◆「実践的」と強調された平成の授業観
平成の学習指導要領では、「コミュニケーション能力」をわざわざ「実践的コミュニケーション能力」と言い換えていました。それほどまでに、現場では英語でやり取りをする言語活動が少なく、教科書を教え込む授業が主流だったのです。
その後、「コミュニケーションは実践そのもの」という認識が広まり、現行の学習指導要領では「実践的」の文言は外されました。しかし、肝心の「コミュニケーション能力」の定義が十分理解されず、「基礎・基本」を「教科書の内容を覚えること」と勘違いする教師も少なくありません。
◆ 本当に「使える英語」になっているか?
現場では、パタン・プラクティス、音読練習、暗記した英文の発表が「英語を使った活動」として扱われがちです。けれども、それだけで子どもたちの「基礎・基本」が身につくのでしょうか。
私は以前、このHPで言語習得には「意味」「言語形式」「言語の使用」の3つが必要だと述べました。特に欠けやすいのが3つ目の「自分で考えた英語を使ってやり取りする経験」です。
◆ 運転にたとえるなら
車の運転に例えて考えてみましょう。教習所で、車のドアを開け、シートベルトを締め、坂道発進やクランク走行を学ぶのは「練習」です。英語でいえば、4技能を個別に鍛えたり、教科書の語彙や表現を理解する段階にあたります。
しかし、それだけでは「運転できる」とは言えません。大切なのは仮免許を取り、実際に路上に出る段階です。初めはドキドキしながらも、経験を重ねて自信が育っていきます。これこそが「言語の使用」であり、授業で子どもたちに与えるべき場面です。
教師は、まさに教習所の「教官」の役割です。細部まで指示をするのではなく、運転(活動)の様子を見守り、脱輪や危険があれば助言する。判断の主体はあくまで学習者に委ねます。なぜなら、世の中に出て「判断」するのは学習者自身だからです。
◆ 路上運転と授業づくりの共通点
路上運転では、さまざまな相手(個人、トラック、タクシーなど)に遭遇します。自分でハンドルを握りながら、交通の流れを読み取り、臨機応変に判断していきます。追い越したい、右折したい、止まりたい――そうした「目的」が生まれるたびに、「思考」と「判断」が求められます。そして、ウインカーを出す、パッシングをする、ハザードを焚く、クラクションを鳴らすといった「表現」で他のドライバーに意思を伝えます。隣に座る教官は、細かい指示を出しません。最終的にはすべて「自己決定」で運転を成立させるのです。
この経験を積み重ねることで、「大丈夫だ、できる」という自信が生まれます。逆に、ペーパードライバーのように経験不足のままハンドルを握れば、周囲に気を配れず自分のことだけで精一杯になり、時にはパニックに陥って事故の原因にもなります。これは、授業づくりにそのまま重なります。
◆ 学習に必要なのは「必要感」
さて、運転免許をもらうためには、学科試験に合格しなければなりません。だからこそ受講者は交通ルールを必死に覚えます。将来、車の運転をしている自分をイメージして主体的に学習をしています。どうしても合格したいという思いがあるので、「知識」は学習者にとって「必要」な情報となっています。
英語学習も同じです。
知らなければ活動できない、仲間とのやり取りが楽しめない──そんな「必要感」を今の授業に仕組むことができているかどうか。それを自問自答してみることが大事です。
👉 問い:あなたの授業は、子どもたちに「路上運転のようにワクワウする学び」を用意できていますか?