忘れられない「あの日」の研究授業
日頃、授業を人に見せるという経験が少ないと、自分の教え方や教室環境を多くの人に見られることに意識が向かってしまい、「うわあ、緊張するなぁ」と考えてしまいます。
私は、初任から6年間在籍した埼玉の吉川町(現吉川市)立南中学校では、当時荒れていたこともあり、初任研以外落ち着いて研究授業をしたという経験はありませんでした。それでも、保護者会の時には保護者全員の前で授業を見てもらうのが慣例になっていました。学年主任からは「教師の説明はNG。一人でも多くの生徒が発表し、それを保護者に見てもらうのが目的だ」と言われていたので、どこで誰に当てれば答えられるかを一生懸命に考えていたように思います。
その後、富山県に戻り、婦中町(現富山市)立音川小学校教員(玉川大学の通信課程で免許を取得)として勤務しました。小学校では、授業公開が当たり前という文化があり、そこでは「授業のイロハ」を丁寧に教えていただきました。校長先生は、「研究授業は子どもの発想、発言、つまずきを見て教員全体でより良い授業について考える機会であり、あなたを見に行くのではない。緊張などしなくていい。カッコつけず普段通りにやりなさい」と言われました。
子どもを観る眼、課題設定、発問のあり方、単元計画など全てが新鮮でした。向山洋一氏と出会い、有田和正氏、大村はま氏、無着成恭氏、東井義雄氏の著作を貪るように読みました。頭でっかちになった私は、いつか自分もこんなすごい授業がしてみたいと思うようになっていました。
国語や算数ではOHPを使ったり、理科や社会科では班で調べて発表したりという「手法」にこだわるようになりました。校長、教務主任の先生からは「頑張っているのはわかるんだが、もっとよく子どもを見てみなさい」と言われることがありましたが、自分では多くの子どもが活発に発表しているのだから、と意に介さず日々の授業に取り組んでいました。
そして、「その日」がやってきました。私の教師人生が大きく変わった日、昭和62年10月の「学校訪問」です。富山県では、年に一度教育事務所(当時)の学校訪問(計画訪問)があり、複数の指導主事が授業を観に来られました。私は、毎年の「学校訪問」で好評をいただいていたことから、かなり天狗になっており、今回も指導主事に認めてもらいたい(褒めてもらいたい)という気持ちになっていました。
しかし、その日は、今までと様子が違っていました。社会科(6年生)で太閤検地を扱った私は、子どもたちが調べたことを順に発表していく授業をテンポよく進めていました。協議会では「どんなところを取り上げてもらえるのだろう」とワクワクしていました。
まず、全体会で私の授業を見られた指導主事が「6年生の社会の授業ですが、確かに子どもは活発に発表していました。しかし、あれは教師が中心になって進める授業であり、授業そのものを理解しておられない。授業の抜本的な見直しが必要です」と切り出されました。私は、「え?」と思い、ショックでメモも取れず、放心状態で聞いていました。どこをどう変えればいいのかという助言も、素直に受け入れられず、頭の中を通り抜けていきました。
最後に、主任指導主事が「授業を人に見せるというのは、教師の力を見せることではありません。子どもの力を引き出すためによりよい方法をみんなで考えるためにやるのです。今回の授業では、残念ながらそれが見えませんでした。それを反省していただきたいと思います」と静かに言われました。指導主事の方々を見送ってから、悔し涙を流している私を見かねて、校長先生と教務主任が私を校長室に呼びました。「このままじゃ納得いかないだろう。どうだ、要請訪問をしてみたら?」私は即答しました。「やります。やらせてください」
翌週、要請訪問を受け入れていただいたことを聞いて、私は緊張した面持ちで富山教育事務所に向かいました。迎え入れていただいたのは、私の授業を酷評された中林指導主事でした。しかし、今回は笑顔でした。「待っていましたよ」。意味がよくわからず、怪訝な顔をしていると、「以前、お二人から相談を受けていましてね。今回の要請訪問も、みんなで仕組んだんですよ。どうですか。子どもたちが自分から夢中になって取り組むような授業を考えてみませんか」「そうだったんだ…。それなのに、私はリベンジをしたいという気持ちでいたのか…」私は驚くと同時に、自分中心に考えていたこと、今のままでいいのだと思い込んでいたことを心から恥ずかしく思いました。
その日から、何度も教育事務所に足を運びました。八田先生には、その都度、時間をとっていただき、要請訪問で授業をみていただく社会科だけでなく、学習指導要領のねらい、単元の捉え方、日々の授業のあり方、山場の作り方、子どもの見方などについて、微に入り細にわたる指導をしていただきました。
要請訪問では、「刀狩を通して、人々の暮らしはどう変わったのか、越中(富山)ではどんな問題が起きていたのか、現代にどんな影響を与えたのか」という課題にしたところ、子どもたちは教科書には載っていない情報を求めて、グループで町の図書館にまで出かけていき、ああでもない、こうでもないと自分たちで考えるようになりました。要請訪問では、八田先生に教わったことを活かして、子どもたちが「私たちはこう考えてみました。それについてどう思いますか」というように子どもたちが「つながっていく」授業の形態にしました。私は「大丈夫だろうか?」と内心ドキドキしていました。しかし、子どもたちは水を得た魚のように、いつもの授業とは違う表情を見せていました。研究授業が終わり、協議会が終わって「何がわかりましたか」と八田先生に聞かれたとき、私は「今までは、私が教えなければならないとガチガチに考えていました。これは難しいのではないかと私が勝手に線を引いていたと思います。しかし、子どもたちの力は私が考えている以上でした。それを十分に引き出していなかったのだということを痛感しました」「そうですか。今後、もし、中学校に戻られるようなことがあってもそれを忘れないでください」その夜、私は、自分の奢り、至らなさがあったことを詫び、教えていただいたことに感謝しました。校長先生、教務主任、八田先生と私は、その日、夜遅くまで盃を交わしながら、教育について、授業について熱く語り合いました。
授業の「イロハ」を教わったことで、今までの授業がいかに「自分がやりたいこと」であったのかを思い知りました。書籍の「知識」だけでわかったつもりになっていた私は、学習指導要領、子どもの見方(生徒理解)と繋げることによって、ようやく今まで何を勘違いしていたのか、書籍に書かれていたことの本当の意味、そして意図にも気づくことが出来るようになりました。
その後、私は中学校に異動することになります。「相補」の関係になるペア学習に取り組み、卒業文集、マイクロ・ディベートやプレゼンテーションに挑戦しましたが、「学習者がワクワクする授業がしたい」というスタンスは変わりませんでした。私が、研究授業などを拝見して助言をする時、どちらかというと厳しい言い方になりがちなのは、八田先生から学んだ「子どもの立場になり、その心情を察しながら授業を見ることの大切さ」を少しでもお伝えしたいからです。
なぜ、誤解や誹謗中傷が生まれてしまうのか
SNSを使ったやり取りでは、多くの誤解が生まれています。SNSの特徴として、一度でもアクセスすると自動的に(AIの判断で)同じような情報がどんどん送られてくるということです。すると、それが「皆んなもそうなのかな」と勘違いしてしまいます。世間を騒がせている選挙中の誹謗中傷もそれが原因だと言われています。
昨今、情報の真偽をよく確かめもせず、曖昧なまま信じ込んでしまい、トラブルに巻き込まれたというケースが後を絶ちません。しかし、落ち着いて、「違う立場」から見てみる(批判的思考、critical thinking)と、「あれ?おかしいな」と考えられます。逆の立場(視点)で見てみること、両者の論点の相違やメリットとデメリットなどを考えてみるというのは、これからの情報過多の世の中を生きていく上ではとても重要になります。
教師の見方も同じです。教員採用試験の面接練習では、「自分がどんな先生になりたいのか」を語る訓練をします。しかし、教師になってみると、自分の思いだけでは相手に伝わりません。そんな時、「子どもはどのような教師を望んでいるのか」、「今、何をして欲しいと望んでいるのか」というように置き換えてみることです。
教師側から見たら問題行動を起こしてしまう子どもは「困ったやつ」なのかもしれませんが、逆に子どもの立場になってみると「(不安を抱えて)困っている子」になります。
今やろうとしていることは、自分のやりたいことやメンツのためではなく、子どものどんな力をつけるためなのかを考えてみることです。自分目線になるとムッとしてしまうことでも、相手の立場に立つと「このままでいいのかな」と配慮できるようになります。すると、言葉の伝わり方が180度変わってきます。
授業は「教師の指導」ではなく「子どもの育ち」で判断される
「授業」でも同じことが言えるように思います。
「研究授業」を参観される教師の関心事は「子どもがどこまでできるようになっているか」がTop Priority(最優先事項)であり、「教師の指導」や「授業の進め方」はその後に来ます。研究授業の良し悪しを判断する基準は、あくまでも「育った子どもの姿」(今まで教師がずっと継続指導をしてきた結果、できるようになっていること)です。それは、教師の理念や指導観が最も表われている部分だからです。力のある教師は、そこをしっかり読み取ろうとします。
しかし、研究授業(特に、中学校と高等学校)を拝見させていただくと、子どもたちが夢中になって取り組むような場面、ワクワクするような場面になかなか出会いません。残念ながら、「教科書を先に進めること」が教師の Top Priorityになっており、あらかじめ用意されたプリントやスライドを中心に淡々とそれをこなしていく授業になっているように思います。そこには、参観者が思わず身の乗り出して覗き込むような「ダイナミックさ」はなく、本時の「50分」をそつなく(こぢんまりとまとめて)終わる授業に見えてしまいます。子どもたちを見ると、指示されたことをやりながらも、どこか目は虚ろです。中には、あくびをこらえながら、授業終了のチャイムを待っている子どもたちも見あれます。
学習指導案を拝見すると、「積み木型」、または「座布団積み上げ型」になっているようです。「今日はこれを教える」というノルマを達成するために、用意した活動がてんこ盛りで並んでいます。
学習指導案は、教師が頭の中で考えたことの羅列になっており、子どもが習熟したこと(自信を持ってできること)ではありません。子どもたちは、普段と違う指導(突如増えた英語の指示や発問)に「え?どうすればいいの?」とオロオロしています。「予定調和」のテンポで進められていくので、どの活動も、自信なさそうに板書やワークシートを見ながら話したり、書いたりしています。教師は、なかなかできない生徒に苛立ちを覚えながらも、指導案通りに終われるよう、次の活動に入るタイミングばかりを考えています。
そんな授業の後の協議会では、ややもすると自評が「生徒ができていなかったことへの言い訳」から始まります。「思っていた以上に緊張していた」、「リーダーが欠席していて…」とか「他のクラスはもっと活発なのだが、このクラスはおとなしくて…」というものです。そうならないように、日頃から指導をしておかなければならなかったのに、順に教えていけばできるようになるだろう、とアバウトに考えていたことが原因です。そんな時、「ああ、以前の私と同じだ。この方も自己承認欲求(自分のやりたいことや授業の進め方を認めてもらいたい)が出ている」と思うといたたまれなくなります。
時代は、昭和から平成(30年)、そして令和(すでに7年)と移り変わり、学習指導要領も昔とは大きく様変わりしました。しかし、「本時ではこれを教える」という授業がまだまだ多いと痛感します。「研究授業」は、個人の発表の場ではなく、箱根大学駅伝のように仲間(同僚や後輩)にバトンを託す(思いを伝承する)貴重な機会(バトン・ゾーン)だと考えねばならないと思いますが、いかがでしょうか。
「同情」と「共感」はどう違うのか
社会の仕組みの様変わりし、AIやSNSの普及などで、人々の関心や行動が「集団主義」から「個人主義」へと移行し、さらにそれが加速していると言われています。周りへの関心が低くなっている(自分が巻き込まれなければいい)ことがハラスメント(harassment)や陰湿ないじめに繋がっているようにも感じます。今、社会的に必要なのは「同情」(sympathy)ではなく「共感」(empathy)」だと言われています。共感共苦(共に喜び、共に悲しむ)が実現しにくい状況になりつつあるからでしょうか。
1994年-1995年に「家なき子」というテレビドラマの中で、主人公・相沢すず(安達祐実、当時12歳)の言った「同情するなら金をくれ!」は新語・流行語大賞にも選ばれるほどブームになりました。ドラマのシーンから「同情」のイメージはなんとなくわかるのではないかと思います。
一方、「共感」の方は「確かにそうだと思える」というぐらいではないでしょうか。
辞書(大辞林)で確かめてみると、「同情」は、「他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと」とあります。
英英辞典のCOBUILDでは、次のように定義されています。
If you have sympathy for someone who is in a bad situation, you are sorry for them, and show this in the way you behave towards them.
「共感」の方ですが、大辞林では2つの意味を紹介しています。一つは、「他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。同感」です。もう一つは、「他人の言葉や表情をもとに、その感情や態度を追体験すること」です。前者はsympathy、後者はempathy(感情移入)と説明しています。
COBUILDの説明はこうです。
Empathy is the ability to share another person’s feelings and emotions as if they were your own.
Michael JacksonはWe Are the Worldの詞を書いた後、その中に「同情」(上から目線)を示すような言葉が多かったことを反省(というよりも後悔)し、すぐにHeal the World を作りました。使われている言葉がどう変わったのか見てみましょう。
◆We Are the World
the greatest gift(素晴らしい贈りもの)lend a hand(手を貸そう)start giving (与え始めよう)save our own lives(命を救おう)
🔹Heal the World
for you and for me (君と僕のために)care enough(心配りをしよう)stop existing and start living (死ぬことと生きることは違う)you’re all my brothers(みな兄弟だ)
中3の生徒たちに2つの曲の歌詞を渡し、「読み比べて何か気がつくことはないですか」と尋ねると、教師から説明しなくても、メッセージの伝わり方、ニュアンスの違いに気づきます。「これ、ホントに同じ作者が書いたのですか?」という声も出てきます。
Michaelは、あるインタビューで「残りの人生で、たった1曲しかパフォームできないとしたら、どの曲を選びますか?」と聞かれた時に、「うーん、2, 3 曲選んじゃダメ?」と悩みつつも出てきたのが Heal the World だったそうです。それが彼の願いを表したものだったからなのでしょう。
学校現場では、人権教育、平和教育、キャリア教育、探究学習などに取り組んでいますが、毎日行われている授業では、具体的にどのような取り組みが考えられるでしょうか。教科書の内容を網羅的に扱うだけでは、子どもたちの感性も心情も豊かにはなりません。
有効なのが、なりきり作文(人間以外のものを選んで、その時点で書く)、読み取り(登場人物の心情を汲み取る)、ナレーター読み(内容を理解し、ナレーションをする)、ショートスキットや演劇(立場に成り切って演じる)などです。いずれも、他者(仲間)の考えや視点を知り、自分を客観視できるようになります。様々な「視点」を身につけることが可能でになるのです。それは、「利他」の心につながります。