう簡単に済ませられるかという部分に関心が向かいます。ものごとは、まず Time on task から取り掛かることが大事です。それによって、本当に必要なこと、必要な時間を考えようとするようになるからです

実際の授業では、どこをどう Time on task にすれば良いか

授業ではどうすればいいかがを考えてみましょう。最もイメージしやすいtaskは、学期の最後に用意されている「統合的な言語活動」です。小学校では、Check Your Steps (New Horizon Elementary) , You Can Do It!  (Here We Go!), Jump (Crown Jr.), Let’s Check (Junior Sunshine), Final Activity (One World Smiles), Review (Blue Sky elementary) がそうです。

中学校は、Stage Activity (New Horizon), Our Project (Sunshine), Project(One World),Project (New Crown), You Can Do It!(Here We Go!), Project (Blue Sky)となっています。

外国顔の学習で望ましいのは、次のプロセスです。

それぞれの学期の最初に、これらの統合的な言語活動をゴール(山の頂上)として子どもたちに示し、単元ごとに何を身につけていけば、そこに到達できるのかというイメージを持たせることです。

必要なのは、子どもたちに学期の最初に渡しておく「子ども用のCan-Do」です。学習指導要領に書かれている「つけなければならない力」を「1分間に」「3分間で」「150/wpmで」のように数値目標も入れて具体的に示します。

さらには、パフォーマンステストや定期テストの設問とどうつながるのかという「予告」もしておかねばなりません。それによって学習の見通しが生まれ、主体的に学習に取り組めるようになるからです。それもなく、最初の単元から順に「言語材料と語彙」を、まるで座布団を重ねるように積み上げていくだけでは、「何のために」が意識されず、少しずつ学習意欲が減退していきます。

そこで、例を示します。1時間ずつバラバラに考える(実際、教科書はそのように作られていない)のではなく、単元全体をストーリーとして考え、全体構想をしっかりと作ることが肝心です。

①  まず、Time on task で「task = 仕上がったもの」(育った姿)を想定する。単元や学期最後の project   のゴールを確認する。

②  task を完了するのに必要な時間(time)必要な練習、活動を考える。それを加味した「単元計画」を作る。(教科書会社が用意したシラバスではなく、教師自身が、生徒の興味・関心や自分の強みを活かした単元(軽重の「重」扱い)を学期に2〜3つほど選ぶ。 そこでは、出力が「技能」として定着するまで時間をかけて取り組む。逆に、それ以外は「軽」として軽く扱う単元とする。 “Task on time” の考えに立ち、自分が決めた時間で「task = 今回は単元計画」が終わるように、不要な活動(教師の長い説明、プリント、欲張って作ったスライドなど)を削除する。次に、デジタル教科書のどれを丁寧にやり、どれを軽く扱うか(または、後でまとめてやるか)を考える。

③ 単元の最初に「3段階程度のルーブリックが入った生徒用CAN-DO」(英語検定や定期テストの設問と繋がっているもの)を作成し、それを見せながら見通しが持てるようにする。

教師の頭に描くゴール(育った姿)が違っていると、子どもたちの育ちが大きく違ってきます。

外国語は、体育や音楽と同じ技能教科です。単語や文法はあくまでも「枝葉」の部分であり、むしろ、幹となる「4技能5領域のスキル」が身につくように「理解⇨練習⇨言語活動(定着)⇨人前で発表」というプロセスにすることが大事です。それに必要な活動とその時間(特に練習の後の言語活動を確保する)を洗い出し、カットしなければならないこと(教師の長い説明、必要がないプリント)を考え、デジタル教科書で扱う内容を精選することが必要です。それが「カリキュラム・デザイン」です。「カリキュラム・デザイン」のねらいは、教師のやりたいことを「足し算」していくことではなく、既習内容を有機的に活かし、重複をなくすなどの「引き算」をしていくことです。

勘違いされている「年間指導計画」と授業の「単元計画」

教科書は「学力をつけるための手段」であって、ゴール(終わらせるためのもの)ではありません。終わっていないと生徒や保護者からクレームが来るのではないかという不安を感じ、全てを網羅的に扱おうとすると、どれも中途半端になり(内容が薄まってしまい)、逆に定着度が低くなってしまいます。

子どもたちの実態を踏まえ単元の中で端折ってもよい部分他の単元に回した方が、比較・分類ができ、理解度が深まる(不定詞、比較表現、現在完了、関係代名詞など)と考えられる部分を洗い出すなど、教科書全体をコーディネートする力を身につけなければなりません。それは学習指導要領を読んでいないとできません。

平成6年に、オランダを訪問したとき、職員室で話をした教師たちが生き生きと「自分はこの教科書を選んだ。この良さは・・・」と語っていました。日本ではそのような話を聞くことはありません。自分で選んだ教科書を使って、国が設定したナショナル・カリキュラムの目標に到達させるとなれば、教師自身の指導力と責任が問われます。言い訳はできません。授業を拝見し、生徒たちが即興で堂々とディベートを行っている様子に驚嘆するとともに、オランダがTOEFLの平均スコアが世界一(当時)であることに大いに納得しました。

私は、教科書の編集(光村図書のCOLUMBUS 21、開隆堂SUNSHINE ENGLISH COURSE)に25年間関わってきました、教科書はある意味、いかに採択されるかが勝負なので、どのページも情報が「てんこ盛り」です。本当は余白を作った方が学習者にとってはとっつきやすいのですが、残念ながら真逆になっています。(実際、学習指導要領で扱う内容が多すぎるのですが)教科書採択のためには「見栄えの良さ」は重要な要素となります。多くの場合、それが本文のキャラ(アニメ風)であったり、豊富な写真であったりするわけです。

本来、子どもたちの読解力を育てたいなら、情報は必要最小限にすべきです。たとえば地図や子どもたちが見たことのないものを紹介する写真などに限定することです。読む前から内容がわかってしまうようなイラストが入っているのは感心しません。しかし、中には下位の生徒に合わせた「丁寧すぎる描写」を求められる方もおられます。授業での課題も下位の子に焦点を当てた簡単な内容なので、上位の子が物足りなさを感じています。学校は、子どもたちを鍛える場所なのですから、教師が「1から10まで教える」のではなく、中1なら「7教えて3を任せる」中2は「5教えて5を任せる」中3は「3教えて7を任せる」というような方針を持っていることが大事だと痛感します。

鍛えるには、自由度を高めることが大事です。たとえば、読解力を高めるためには、イラストもない真っ白なページを作り、内容を想像させて絵を描かせるような取り組みが有効です。一度、編集会議でそれを提案したことがあったのですが、「そんなページを作ったら売れません」「落丁と間違えられます」とやんわりと却下されました。私は、現場にいた時、「ここはしっかりと読み取らせたい」という単元の本文(他社の教科書から)をパソコンで打ち直し、それを使って授業をしたこともありました。子どもたちは、実力テストの時のように、なんとか「自分の力」で読み解こうと夢中になっていました。

教材や指導で「丁寧さ、わかりやすさ」にシフトしてしまう考えは、「教師は教える、生徒は覚える、覚えたことを使う(テストで評価する)」という学習プロセスから生まれているように思います。もっと学習者自らがクイズのように「負荷」を楽しめるようにすれば、「まずは自分の力で」と考える自律的学習者が育つはずです。

密室(他の大人がいない学習環境)で、自己流(無知のまま)で授業をやっていても力はつきません。授業をどう進めるか、デジタル教科書をどう使うかといった指導法ではなく、ゴールを設定し、自分の授業の現在地を客観視できる力こそが、クラスの子どもたちを伸ばすことができるのです。

つまり、他の教師の授業を見たときに、学習指導要領に書かれている目標とどうつながっているのかを読み解き、学べる点、疑問点(協議会で深めたいこと)を述べられる力を身につけることが大事です。

教科書の「骨格」(フレーム)を知らなければ、正しい指導はできない

まず、教科書の「骨格」(フレーム)を理解することが不可欠です。車や電車などの乗り物でも、最も大切なのはフレーム(車体の基本構造)です。それが強固でないと事故につながってしまうからです。教科書の最初に「教科書の使い方」というガイダンスが載っています。大事なのは、各学期の最後に用意されている統合的な言語活動(竹の節)をあらかじめチェックし、何ができればいいかを知っておくことです。

教科書の編集著者たちが教科書を作るときは、まず、学習指導要領を徹底的に読み込み、「つけるべき力」が何かを理解をします。そして、3年間を通してどう言語を習得させれば効果があるかを踏まえ、全体の文法配列を考えます。それが決まると、次に用意するのは「学期の最後に行う統合型のプロジェクト」です。それを3年間分考え、ストーリーのようにつなぎます。さらに、より円滑なインタラクション(コミュニケーションの土台)を可能にする「コミュニケーション・スキル」をその前に配置します。たとえば Sunshine English Course(開隆堂出版)ではSteps、ONE WORLD(教育出版)の Tips がそうです。これには、マッピングやマンダラートなどの思考ツールも含まれています。さらに、生徒の発達段階、学習履歴を踏まえながら、系統性、一貫性を考えて用意します。

これを「言語材料も語彙も入っていないから」とスルーしてしまうと、生徒は話題を広げることも、内容をつなげることも、即興で質問をすることもできなくなります。言語材料や語彙といった知識だけでは、情報や意見のやり取りはできません。

Stepsで学んだことをルーティンとして「帯学習」に入れていけば、関連することを連想できるようになるので、相手が I like tennis.と言ったときに、Oh tennis? と関心を持って言い、さらに I know OSAKA Naomi. と続け、Who is your favorite tennis player? とか How often do you play tennis? と聞けるようになるのです。

教科書の編集著者たちが本文を書くときは、暗黙の了解で本文の量をできるだけ抑えようとする傾向があります。それが多いと学習者の負担になり、文科省の教科書検定で通りにくくなるという考えからです。

ですから、本文を唐突に感じることがあるとすれば、それは当たり前のことであり、編集著者たちは自然な文脈のなるように多めに本文を用意し、その後、全員で一定の量に収まるように「編集(削減)」しているからなのです。

しかし、これは紙面の関係で仕方のないことであり、そのことに目くじらを立てるのではなく、本文の「不自然なところ」や「唐突な始まり方」を見つけて突っ込めるような子とも、自然な流れを考えて地の文やセリフを付け足せるような子どもを育てるために、本文を「創造的」に扱っていただきたいと思います。それこそが教師の「腕の見せ所」です

たとえば、教科書では紙面(紙幅)の関係で、英文は余白行を作らず、途中で言い淀むはずのところも続けて表記されています。子どもたちに、「ここにこんな文が必要ではないか」とか、「自分だったらこんな文を入れる」という考えを発表してもらうのです。受け身で暗記を強いられる学習から、主体的に間違い探し(クイズ)を楽しめるように、授業を「参加型」に転換するのです。ということは、プレゼンテーションソフトで作られたスライドのように、プロトタイプ(原型)でできている教科書を自在にカスタマイズする(実際に自分が使いやすいように、部分的にアレンジをする)ということです。(customize については、別項『“Voice” を大切にする教育とは? – 生徒の voiceを育てる5つの「- ize」』を参照)

デジタル教科書や Movie Maker などで作ったコンテンツは Ready madeで手を加えることはできません。しかし、パワーポイントなどで作られたプレゼンテーション・ソフトなら、生徒の実態に応じて、どれだけでも手を加える(編集する)ことは可能です。

“Voice” を大切にする教育とは? – 生徒の voiceを育てる5つの「- ize」でもご紹介しましたが、「授業で使える教材」はパワーポイントで作ってあるので、部分的に「写真」を入れ替えることも、スピードを変えることも自由自在にできます。つまり、自分で編集したものは「自分の教材」としてこだわりが生まれてきやすくなるのです。教科書も同じ発想で「アレンジ」をすることが可能です。

若い時は、Everyday English(中教出版)が大のお気に入りで、採択されている教科書の内容をよりワクワクする内容にするためにアレンジして使っていました。

やがて、全ての教科書を購入し、研究授業をするときは、全ての教科書を横に並べて、どんな「統合的な活動」(当時はどの教科書にも載っていませんでした)が可能かを考えました。こうして、複数の教科書を見ていると、いろんなアイデアが浮かんでくるようになったのです。それが、光村図書のCOLUMBUS 21CHALLENGEに、そして開隆堂出版の Sunshine English CourseMy Projectへとつながっていったのです。

「ことば」は場面でしか意味を持たない (Do you have a pen? の答えは Yes, I do. / No, I don’t.とは限らない)

言葉は場面でしか意味を持たない」(たとえば、Do you have a pen? の答えは場面によって違う)のに、場面を無視した、ショーウィンドウに飾られたマネキンのような英語を教えているとどうなるでしょう。例えば、次の(A)と(B)2つの英文は、いずれもそのまま続けて読まれるのではないでしょうか。

(A)

Guest : Excuse me, will you explain today’s lunch special please?

Waitress: Sure. Today’s special is …

(B)

Mother : Here you are. It’s a Christmas present from your grand mother.

Daughter: Wow, thank you! How pretty!

Mother : It’s a book of story about Christmas.

しかし、それは明らかに間違っています。(A)では、waitressはその場にいませんExcuse me,と手を挙げて呼んだのです。だとすると、その後のwill you から後の部分はwaitress がそばに来るまで待ってから言わなければなりません。ですから、本来は次のようになります。

Guest : Excuse me!

    ( Waitress comes up to the guest. )

Guest : Will you explain today’s lunch special please?

Waitress: Oh, sure. Today’s special is …

つまり、教科書では演劇の台本に必要なト書きの部分が抜けているのです。その後、Guestは注文をしますが、Waitressはすぐに Would you like a drink? とは聞きません。注文票に書き込む時間が必要です。それを子どもたちに考えさせるのが教師の仕事です。茨城県の守谷市でこのお話をしたところ、すぐにピンとこられた先生が、「ト書き」を生徒に考えさせてから「私の考えた場面」を演読(声優、語り部になりきって読む)するという実践をされています。生徒の音読の質が「劇的空間 before / after」のように変容しました」と興奮気味に話しておられました。何度も言いますが、「やるか、やらないか」だけです。やればできるようになります。

(B)でも、プレゼントをもらってすぐにHow pretty! ということはあり得ません。クリスマスプレゼントが裸で渡されることはなく、包装紙を開ける時間(5秒程度)が必要になります。もちろん、包装紙を見て How pretty! という場面もあるでしょう。しかし、Daughterがプレゼントを開けるのを確認してからでないと It’s a book of story about Christmas.とは言えません。 開ける前に言ってしまうと Daughter は憤慨します。

ドラマは、Pinch and Ouch! のタイミングで言葉がやりとりされます。Pinch(つねる)と”Ouch!(痛っ)”は同時には言いません。しばらく時間が経ってから言うこともありません。相手との距離や心情なども考慮しながら、リアルタイムでやり取りをします。それが「間」を考えるということにつながります。それは、コミュニケーションにおける必然性、自然さ、レアリアとなります。その途端、音読が「ごっこ遊び」(空虚な Repeat after me.)ではなくなります。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント