🟠 活用できるためには「学び方」と「考え方」を教える

あまりに多くのことを教えるなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし (ホワイトヘッド)

以前、学習指導要領がゆとり教育にシフトされた時、中教審の答申(平成14年)では、ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead,英国の哲学者)の言葉が引用されました。

(引用はじめ) 「第2部  学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方 第1章  これからの学校教育の在り方  [2] 教育内容の厳選と基礎・基本の徹底」より/ 基礎・基本については、一人一人が確実に身に付けるようにしなければならない。豊かで多様な個性は、このような基礎・基本の学習を通じて一層豊かに開花するものである。この意味で、「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底的に教えるべし」というホワイトヘッド(1861-1947  イギリスの哲学者)の言葉を改めてかみしめる必要がある。(引用終わり)

趣旨は、精選よりもむしろ厳選すること、獲得できるまで何度でも繰り返すこと、知識そのものを与えるのではなく、「考え方」や「学び方」を会得することを目指すべきだというように捉えられます。決して「量」を減らすことを推奨しているのではなく、実際に身につけなければ使えるようにはならないと警鐘を鳴らしているのだということを忘れてはいけないと思います。これは、今のようにAIが主流となりつつある時代であっても言えることです。

知っていることが大事なのではなく、知識をどう「知恵」にまで高められるか(自分で活用できるかどうか)です。教師の用意した「問い」の答えを考えるのではなく、課題に対して、それをどう解決していくのか、自分の考えとその根拠を具体的に述べられるかどうかです。

授業で、ChatGPTや Google翻訳、DeepLをどう使うかと言うことが話題になっていますが、「答えを見つけるため」や「代筆をさせるため」に使うのではなく、自分の「学び方、考え方を磨くため」に使うことが大事です。「教科書ガイド」もむやみに否定するのではなく、使い方次第では「自学」にすることができます。要は使う目的です。教科書を終わることが優先されるのではなく、身についた「知識と技能」を活かして「思考・判断・表現」できる生徒を育てることが大事であることを忘れてはいけません。

生徒が知識を「活用」できるために、教師がなすべきこと

いくら「知識」があっても(知っていても)、場面で的確に使えない、目的に応じた適切な使い方ができないのでは意味がありません。様々な「言語活動」を通して、情報や意見のやり取りが生まれるようにし、仲間との協働学習の中でそれを質的に練り上げられるようにすることが問われます。今の授業が、教科書を「どう教えるか」という本質とは異なったベクトルである場合、早めに修正をしていく必要があります。

ホワイトヘッドの言った「あまりに多くのことを教えることなかれ。しかし、教えるべきことは徹底して教えるべし」の「教えるべきこと」とは、ずっと人生で使えることです。それは、自分にとって役に立つ、または仕事に不可欠な「知識」と「技能」(一旦、身につけたら生涯において使える)です。

ホワイトヘッドのように「指導の軽重」を考えている教師は、「教科書の内容を全て教えなければならない」とは考えず、むしろ「英語学習の基礎体力」となることを徹底的に身に付けさせています。たとえば、次のようなことです。

Shadowing(① Eye shadowing– 声に出さず、目で追いかける方法、② Prosody shadowing-音だけを丁寧に追いかけそのまま繰り返す方法、③ Content shadowing-意味を考えながら追いかける方法、④ Silent shadowing – 声を出さず、口パクで追いかける方法、など)を場面に応じて使う。

Repeating(人間が一気記憶できる7語程度の長さを基本として、そこまでを読み、またはカンマまでを読み、相手は何も見ないで繰り返す)の指導を行う。Shadowingと違って、内容を理解できていないと繰り返せない。

今までに習った「基本文」を徹底的にマスターする。B5判、またはA4判の真ん中で山折ができるワークシート(左に英文、右に日本文。ただし、主語が入っていない口語体)を用意し、ペアで毎時間の帯学習でそれをやる。「英語→日本語、日本語→英語」を高速で言えるようになれば、今度はそれを使って身近なことを英語で書けるようにする。確認の小テスト(並べ替え、間違い探し、穴埋めなどのバリエーションを作る)も適宜行う。

新出単語の指導であれば、通常、家で調べる場合、時間をかけることを面倒がり、翻訳ソフトを使ったり、辞書の最初の意味だけを写したりして終わる。これでは必然性もわくわく感も出てこない。学習者の脳にインパクトを与えるには、ジュニア版の英英辞典の定義(文脈で示されている)をクイズのように、マスキングで一つの単語(それがないと伝わらないようなキーワード)を隠して考えさせるようにする。さらには、その定義を自分が理解した後は、それを再生できるように絵や写真だけを見ながら、またはジェスチャーなどを使いながらぶつぶつ言ってみるといった指導をする。

抽象語については、自動化できるようになるまで、パワーポイントなどを使い、高速で「英語→日本語」「日本語→英語」に直す練習をする。(この部分はペアの活動にはしない。いい加減になりやすい)

学んだ新出単語をノートに何度も書いて覚えるという無機質な学びではなく、それぞれの単語を使って自分の身近なことを表現する(文脈を考えながら、3文で書く)。そして、生徒たちが書いた3文の自己表現はタブレット端末から教師に送らせ、その中から「これは紹介したい」というものをまとめて全体に示す(名前を出すかどうかはクラスの実態次第)。このような「往還」を継続的に行っていくことは時間(手間暇)がかかるが、生徒の力は確実に伸びていく。

ペア・チャットやインタビュー・マッピングなどで「言いたいのに言えなかった単語」は必ず印をつけておき、終わってからすぐに辞書で調べる。そして、その正しい発音を確認し、My Dictionary(小さなノート)に書き込む。なぜなら、また同じようにその単語を使う機会が出てくるからである。生徒はMy Dictionaryを必要に応じて見ながらチャットやインタビュー・マッピングをする。教師は、しばらく経ってから、生徒に「私の推しの単語(またはフレーズ)5つ」を選んで紙に書いて提出をさせる。それをまとめて(名前は書かずに)一覧にし、生徒に配る。「あっ、これいい」「これ、使えそう」「いいね、これ」という声が飛び交い、早速、自分のMy Dictionaryに書き込み始める。このようにすれば、「使いたい」という必要感が生まれる。やがて語彙が自然に入力されていくようになる。

読まれて、もうお分かりのように、全てを「出力」につなげています。つまり、「基礎体力」とは教科書を一通り学ぶことではなく、input for outputになる(出力を想定して入力をすることで、intake, uptakeが加速される)ということなのです。

人生のベースになるのは「考え方」であり「学び方」

「外国語学習における「漆塗り」とは?」https://nakayoh.jp/2025/01/07/ で、元文科省の山極 隆視学官の言葉を紹介しました。それは「その人にとっての基礎・基本とは、ずっと覚えていること、ずっと続けていることである」ということです。私は、それこそが「考え方」、「学び方」であろうと思います。

アルキメデス、ニュートンと並んで、最も偉大な数学者の一人と言われているドイツのヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスが「学び方」について、次のように言っています。

学び方」とは、知ることではなく「学びとる」こと、存在することではなく「到達する」こと、所有することではなく、「獲得する」こと

かぎ括弧の中の「学びとる、到達する、獲得する」という述語は、いずれも誰かに「教えられる」のを待つのではなく、必要があるからこそ自ら動き出して「学ぼう」とする姿勢が読み取れます。

ホワイトヘッドが、「教育」について言っていることがあります。まさに、今の学習指導要領が求めている3観点について述べています。

Education is the acquisition of the art of the utilization of knowledge.(教育とは、知識を活用する「技能」を獲得することである)

art を「技能」と訳させてもらいました。活用する(utilize)のは自分であり、それは「腕前」になるからです。そのためには、実際に使う場面を用意しなければいけません。あれもこれもと欲張って教えても消化不良になるだけです。テストの後はすぐに忘れてしまいます。「何のため」に学んでいるのか、それを使って「何ができるようになりたいのか」という目的があって初めて内発的動機付け(本当の学習意欲)が図られ、長期記憶が可能になります。順に積み上げる学習ではなく、「エラー」(つまずき)を反芻しながら学んでいくことが大事です。

「エラー(失敗)」が経験になることについては、HPの記事 Your Best Teacher Is Your Last Mistake. https://nakayoh.jp/2025/04/25/ でも述べましたが、ホワイトヘッドは、「エラー」について次のように述べています。

Error is the price we pay for progress.(失敗とは、進歩に対して支払われる代償である)

「いつも通り」ではなく、「進歩」(成長)を望むのであれば、「エラー」(うまくいかない経験)は私たちにとって必要不可欠な「足跡」(footprint)だと言えないでしょうか。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント