🪔「学びの灯をともす」── 学習意欲を育てる授業づくりとは?

◆ つまずきを越える“橋”をかける

学習とは、山道を登るようなものです。

時に急な坂に息が切れ、石につまずいて転びそうになることもあるでしょう。

そんな時、教師の励ましや仲間の手が「」となり、子どもたちは次の一歩を踏み出します。

その橋を支えるのが、「安心して学べる教室」という足場です。

そこに立つことで、子どもたちは挑戦する勇気をもてるのです。

◆ 意欲に火をともす授業の工夫

学びの種は、放っておいて芽吹くものではありません。

暖かな土、適度な水、そして陽の光があってこそ、芽は顔を出します。

ですから、次のような環境を整えることが大切です。

⚫︎見通し・仮説・計画・自己評価は、学習の「コンパス」。

 子どもたちに目的地へのルートを見せます。

⚫︎ 学習のしつけは、土台となる「根っこ」。

 目には見えないけれど、最も大切な支えです。

⚫︎ 発問は、未知と既知を結ぶ「かけ橋」。

 知っていることと知らないことをつなぎ、思考のジャンプ台になります。

⚫︎ まとめの時間は、「ゴール」ではなく「次のスタートライン」。

 知識を確認するだけでなく、それを使って新たな課題に挑む時間にします(例:条件付きクイズ、制限付き発表など)。

⚫︎ 自己評価は、内なる「」。

 自分を見つめ直す力を育てます。

◆ 「ひとりひとりの心に届く声かけ」を

教師の言葉は、子どもたちの心に届く“手紙”のようなものです。

ただし、その封筒は子どもごとに違います。

内容も、相手によって変わります。

  • 自信をなくしている子には、「できたこと」という名の小さな花を手渡します。花が咲いたことに気づくことで、自分の中に光を見出すようになります。「ほら、できたじゃないか!」「同じようにやってごらん」という言葉掛けは、彼らの背中をグッと前に押し出します。
  • 依存しがちな子には、「道しるべ」を示します。最初の一歩を横で見ていてあげること、一緒に歩いてあげることが、自立への扉を開きます。
  • 能動的な子には、「地図」と「羅針盤」を渡します。行き先を知り、自分で進む中で、判断のポイントや道の選び方を考えさせます。彼らにお節介は禁物です。
  • ほめるときには、「あなたをずっと見ていたよ」というまなざしが伝わるように。 「昨日よりも今日、どこまで成長できたのか」を具体的に伝えることで、ほめ言葉は“信頼”という名の土台の上にしっかり根を張ります。

◆ 「居場所」のある授業

授業は、ただ知識を受け取る“配達便”ではなく、「私の考え」が交差する“交差点”でなければなりません。学校の特質は、計画性と集団性です。

それぞれ、計画を立てて前に進みますが、果たして「集団で学んでいること」の意味を考えているでしょうか。集団訓練という意味合いばかりではありません。

多様性」は家庭で作り出すことはできません。授業は、仲間と協力しあい、時にはぶつかり合い、また時には立ち止まりながら、自分を客観視できるようになる旅路です。

ですから、次のようなことを意識することが望まれます。それは、

意見を言う場面、対話する場面、葛藤や交渉の場面を“意図的に”設定すること。

それがなければ、「自己」と「他者」が出会うことなく、学びは単なる情報集めで終わってしまいます。

◆ “考えること”は、心を耕すこと

人は、“今”からしかスタートできないこともあります。

しかし、目先ばかり見ていると、足元の石につまずいて転びやすくなります。

「どうせ自分はダメだ」と思い始めると、行動は鈍くなり、成果も出ず、さらに自信を失っていきます。

一方、「こうなりたい!」という思いから始まる人は、目指す山の頂きに向かって計画を立て、今できる一歩から始めます。強い願いがあれば、やがて“習慣”という翼を手に入れ、自律という大空へと飛び立つことができます。

「学ぶ」という営みは、簡単には実らない“畑仕事”のようなもの。雑草を抜き、水をやり、日照りにも耐えてこそ、「思考」という実が育ちます。教師の役割は、「種をまき、水をやり、時には揺さぶり(水を求めさせ)、待つ」こと。そして収穫を急がず、途中で振り返らせることです。

◆ 応用は”設計士”、活用は“大工”

応用」は、「知識の道具箱」を使いこなす設計士のようなもの。

活用」は、実際の現場でその道具をどう使うかを考える大工”のようなものです。

教師は、授業を通して、使うべき場面で知識を使いこなせる、そんな“知恵”を育ててやります。

子どもたちのポテンシャルは高く、彼らに委ねると大人顔負けの考えを示すようになります。学校で最もやってはいけないのは、教師が子どもたちを過小評価してしまうことです。教師が勝手に、「できないだろう、無理だ」とレッテルを貼ってしまうことです。

それによって、ワクワクできない(簡単な)課題や発問が用意されてしまいます。授業でクラスの雰囲気がどんよりと曇っているのは、やってみたい、挑戦してみたいという課題になっていないからなのです。

活用」させるためには、負荷が必要です。「活用」とは、新しい局面で今までに学んだことを組み合わせて自分で問題が解決できるということです。

たとえば、小学校5年生の平行四辺形の単元で、前の単元で学んだ三角形の面積の求め方を活かして、「あっ!わかった!」と顔をパッと輝かして補助線を引き、三角形と四角形に分けて、するすると計算し始める、そんな授業です。

英語の教科書も、そのように「活用」させるためのタスクが見開きのページのどこかに隠れています。それを見つけてクイズのように挑戦させるのが教師の仕事です。

◆ 「教室の空気の流れ」を読む

誰かのために」「誰かに伝えるために」行動する経験は、子どもの内側に“やる意味”という火を灯します。負荷がかかった後にこそ、達成の喜びが心に深く刻まれます。

教師の思いは、空気にのって伝わリます

教室には「空気の流れ」があります。教師が一方的に話し続けるときと、生徒が動き出した瞬間とでは、空気の温度が変わります。ざわめき、静寂、驚きの息──それらを“聴きとれる”ようになると、授業の質は一段深くなっていきます。

言葉は「自己実現の翼」です。

言葉は、教え込まれるものではなく、「伝えたい」という思いから自然に育つもの。小さなころ、欲しいものを伝えるために言葉を覚えたように、「伝える必然性」の中でこそ、言葉は身体にしみ込んでいきます。

言葉の力とは、水面下に広がる大きな氷山のようなものです。見えている言葉の背後には、「思考する力「抽象化する力」「根拠を示す力」などが支えとなっています。

これらの力は、母語でこそしっかり育てる必要があります。

言葉は「放った矢」、相手が受け取ってはじめて意味を持ちます。

言葉は、一度口に出したら、相手の「理解の網」に委ねられます。

伝えた“つもり”と伝わった“事実”は違います。

だからこそ、「どんなふうに届くか」を想像し、伝え方を磨いていく力が必要なのです。

◆ 授業は織物、「縦糸」と「横糸」の調和でできている

授業とは、縦糸理念、目標、学習規律横糸日々の工夫、生徒理解、関係性を組み合わせて織り上げる、美しい“教育の織物”です。縦糸は「張る」と言います。そして横糸は「通す」と言います。それぞれに役目があるのです。

縦糸がなければ、布はすぐに破れてしまいます。

横糸がなければ、彩りのない、味気ないものになってしまいます。

理念を貫きつつ、日々の中で子どもたちの声に耳を傾け、ともに色とりどりの布を織っていく。それが私たち教師なのです。

* アイキャッチの写真は、富山県の牛岳スキー場のランタン祭りのものです。空いっぱいに飛んでいく色とりどりのランタンは、子どもたちのイメージです。

よかったらシェアしてください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント