NHK「朝イチ」の「テキトー会話!事件簿」(2025,1月8日)より
NHK総合「あさイチ」をご存知ですか。「NHK 朝の連続テレビ小説(朝ドラ)」の後に放送されている生活情報番組です。初代のキャスターは有働由美子アナウンサー、いのっち(元V6の井ノ原快彦)、柳澤秀夫解説委員でした。2代目のキャスターは近江友里恵アナウンサー、博多華丸・大吉さん、、そして現在3代目のキャスターは鈴木奈穂子アナウンサーです。
2025年1月8日の特集は、「テキトー会話!事件簿」というものでした。知らず知らずのうちに、相手を傷つけてしまう言葉遣いがあるということで、いくつか紹介されていました。たとえば、関心がないようなトーンで2回同じ言葉を続けるのはNG。たとえば、「はい、はい」と受け流していると、話している方は本当に伝わっているのかどうか不安になります。
さらに、「朝イチ」では、若者が作った「造語」も取り上げていました。これも、知識として知らなければついていけないということでした。「なるほど」と思ったので、これもご紹介しておきます。
若者の「造語」から学べることとは
若者が、自分たちの「共通言語」として造語したのが次のような言葉です。若者たちはいつの時代も「造語」を楽しんでいるようです。「朝イチ」では、次のように10年ごとに分けて若者言葉を紹介していました。皆さんはどれくらいおわかりになりますか。
◆1980年代 一気、一気! 裏技 キャピキャピ 激辛 超◯◯ 爆睡 プッツン ブリッコ マジ ルンルン(気分)
◆1990年代 イケてる ウザい かっけ キレる コクる 自己中 ソッコー トンデモ マイブーム リベンジ
◆2000年代 ありえない 上から目線 ガチ 空気読めない(KY) ハンパない ヤバい 萌え
◆2010年代 エモい 草(www 笑いの意味) 鉄板(ネタ) ドヤ顔 ばえる モヤる ラスボス ◯◯ロス ワンチャン
◆2020年代 一生(寝てた) ◯◯ガチャ かわちい きまず ◯◯構文 〜しか勝たん チルい ぴえん 闇落ち
どうでしたか。「ああ、聞いたことがある」と思われたのではないでしょうか。ちなみに、私は、1980年代から2010年までは大体わかりましたが、2020年代のものは「◯◯構文」以外、全くちんぷんかんぷんでした。生徒(学生)を相手に授業をしていないと、生徒の声が聞こえてこない。だから、使われている言葉が身近にならないのだということを痛感しました。
若者言葉は時代と共に生まれ、消えていく文化と捉えれば、目くじらを立てることもありませんが、次のような対応は相手をいやな気持ちにするようです。
それは、相手に対して、つい上から目線で言ったり、自論に固執して「でも」とか「だから」とか「要するに」と言って相手を遮ったりすることです。残念ながら、教員は、このような言葉を無頓着に使ってしまうのだそうです。逆に、「なるほど(ね)」「確かにそうかも」「一理あるね」「あぁ、わかる気がする」「つまり、〜ということだね」のように返すことで、相手は心を開いてくれるのだそうです。ベースにあるのは「受容」の姿勢です。
「対話」と「会話」はどう違うのか?
「対話」では、あるテーマに基づいて意見を述べますが、「会話」は目的やゴールは存在しません。「英会話」という言葉はありますが、「英対話」という言葉はありません。しかし、残念ながら授業ではこの違いが曖昧に捉えられているようです。では、英英辞典(COBUILD)、国語辞典(大辞林)に載っている定義をそれぞれ確認してみましょう。
「対話」は 英語で dialogue 、「会話」の方は 英語で conversation です。それぞれの定義は次のようになります。
Dialogue is communication or discussion between people or groups of people.
If you have a conversation with someone, you talk with them, usually in an informal situation.
対話: 双方向から向かい合って話をすること 会話: 二人または数人が、互いに話したり聞いたりして、共通の話を進めること
日本語、英語のそれぞれの定義で説明されているように、「会話」はインフォーマルで気軽に日常的に行う情報交換であるのに対して、「対話」は目的に応じて、互いの考えや価値観などを掘り下げていきます。つまり、「対話」の中で、人は自身を客観視しながら、潜在意識として持っている考えを言語化(外在化)させていくのです。
「対話」のある授業は、教師からの問いに生徒が考えて答えるという形で進めるものです。ゴールがあり、それに向けて導かれるものです。しかし、それが形骸化してしまうと、対人関係が固定されたやり取りになりがちです。
一方、「会話」のある授業は、自由度が高く、教師と生徒との生活経験や既習内容を活かしたインタラクションが多くなります。相手を尊重する気持ち、互いの信頼関係が不可欠になります。生徒同士のチャットや small talk がそれにあたります。「会話」は informal なので心地よさが続きます。ちょうど、ピンポンやキャッチボールをするときに、相手が受け取りやすい球を返すように心がけることに似ています。また、相手の話のキーワードを捉えて、その言葉を繰り返したり、それに関する質問をしたりすることで、相手はちゃんと聞いてくれていると安心をします。唐突に「ところでさぁ」と話題を変えたり、無表情で聞いていたりすると、相手は心情を害してしまいます。
授業では、この「対話」(相手や話される内容に関心を持って掘り下げる)と「会話」(自由度が高い)とを融合させたインタラクションを日常化させるようにすれば、子どもたちの集中度が違ってきます。授業でそれが活かされるのは「推論発問」(inferential questions)と「評価発問」(personal questions)の場面です。
「推論発問」とは本文には書かれていない情報を読み取ること、たとえば、場面から聞こえてくるであろう音を類推する、読む時に「自然な間をとるとしたら何秒くらいか、そしてそれは何故か」を考えることです。そして「評価発問」とは、著者の主張に対する自分の考えや登場人物について自分が考えたことなどです。
「事実発問」(fact-finding questions)ばかりの授業では、教科書に書かれている内容が中心になるので、「自分ごと」にはなりません。TTの授業であれば、単元全体を通して、日本人教師は「事実発問」(fact-finding questions)を考え、ALT(NS)は「推論発問」や「評価発問」を考えるようにします。すると、どこでどの発問を用意するか、全体をどうコーディネートするかを話し合う必然性が生まれてきます。授業では、教師と生徒の間で、TTでは日本人教師とALTとの間で「対話 ⇔ 会話」が生まれてくるのです。
「述語」が、相手へのメッセージになる
授業でも、教師の言葉が子どもを知らず知らずのうちに傷つけてしまうことがあります。次の AとBのどっちの言い方が心地よく感じられ、どっちの言い方が嫌な気持ちになりますか。
A 頑張らないと合格できないぞ! B 頑張ればきっと合格できる!
きっと、多くの方は B の方を心地よく感じられるでしょう。A は脅し、説得型です。B は励まし、納得型です。人間の脳は、最後に言われたこと(文の述語)が残ってしまい、それをメッセージとして受け取るという特徴があります。つまり、述語がネガティブな言い方か、ポジティブな言い方かによって、人は内容そのものよりも、自分に対して期待しているのか(ピグマリオン効果)、それとも「難しいだろう、多分できないのではないか」(ゴーレム効果)と考えているのか、といった相手の心情を読み取ってしまうのです。同じことを言っていても、素直にそうしようと思えるか、それとも反発を感じてしまうのかは、最後の言葉で決まってしまうということです。
全国、様々なところで研究授業を拝見しますが、サロンのように明るい雰囲気のクラスとどんよりと暗い雰囲気のクラスは、担任の話し方が影響していることが多いようです。
暗い雰囲気のクラスでは、担任の先生は、Aのように子どもたちを過小評価し、「先輩もよくつまずいていた」「合格したのは3割だけだったぞ」というように意気消沈するような言葉を頻繁に使っています。そんな生徒たちですから、廊下で会ったら「こんにちわ」とは言いますが、ノルマのような言い方です。
一方、廊下で出会う生徒たちが笑顔で元気よく挨拶をしてくれる学校では、先生方の言葉かけがポジティブで、「大丈夫、思い切ってやってごらん。きっとできるから」「何事も経験!」と促したり、「ありがとう、助かったよ」と子どもに感謝をしたり、旬のタイミングで褒めたりしています。
「SOS」が癖になった言い方から「3つのK」を活かした言い方へ
以前、このHPでもご紹介しましたが、次のような「 SOS 」が教師の習癖になっている場合、クラスは冷え切った雰囲気で、こどもたちは依存的な姿勢(言われたことしかしない)で授業を受けています。

では、「3つのK」とは何でしょう。

3つのKは、それぞれ「自己決定」の要素があるということに気づかれたでしょうか。一方、SOSの方は「上から目線」「上位下達」になっています。「会話」となるように、自由度を高めること、そして相手に時間を与えて、判断を委ねることが大事だということがわかります。
すぐに取り掛かる前に、まずは「定義」を確かめてから
「対話」と「会話」の例のように、目的や違いを曖昧にしたまま学習を進めると、成果は上がりにくくなります。まずは、何かを始める前に、言葉の「定義」を確かめておくことが肝要です。教師が「わかっているつもり」で、曖昧なまま指導をしてしまうと大変なことになります。次の単語は中学校で学ぶものですが、正しく発音できますか。実は、大学生たちのほとんどが「中学校で Repeat after me. で習った発音と違っていた」とショックを受けたものばかりです。教師がいい加減な知識で、自分が中学校で Repeat after me. で習ったまま教えてしまうと、間違えた情報(嘘)を教えることになってしまいます。

正しい発音は、この項目の最後に載せておきます。きっと驚かれるのではないかと思います。
あなたの学校の取り組みは「協働」、それとも「共同」?
文科省が学習指導要領の中で使われている文言を「わかったつもり」ではなく、国語辞典で定義を理解しておくことが大事です。そうでないと、途中から解釈の違いにより、学習指導要領とは全く方向違いの場所に向かってしまうからです。いくつかあげてみましょう。
まず、「主体的」です。これは「自主的」とどう違うのでしょうか。続いて、「協働的な学び」と言われていますが、「協働」と「共同」の違いを説明できますか。同じく、学習指導要領では「活用」が使われていますが、「応用」との違いは説明できますか。まずは、学習指導要領に書かれている「主体的」と「自主的」の違いから見ていきましょう。
自主的:他人の干渉や保護を受けず、自分から進んで行動するさま 主体的:自分の「意志・判断」によって行動するさま
自主的とは、やることが決まっており、それを人に言われずに行う様を言います。学級の当番活動や教師から与えられた課題や宿題への取り組みに当たります。主体的とは、目的を理解し、自ら設定した到達目標に向けて自己調整を繰り返しながら努力する様を言います。探求学習がそうです。
共同:一つの目的のために複数の人が力を合わせること。 協働:(学習指導要領で使用)互いに作用し合い、また(良い)影響を及ぼし合うこと。共働。
「共同」の方は、どちらかというと仕事を終わらせるために「分担作業」を行うというイメージです。ですから、後から「こんなはずではなかった」と慌てるというケースが多いようです。一方、「協働」の方は、良いものにするために最初にゴールを共有しておき、途中でもサポートし合います。最後は達成できた喜びを共有し、互いに感謝し合います。
応用 : 理論やすでに得た知識を、具体的な個々の事例や他の分野の事柄にあてはめて用いること。また、相手やその場の状況に合わせて変化させて用いること 活用 : 物の性質・働きが十分に発揮できるように使うこと。うまく使うこと。
応用は、正しい「知識」の獲得によってなされます。一方、活用の方は「こうすればいいのでは?」という閃きが生まれたり、「知恵」が活かされたりします。「応用問題」はよく聞きますが、「活用問題」とは言いません。「活用」には「問題解決」の意味がすでに入っています。だから「問題」は後にっつきません。「応用問題」を用意するのは誰でしょうか。指導者です。応用できるかどうかを確かめたいのは教師です。問題解決をするのは学習者です。実際に使えるようになったかどうかを知りたいのは学習者自身です。
最後に、教師と生徒の間になくてはならない「信頼関係」について取り上げます。「信頼」と「信用」の違いについて確認しておきましょう。次のように考えるとわかりやすくなるように思います。
信頼(信頼すべき筋、信頼性、信頼度)
🔹長い付き合い、一緒に何度も仕事をしたことがある→自分の感覚から主観的に信頼できる。英語ではtrust。Trust me.(私を信じて任せてくれ)
◆人間性に問題がある、ムラがある → 信頼できない
信用(信用貸し、信用金庫、信用取引)
🔹校長先生、社長、警察官→立場(役職)や過去の仕事などから客観的に信用できる。英語ではcreditability。credit card は「信用」に基いて発行。
◆ 嘘をつく、言い訳をする → 信用できない
このように「定義」を確かめてみると、「わかったつもり」はとても危険だということがわかります。私が校内研修で関わっている学校では、職員会議や学年会に出される資料は、担当者が責任を持って「使われている用語(特に学習指導要領に使われているもの)の定義」を国語辞典で調べ、枠で囲んでそれを明記しておられます。こうすれば、いい加減な(自己流の、自分勝手な)読み取りが無くなります。常に「何のため」を確かめ、「どんな意味か(何をすればいいのか)」を確認しながら実践に当たれます。
いかがでしたでしょうか。教師がレールを敷いて進める行事や授業ではなく、「協働的な学び」を活かし、学習者が学んだことを「活用」できる(自分で組み合わせられる)行事や授業。そして、「会話」の自由度を活かした真摯な「対話」を心がける。そして、「主体的な学習者」(自律的学習者)を育てる。それが私たち教師に課せられた「責務」(教師として責任を持って果たさなければならない事柄)です。
最後に、発音の答えあわぜをしてみましょう。以下が正しい発音(発音記号)です。

残念ながら「アゲイン」「アローン」「ビヨンド」「ロンリー」「リアリー」「ディクショナリー」はいずれも間違った発音です。それを「伝言ゲーム」のように、間違えたまま教えているー。そして、後から正しい発音を知った学習者たちは愕然とする。このような理不尽なことをなくすために、教師が事前に辞書で「正しいかどうか」を確認する「手間暇」を惜しんではいけないと考えます。これは「働き方改革」とは次元が違います。教師の専門性が「怪しい」という状況が生まれれば、「信頼」も「信用」も失ってしまうことになるからです。