🔵 鮎の毛鉤釣りが教えてくれること

「実態」を知らないと、何も始まらない

           砺波市を流れる一級河川の庄川

             庄川の上流

私は、富山にいた頃、近くの庄川に鮎釣りに出かけていました。海釣りでも川釣りでもそうですが、時間や場所がずれていたら釣果は上がりません。魚の習性を知らなければ魚が集まる場所には行けないからです。

例えば、鮎釣り(毛鉤)は、お昼に川に行っても「ぼうず (全く釣れない)」になるのは目に見えています。日中は、鮎が遊びに行ってしまうからです。ですから、鮎釣りに行くのは、朝方4時から6時半ぐらいまで、夕方は5時から7時くらいまでが望ましいのです。釣り糸をたらすポイントは、水ごけがついているような石の近くです。餌の豊富な場所を自分のテリトリーにしているからです。

一方、友釣り(おとりの鮎を使う)は、日中行います。鮎の本能(鮎は自分のなわばりを守ろうとし、近づいて来る敵を攻撃する)を活かした釣り方です。おとりの鮎を攻撃した際に、おとりの鮎に仕掛けた鉤でひっかけるのです。

私はと言えば、もっぱら毛鉤専門でした。川の濁り具合、時期、時間、水質などから使う毛鉤の種類も違って来ます。それを選んで、実際にヒットした時は「おっ、正解だった」という感じでした。ですから、毛鉤を使う釣り人は通常、毛鉤を箱に何本も用意しています。一つ何千円もするような高価な毛鉤もあります。

アユの毛鉤釣りは、川の流れを利用し、上流から下流に向かって、毛鉤を横移動していきます。さらに毛鉤を上げ下げし、あたかも虫がいるかのように見せかけるのです。速さは、速過ぎても遅過ぎてもいけません。ト ン、トンと川虫が上下左右に動いている様子(fake)を再現します。実態を知り、かつ熟練した操作、タイミングなどが重なって、釣果となって現れます。

このように、何事も、まずは対象となるものについて詳しく実態(鮎の習性、川についてなど)を知ることが肝心です。ギャンブルなどでも、パチンコでは何日も台のデータを取って研究するでしょうし、競馬なら馬の血統やパドックでの状態(馬体重)を見て総合的に判断をします。

授業でも、単元は第1次からではなく第0次(学習者の実態)から

ところが、不思議なことに、学校では当然しなければならない生徒の実態や現状を知り、それを指導に活かすということがあまりされていないように思います。学習指導案を拝見しても「本時はこれを教える」という書かれ方をしたものが多く、クラスの実態もただ「こうです」と紹介されているだけで、その実態に対して本時ではどう指導するのかが見られません。

このように、「教科書を先に進める指導」が教師の関心の的になると、教材研究もプリント、スライド作りに向かってしまいます。これでは、教師の洞察力、観察眼は磨かれません。主体的に「自己調整」ができる生徒を育てたいなら、教師自身も同じように臨機応変に修正できる力を身につけなければなりません。だとすれば、日々変容する生徒たちの実態(習熟度、つまずきなど)に呼応した指導は不可欠と言えます。つまりは、つまずきを丁寧に分析しておくことが大事になるということです。

つまずきを知れば、学習者を「やる気」にさせられる

英語につまずいている生徒は多いのですが、その実態があまり理解されていないようです。英語教師は、どちらかというと、中高とコツコツと英語学習に取り組んできた方が多いのではないでしょうか。そうすると、どうしても「努力するのが当たり前」「暗記は必須」と考えてしまいます。それはそれで大切なのですが、どの生徒にもそれを要求してしまうと、話はややこしくなります。

残念ながら、自分の指導を客観視できない方は、十把一絡げで「英語が苦手」で結論づけておられるようです。教師の厳しい姿勢や言葉にいつしか「なぜ、そこまでしなきゃいけないのか?」と反発する生徒も出てきます。できていないことを取り上げて説諭するよりも、むしろ教師の挫折経験を話したり、コミュニケーションの大切さや楽しさを知った場面(洋楽、映画、海外体験など)について語ったりするようにすれば、身を乗り出して聞こうとするようになります。

ちなみに、次の項目は「英語嫌い」が生まれる要因だと言われていますが、いかがでしょうか。

1. 英語が聞き取れない (Repeat after me.ばかりでは、自然な速さの英語は聞き取れない)


2. 音と文字が一致しない (頭からフォニックスのルールを教えるなら逆効果)

3. 英語の語順がわからない (日本語と対比させながらチャンク指導をしているか)

4. 単語がなかなか覚えられない (自分ごとでないこと、脈絡のないものを覚えることはできない。単体の単語テストではなく、身近なことを取り上げ、文脈の中で単語を使う体験を増やす)

そして、多くの管理職から聞いた話の中で登場したのは「5. 教師の指導や人間性に問題がある」(えこひいき、感情にムラがある、授業が単調、プリントが多い、など)でした。そのために英語が嫌いになっている学習者が想像以上に多いということでした。

病院やクリニックでは、患者に対して、医者は「問診表」や「検診」から始めます。同じように、教師は、生徒のつまずきの原因は習熟度が低いためなのか、学習時間が不足しているのか、間違った理解をしているのか、それとも教師の指導に問題があるのかを見極める必要があります。学習者のつまずきがどこにあるのかを的確に把握できれば、対応策も考えられるからです。

できているのか、それともできていないのか。教えたかどうかではありません。肝心なのは、生徒が理解・習熟・定着・獲得のプロセスを経て、何も見ないで自分の言葉で説明できるか、自分の力で(ワークシートなどの補助輪を外して)できるかどうかを確かめる時間と場面(peer evaluationを含む)を確保することです。

生徒も教師も共に「参画」できる授業をつくるコツとは?

学期末に、「今までの授業を振り返って」というアンケートを書かせておられると思います。しかし、全て生徒任せの記述では、知りたい情報が正確に手に入らない可能性があります。アンケートは項目が命です。何のためのアンケートなのか、何を知りたいのかが明らかになっていないといけません。そこで、お薦めは「うまくいった活動の後ですぐにアンケートをとること」です。楽しかった活動の後は、生徒の心が開放されています。忖度なく素直に意見を述べます。

さらに、アンケートでは「感想を書きなさい」という大雑把な指示ではなく、学習者心理が読み取れるような問い(最初はどう思ったか。やっている途中でどう思ったか。友だちの取り組みで参考になったのはどれか、それは何故か。最後にどう思ったか、など)が必要になります。自由記述からは、一人ひとりの「声(voice)」が読み取れます。それを丁寧に分析して、その後の活動に活かすのです。

生徒にあったやり方を考える

20年前に読んだ『滅びゆく思考力:子どもたちの脳が変わる』(ジェーン・ハーリー大修館書店 1992)では、子どもたちがゲーム脳、テレビ脳になりつつあり、集中力が劣ってきていると警鐘を鳴らしていました。時代は、さらにSNSへと進化し、バーチャル映像によりリアルな擬似体験ができるようになり、必要な情報が瞬時に手に入るようになりました。本来は、疑問に思ったことを「調べる、考える、探求する」といった時間をかけて行う学習プロセスをワープし(跳び越えて)、短時間で求める答えに行き着けるようになりました。

このような状況に慣れてしまうと、「どうしてか?」や「それは本当か?」のように批判的に思考することができなくなります。何より、集中力(傾聴力)が劣ってくると、それは耐性(変化に耐えられる)の低下にもつながります。我慢できない学習者が増えると、学習規律の崩壊につながり、学力低下の要因になります。

集中力について、こんな話を聞いたことがあります。NHKのEテレの番組(『Rの法則』『えいごルーキーGABBY』)に出ていたとき、番組ディレクターから「セサミストリートや『お母さんといっしょ』の一話はどれも2分30秒で終わるように作られています。何故だか分かりますか。その時間が小さい子どもたちの集中力の限界だからなんですよ」という説明を聞き、なるほどと納得しました。カップヌードルが3分というのは、「長いなぁ」と感じ始める時間と考えられます。

教師がそれを知っていると、授業の組み立て方を工夫することができます。10分、15分という活動がダラダラしてしまうのは、3分の限界がとっくに切れててしまっているからです。だとしたら答えは簡単です。10分を2分割、3分割して、5分、または3分で最初の内容に取り組み、次の5分(3分)は少し変化を加えるか、または次のステージに行けるようにするということです。

また、教師の話も端的に3分にまとめる必要があります。ダラダラ喋るのではなく、「3点あります。一つ目は…」のような言い方をマスターすることです。すると、生徒もそのように言えるようになります。

ちなみに、一分、話をするとしたら、大体何文字になるかご存知ですか。

1分とは、ちょうど原稿用紙(400字)一枚をゆっくり読むスピードです。現場にいたとき、尊敬する校長先生の朝礼でのお話が上手だったので感心していたのですが、その校長先生は原稿用紙に手書きで話したいことを書かれ、推敲をして3枚にまとめておられました。

3分ならどの生徒も集中して聞けます。さらに集中して聞いたことはしつかりと覚えています。生徒たちから「校長先生、大好き。話が短いし、わかりやすい。例も面白い」と言われたのも納得できました。ちなみに、その校長先生のご専門は「理科」でした。鋭い観察眼(実態調べ)あればこその「技能」です。

長い話に集中できない子どもたちに対しては、彼らが興味を持っている内容既習経験「生活の論理」)に繋げることです。授業の課題が「知りたい、もっと聞きたい」という内容になっているか、教師の話し方(表情、身振り、手振りを含む)が、どの子も身を乗り出して聞き耳を立てるような魅力的なものになっているかを常に意識するのです。

さらに、彼らがわかる言葉を使い、具体的な例を示すことも忘れてはならないことです。問いかけて、巻き込みながら話すようにします。それが本来のインタラクションです。教師が質問をして生徒が答えるといったやり取りは、インタラクションではなく「問答」であり、彼らにとっては「楽しい!」という実感は湧きません。

幼稚園や小学校の低学年の授業を見ていて、感心させられるのは、教師が本当によく子どもを観察しており、変化(望ましい変容、異常)を察知するのが早いということです。そこでは、子どもたちをコントロールするのではなく、子どもと一緒になって遊び、その中で子ども理解しようとしています。彼らの目線まで降りてきて話しかけ、話を聞いておられます。また、一つの活動を予定調和で行うのではなく、飽きてきたなと思ったら、さっと場面転換をします。目先を変えて、しばらくしたら、それを前の活動につなげます。いわゆる「サンドイッチ型学習法」(異なった内容の活動を途中に挟む)を自然に行っています。

料理研究家の土井善晴氏が、講演の中で「変化に気づけるのが感性」と言われました。教師は、幼稚園や小学校の先生のように、変化に気づける感性を磨く努力をしていかねばならないと痛感します。中学校に入った途端に、「話をしっかり聞く」(聞く努力をするのが当たり前)という学習を強いてしまうと、多くの生徒は負担に感じてしまいます。

まずは、共感的理解から始め、だんだん自己実現の3原則自己選択、自己決定、自己責任)を活かしながら、自分ごとにして集中できるようにすることです。授業では、ヒントや気づく視点を与え、振り返りの時間を十分にとり、共感的理解をしながら、適切な指導をしていくことが望まれます。学習において大切なのは、学習者が必要性を感じているか、納得しているかどうかです。

現場では、丁寧に教えることを「よい教師の条件」と勘違いされている教師が多いようです。それでは依存的学習者(言われたことしかしない、言われるまで待っている子ども)しか育ちません。逆に、「主体性を育てるために子どもに任せよう」と、何も指導せずに最初から放任してしまう方もおられます。自己の成長を感じられない状況では、やりがいは生まれません。

やりがいとは、自分の存在価値(役に立っていること)が認識できた時、相手の喜びなどから芽生えてくるものです。たとえば、体育で行うリレーでは、いつも速いチーム、遅いチームが決まっていてはやる気になれません。そこで、自分の50m 走のタイムを2倍して4人分を合計します。それを400メートルリレーの目標タイムにするのです。 それが達成できたか(タイムが速かったか)どうかで競います。すると、今まで以上にみんなのために頑張るようになります。教師は、「タイムはともかく、走っている姿勢は悪くない、特に目がいいよ」と、いいところを見つけて褒めてやるようにします。すると、パッと目が輝き、取り組みが変わってきます。このように、誰かに認めてもらうこと、適切に評価されることでやる気が高まっていきます。教師のねぎらいの言葉や笑顔、そして仲間との相互評価は学習をする上で大事な潤滑油になるのです。

教師が指導したとおりに子どもたちは育ちます。教えていないことはできません。できないのは、正しい指導を受けていないからです。決して生徒のせいではありません。指導効果を上げるためには、教師は「教え過ぎ」や「放任」(丸投げ)ではなく、どこまで教えてどこから任せるか、介入するとしたらどのタイミングかを考えておかねばなりません。それが教師の理念教育哲学)であり、授業デザインとなります。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント