🟠「ALTに自分の町のことを伝えよう」という課題はなぜNGなのか?

生徒が納得するのは「目的」(何のため)のあること

TTの授業を拝見させていただくと、「自分の町のことを伝えよう」「自分の好きなことを伝えよう」「ALTに自分たちのことを紹介しよう」「ALTに日本のPop Cultureについて説明しよう」といった課題が多く登場します。それが「当たり前」になっているようです。

しかし、これらは教科書で学んでいる文法を使った「練習」、または教師が考えた課題に過ぎず、生徒は「必然性」を感じていません。中には、「必然性」を勘違いしている方もいます。とにかくALTが出てこないと「英語を使う必然性がない」という思い込みから「ALTの友人が今南極にいます。南極は今、地球温暖化でいろんなことが起きています。友人からALTにそれを知らせるメールが届きました」のような設定(実際は架空の話)を無理矢理作った研究授業もありました。参観していたALTたちが “What? What for?” と言って首を傾げていました。

このような「習った文法を使わせたい」という教師の思惑いっぱいの課題をよく見かけます。あちこちで「なんで?」「その後どうすんの?」という生徒のつぶやきが聞こえてきます。しかし、概ね、やらされることに対しては成績も絡むので、仕方なく忖度するようになります。

最初に、「何のために町のことを教えるのか?」「自分の好きなことや自分たちのことを教えたら、ALTはその後どうするのか?」「ALTは日本のどんな Pop Culture に興味があるのか?それは何故か」といった疑問をクリアーしてやらないと「自分ごと」にはなりません。しかし、一旦「自分ごと」になった課題からは、学習者の「知りたい」「伝えたい」が生まれてきます。

まず、「何のためにするのか」という「目的」を知らせることです。肝心な「ALTがそれを知ってどうしたいのか」「知った情報を使って何をしたいのか」が示されていないです。しかも、これらの課題を日本人教師が指示しているところがNGです。ALTが知りたいのであれば、ALT自身から「何のためにその情報が欲しいのか」を自分のメッセージとして伝えなければなりません。ALTが授業に出られないのなら、3分程度のビデオレターでも構いません。

(参考 「なぜ、TTがうまく行かないのか」(治療編 3/3の福岡市立城香中学校2年の授業)

https://nakayoh.jp/2025/03/19

それを受けて、日本人教師は生徒にこう聞きます。「みんな、事前に何を知っておきたい?」「ALTへの質問時間をとります」。これは「場面」と「状況」を明確にするためです。こうすると、生徒は「日本のどんなPop Cultureに関心があるのか」を聞いたり、「今までどこに行ったのか」と尋ねたりするでしょう。

「自分のことを伝えよう」ではなく、ALTから「英語の授業を面白くしたいので、みんなの興味関心についてもっと知りたい」と生徒に伝えると、生徒は具体的に好きなジャンルの音楽や歌手の情報を取り上げたり、好きなゲームの内容などを伝えようとしたりするでしょう。

ALTが「私が日本のPop Cultureで関心のあるのは5つです。それぞれ、そのことについてもっと詳しく教えて欲しいです。4人(3人)のチームで2分のプレゼンテーションをしてください。『へえー、そうなんだ』と大いに納得できたら『いいね!』がもらえます。チームで、いくつ『いいね!』がもらえるか、みんな頑張って」と言います。JTLはプレゼンテーションの評価について説明します。チームの得点は5点満点、個人が5点満点、合計で10点であること伝えます。

こうすると、生徒たちに「必然性+わくわく感」から「やる気スイッチ」がオンになります。苦手な生徒もチームのために一生懸命に取り組むようになり、他の生徒たちもワンチームとしてサポートするようになります。

有効なのが「探究コーラル・マップ」を使うことです。最初に、自分たちが選んだテーマ(ALTの関心があるPop Culture)から、マンダラ・チャートを使い、4つの要素(歴史について、アハ情報、できること、身近に経験できる場所など)を自分たちで選びます。さらに、一人ひとりが責任を持って担当をする内容を決め、その後「階層式マッピング」で深掘りをしていきます。最後は、全員が作成したスライドを繋いで、原稿を書かずに写真を見せながら Show and Tellをする練習をします。他のチームに見せて、わかりにくい部分へのアドバイスももらいます。こうすると、個別最適な学び(個人の関心、習熟度など)と協働的な学び(刺激、peer learning)が融合され、往還してきます。

生徒が教師に指示されたこと、その答えをやり取りする活動ではなく、あくまでも生徒がどう思ったか、どちらを選んだか、そしてそれは何故かという根拠や考え(意見)を交流させるのが「言語活動」であり、その質を高次のレベルに高めることが教師の責務です。

ノートやワークシートに英文を書いてしまうと、それをそのまま読もうとする、またはそのまま暗記しようとする生徒が育ちます。日頃から「書くのは最後のステージ」ということをルールにしてしまうことです。それまでは「メモ」(名詞)のみにします。マンダラ・チャートやマッピングで「名詞」だけを書くのがルールになっているのは、名詞(キーワード)を繋いで英文を組み立てられる力をつけるためであり、それが「即興性」の土台になるからです。即興で話せないのは、そのような指導をしないで、ノートに英文を書くという「正しくない指導」を行なっているからです。文科省は、メモ(キーワードとなる名詞)をもとにやり取りをし、最後に情報を整理するために書くことを奨励し、言語活動に入る前に英文を用意してしまう(やり取りの必然性がなくなる)ことに警鐘を鳴らしています。

「練習」の活動は単発で終わり、「言語活動」は技能がリンクしていく

TTで望ましいのは、ALTと一緒に単元全体のどこにどんな「言語活動」を入れれば良いかを考えることです。

TTの授業(1時間)をどう進めるかという場当たり的な取り組みでは、授業の質は高まりません。かなり早い段階(できれば春休み、夏休み、冬休みなど)で、先の見通しを持って単元でつけたい力とそのレベル(4技能)を話し合っておきます。必要なのは、学習指導要領を読み込んで、つけなければならない力だと思う箇所に下線を引き、それを授業でどう計画的、系統的に身につけていくのかをALTと一緒に話し合うことです。それをしてから教科書を見ると、教科書に載っているタスクが「何のためなのか」がわかるようになります。すると、「教科書に載っているからやらなければならない」といった受け身の発想から、「最後の統合的なタスク(Stage Activity_New Horizon, Project_One World/New Crown/Blue Sky, You Can Do It_Here We Go, Our project_Sunshine English Course など)で仕上げるために、事前に用意されているsmall taskで具体的に何をどこまでできるようにすればいいか」という主体的な発想に変わります。

「練習」を経て「言語活動」に高めるには、活動を「自分ごと」にすることです。自分の考えを伝え合う、何かの目的のために必要な情報(または足りない情報)をやり取りすることです。

教科書の音読、英語の歌を歌う、ビンゴ、Q & Aなどは、「練習」の活動です。それを「言語活動」レベルにまで高めることが大事です。音読であれば、なりきり音読(登場人物やナレーターになったつもりで)をペアで考える。英語の歌なら、特に好きなフレーズを使って身近な内容の英文を3文程度の文脈で書き、それを友達と紹介しあってコメントを言い合う。ビンゴなら、ビンゴになった生徒は、ビンゴになった列に入っている単語を使ってまとまりのある内容の英文を書く。それを次の時間に全員に配り、その英文に読んで質問をすると言うことができます。つまり、「言語活動」とは、活動がどんどんつながり、4技能がリンクし、内容が深まっていくというイメージです。そして、生徒は「自分ごと」なので夢中になって取り組むようになります。それを見た教師は元気になり、もっといい活動ができないか、もっと技能を高めてやりたいと思うようになります。

音読は、言語活動ではなく「練習」です。それを勘違いしている方は、映画の歌、ビンゴ、シャドーイングなどのアクティビティを「言語活動」と置き換えてしまっています。音読は、教師やデジタル教科書の後からただ繰り返すのではなく、場面を読み取ってどこをどう読めばいいのか、間を取るのはどこか、それは何故かを考えられるような指導が、音読を「言語活動」レベルに変えるのです。

先を急ぐあまり、2分~3分で確認できる「何も見ずに、自分の言葉で説明できる」活動や「実際に使えること」を確かめる活動をスルーしてしまったからです。または、「浮き輪」(ワークシート、板書、スライドなど)を使った活動を「泳げている(できている)」と勘違いしてしまったからなのです。

ALTの仕事は「技能」(聞く力、話す力)をTT授業の中で高めること

小学校、中学校で英文を暗記し、決まったスキットを覚えて演じる授業をしていると、高校や大学に進んでから困ります。

技能」を身につけて大学に入った生徒は、1年次からプレゼンテーションやディスカッションに積極的に取り組むので、ぐんぐん伸びていきます。それは、TT授業でチャット、Show & Tellなどのスピーチ、マイクロ・ディベート、グループ・ディスカッション、プレゼンテーションなどを経験しており、インタラクションが自然にできるからです。

一方、知識偏重の教育を受けてきた生徒たちは「入試の合格」が目標だったので、言葉を使うという体験が圧倒的に少なく、大学に来てから発表する学生たちを見て可哀想なほど落ち込んでいます。

TT授業でコミュニケーション活動をたっぷりとやってきた生徒たちは、英文(原稿)を書いて暗記するようなことはしません。それは「技能」ではなく、単なる暗記だということを知っています。暗記型で勉強してきた生徒たちは、グループディスカッションも全て事前に英文を書き、それを見ながら言おうとします。しかし、その時にはすでに違う話題に進んでいるのが常です。彼らはため息をつき、中学校の時にもっと話す活動を入れてほしかったと嘆きます。

臨機応変に(即興で)対応できる生徒を育てるのは、高校からでは間に合いません。小・中でTTの授業を中心に、コミュニケーションの下地(素地)を作っておかないとできないのです。

葉っぱや枝(本時で教える教科書の内容)しか見えていないと、木の形(単元で育てたい力)も森全体(育てたい力)も見えてきません。教師が、どんな授業をしたいかではなく、将来においてどんなことができるようになってくるのか。そのためには、今のうちに何をしておかなければならないのかを考えておかねばなりません。そのことをALTと一緒に話し合っておくことこそがTTです。(本来、TTは生徒の技能を育てる協同プロジェクト)

しかし、ALTにはゴール(最後のシーン)が示されているでしょうか。仕事柄、ALTと話すことが多いのですが彼らからの相談として、次のように言われることがあります。

「食材(言語材料と語彙)だけ示して、来週の授業までに授業で使えるワークシートを作っておいてほしいと言われます。しかし、時間をかけてそれを用意しても、仕上がったものが違っている(教師が求めているものではない)場合、『私は八宝菜みたいなものをイメージしていたのに』と言われることがあります。いい人なんですが、授業については思いつきで場当たり的です。最初に最後のシーン、育てたい子どもの姿を教えて欲しくて、それをお願いするのですが、忙しいから無理、そんな時間ない、と言われます。でも、職員室では他の教師と雑談をして笑っています」

ALTをがっかりさせないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。

私が関西外大にいた時に「Team Teaching Activity Book 中学校英語検定教科書対応 Team Teaching 活動案集」(編著、出版インタラック)を出しました。その中の「はじめに」で書いた内容をご紹介しておきます。ALTの方と一緒にこれをお読みいただき、教科書を先に進むTT授業ではなく、生徒に「技能」を身につけ、自信をつけるTT授業について話し合ってみられてはいかがでしょうか。

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日本語版

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英語版

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント