🟢「個別最適な学び」をどう考えればいいの?(全3編)

次の写真は、トマトとキュウリです。いずれも、サラダには欠かせない夏野菜です。

この2つの野菜の違いは何でしょうか。色、形、味が違うというのは、どちらかというと表面的な捉え方になります。大事なのは、育て方が違うということです。前者は水をほとんどやりません。自分で空気中から水分を取り込むからです。もし、水をやりすぎると、味が水っぽくなってしまいます。トマトは、ある程度熟した頃合いを見計らって、枝からもぎます。

 一方、キュウリは、朝のうちに水をたっぷりとやらないと枯れてしまいます。ほとんど水分でできているからです。キュウリは熟すと苦味が出てしまうので、熟す前に収穫をします。このように、それぞれの特徴を知り、育て方に気を配らないと、野菜本来の味が楽しめません。

 クラスには、トマト・タイプ、キュウリ・タイプの学習者が存在します。それぞれの学び方、習熟度が異なっています。しかし、残念ながら、多くの教室では「用意された1種類のプリント」を一斉にやり、早く終わった生徒は待たせていないでしょうか。そして、遅れがちな生徒に合わせるように、クラス全体で簡単な(ワクワクしない)課題を用意していないでしょうか。

 さらには、クラスには HSC( Highly Sensitive Child )の子どもたちもいます。桃を手にするときは、柔らかく包み込むように持ちます。同じように、彼らも教師の不用意に使った言葉や行動に傷つきやすい存在なのです。

              桃は、このようにネット(Handle with care.)が使われます。

 では、「個別最適な学び」をどう捉えればいいのでしょう。

 2つの面が必要であると考えられます。

 一つは、「一人ひとり“に合った”指導」( individual )をすることです。一人ひとりをよく見るということです。個人の実態や習熟度を捉え、一人ひとりに自信がつくような学習の展開を考えること、そして個の中に眠っている可能性(ポテンシャル)を引き出すことです。

 たとえば、授業では、1種類のワークシートで進めるやり方から、学習者の実態を踏まえて作成した複数のワークシートを自己申告で選ぶやり方へと変えることができます。また、切れる発問(答えが1つの事実発問)が中心の指導から、つながる発問 (「なぜ」や「どのように」)などの推論発問や評価発問を中心とした指導に転換することです。

 さらには、ペア学習(学力差を活かしたスタディ・ペア、ソシオメトリーでペアリング)も、子どもたちのモデルとなる student teacher も、一人ひとりの適性を活かした指導と言えます。家庭学習も然りです。教師が一律同じ宿題を出すのではなく、選択式にして学習者が自分で選ぶものにする、または「自学ノート」でいくつかのカテゴリーの中から自分で選んで工夫するという学習もそうです。リレー・ノート(ノートを裁断機で3分の1サイズに切り、小さくなったノートをバトンにして、毎日、4人グループで順に回していくもの)もそうです。

 教師が「仕切る」と、どうしても、教科書を先に進めたいという気持ちが優先し、中位の生徒に照準を当ててしまいがちになります。すると、上位の生徒、苦手な生徒の気持ちに気づけなくなります。通知表の所見を書く段階になって、具体的なコメントが見つからず、苦し紛れに、いくつかのパターンを作って書いているという方がおられます。日頃から、気づいたことをこまめに「学習カルテ」(1時間に1枚の座席表)に書き込んでおくと、パラパラ漫画のように個々の生徒の成長、つまずきが見えるようになります。もちろん、学期の最後は、生徒にとったアンケートを丁寧に分析することです。良い反応よりは、むしろよくなかった反応を取り上げ、その原因を丁寧に振り返ってみることが大事いです。「一人ひとり”に合った” 指導で大事になるのは、子どもたちの実態把握(診断的評価)です。

 もう一つは、「一人ひとり“を活かした”指導」( personal )を施すことです。学習者の「個性」に焦点を当てるのです。つまり、生徒の「興味・関心」、「生活経験」(必要感)を活かすこと、そして生徒が「自己決定」できる学習を展開することです。すると、ギャップや多様性(diversity)が生まれてきて、意図的に協働学習が仕組めるようになります。

 具体的な指導としては、生徒が話し合うトピックを教師側から与えるやり方から、学習者へのアンケートから集約したトピックを事前に配布しておき、ペア(グループ)で選ぶやり方へと変えることができます。また、教師の説明が中心の授業(予定調和型)から、学習者の気づき(伏線回収)をベースにした授業へと転換することも可能です。

 上の「一人ひとり”に合った“指導」同様、これも子どもたちの実態把握が必要になりますが、どちらかというとこれは、教師の授業中の「形成的評価」が鍵になります。子どもたちを評価するためには、観察が欠かせません。黒板の前、モニターの横から離れない状況では、子どもたちを丁寧に観察することはできません。それが、教師にとっての本当の「教材研究」です。大事なのは、授業前の教材研究(授業を進めるため)ではなく、授業中の教材研究(子どもたちの考えを活かし、授業をよりよくするため)です。よって、人工衛星のように「やっているかどうか」だけをみる机間指導ではなく、指名する順序を決めたり、途中で「これは!」という考えや取り組みを全体に知らせたりするために「机間巡視」(四つ葉のクローバー探し)をすることが大事です。それによって、子どもたちの反応が変わり、教師も毎日の授業がどんどん楽しくなっていきます。

 この2つの面を、直近で訪問した3つの学校を例にお話ししたいと思います。

 1. 高知県大川村立大川小中学校編

5月17日(木)に、高知県の大川村(離島を除いて日本一人口が少ない村、人口365人。標高1,000メートル)の大川村立小中学校(校長 川村拓也氏)からの依頼で、授業参観(小学校3,4年複式学級の国語)に行ってきました。その1年前、8月にオンラインで大川小中学校とつないで、校内研修を行ったのですが、今回はどうしても「実際の授業を見て、具体的なコメントをいただきたい」ということで実現したものです。なお、この訪問は、元はと言えば、高知の中土佐町立久礼中学校で校長を、その後、土佐町にある土佐町小中学校で校長をされた谷内宣夫先生(阪神の藤川球児、女優広末涼子の恩師)の紹介から生まれたものです。強い思いを持った方(谷内先生)の持つヒューマンネットワークは強力で、どんどん裾野が広がっていくことを実感しています。

さて、大川村は、高知空港から、車で約1時間半。タクシーなら10,000円ほどかかります。買い物は、愛媛県の西条市に出た方が早いという場所にありました。地図をご覧ください。

非常に長閑なところです。富山県の庄川狭(私の生まれ故郷)に似ていて、親近感を覚えました。

役場前(村の中心)の通りです。

         大川村公認キャラクターの「太刀きん君」。大川小・中学校の児童生徒が考えました。

               村にある唯一の食堂(兼旅館)

食堂の夕食。幻の和牛と言われる大川黒牛(生産量が少なく外に出さない。松坂牛、但馬牛がルーツなので美味)、千両焼き茄子、野菜と玉子のサラダ、おでんをつまみながら、川村校長先生との語らいは2時間以上も続きました。 

個別最適な学び(個別編)- 小学校3年、4年の複式学級(国語の授業)

小学校の国語の授業では、3年生が5人、4年生が1人の複式学級のクラスを拝見しました。担任の先生は、2つのモニター画面と座席の向きに配慮され、直接指導と間接指導をテンポよく使い分けながら、「わたり」と「ずらし」を丁寧に考えた指導をしておられました。

2学年を交互にわたり歩いて、直接指導と間接指導の内容を充実させ、学習指導を無理なく効率的に行うようにするには、単元の指導段階を学年別に「ずらした組み合わせ」が必要になります。この組み合わせを「ずらし」と言います。あらかじめ、計画した「ずらし」の指導計画に従いながらも、個々の子どもの実態(習熟度)も加味して臨機応変に対応することが必要です。一つの学年を直接指導している間は、もう一つの学年の子どもたちに課題を出す(間接指導)ことになります。このように、それぞれの学年を指導する時間を交互にとり、両学年の間を「わたり歩く」教師の動きを「わたり」と言います。

複式学級のように、一人ひとりの実態を踏まえ、その変容を丁寧に見とる姿勢こそが、「個別最適な学び」の原点ではないかと考えます。特別なことではありません。「自分の学校は複式学級はないので」と考えてはいけません。なぜなら、それぞれの学校の「特別支援学級」では、一人ひとりの自立を目指し、担任の先生は一人ひとりの状況や変化を克明にカルテ(記録簿)に記入しておられるからです。それこそが、教育の原点となります。

ペスタロッチは、その「直観教授」(知識を言葉で覚えさせるのではなく、実際のものや絵画、写真などを観せて、触れさせて興味を引き出し、感覚器官を通じて知識を習得させる、子どもの直観に認識させる方法)で「個々の興味、関心」を活かした指導の大切さを伝えています。明治時代に日本に入ってきたこの考えが、今、令和の時代に見直されているのです。

地球市民を育てる教師のための研修会(10年で100回開催)では、毎年「マイポテト」という活動を行いました。参加者が40人なら、50個のポテト(メイクイーンのように綺麗なものではなく、できるだけ凹凸もあるもの)を用意します。お一人に1つずつポテトを配ります。そして、こう言います。「今、配ったポテトを丁寧に観察し、メモをとってください。私が10分後に合図をしますので、写真を撮ってから、そのポテトを長机の上に戻してください。その後、私の方でポテトの位置や向きを変えます。10個余計なものも入っています。見事にマイポテトを見つけ出してください」。「ええっ?!」「無理!ポテトなんてどれも同じでしょ?」という声が上がります。しかし、「大丈夫です。毎年、全員が完璧に見つけておられますよ」と言うと、「それならば」と、どの方も真剣に取り組まれます。

10分間は、部屋から音が消えます。最後は、いずれもハッピーエンドです。どの方も、選んだポテトを写真で確認され、ホッとされます。と同時に、「日々、ここまできちんと生徒を見ているだろうか?」「観察していると、痘痕もエクボに見えた。小さな傷がついていることによって、これがあなたのポイントだね。絶対に見つけるからね、と思った」「(持ち帰ることを聞いて)愛おしくて食べられそうにない。しばらくは飾っておこう」と言う声が聞こえます。

思考ツールを使った校内研修

校内研修では、自分の学習指導案、教科書を使いながら、次の2つのことを行いました。

①3色付箋紙(教師主導型の活動は赤、個人は黄、ペアやグループは緑)を使って自分の学習指導案を可視化する。バランスはどうか、個別最適な学びがあったかどうかを自己診断する研修。              

②情報カードを使って単元構想を練る(授業デザインを考える)研修

以下、先生方の感想です。

川村拓也校長先生

授業の様子をビデオで撮影するときは、後ろから撮影しておき、後で学級全体の活動を振り返ることができるようにする視点は大変参考になります。複式学級における授業は客観的に観察しないとなかなか気がつかない点があるものだと感じました。また、マンダラートを実際に活用して個人の課題解決していくことを体験できとてもよかったです。職員全員で共通の課題を見つけてそれを解決していくツ ールとしてもとても有効だということが分かりました。本校の児童生徒が卒業していくとき、どんな姿で卒業式を迎えるのか。そして、大川村にどのような思い入れを持って学 校を巣立っていくのか。教職員全員でゴール・イメージを共有して取り組むことが大切であることを実感しました。その他たくさんのアドバイスをいただき、ありがとうございました。

A先生

・わたりのある複式学級の授業では、子どもたちが自分たちの力で課題を解決することができるのかということが大切なのだと改めて感じた。

・また、日頃の授業を振り返った時に、自分は教師主導の授業になりがちであると改めて感じたので、小中通して自分の考えを伝える力をつけるためにも、プレゼンの場を設けるということを実践してみたい。

B先生

・ 教師に直接指導以外の時間に、いかに個人の思考を深めるための手立て、工夫をするか。シンキングツールを使った活動をパターン化しつつ、子どもが夢中になって取り組める、 思考が深まるような問いを精選する。

・ゴール設定に向けた緻密なスモールステップでの目標設定。 マンダラ図で考えてみると、何をすべきかが突き詰めて考えられ、現在取り組んでいる取り組みの中で効果的なもの、そうでないものも可視化できた。

・学習語彙を正しく使って、相手の様子を見ながら堂々と自分の考えを伝える力、相手の話を聞いて、疑問を持ったり質問ができる力をつけたい。                                 

C先生

・複式の授業では、やはり対話を通して学びを深めることが必要だと感じた。また学びの連続性を作ることが大事だと気づいた。

・小中連携して取り組むことは、ゴー ル像の共有と、適切なタイミングでの 思考ツールの活用、動画で残る記録を 作っていくことなどができると感じ た。

D先生

・マンダラートの活用によって、自分の目標や課題が簡単に焦点化できることを知った。

・小中連携では、小から中へ、中から小へ、互いに期待することをきちんと(包み隠さずに)伝え合う場にすることが大事である。

 E先生

・付箋を使って自分の指導案を見直すことができた。個人→グループ→教師の流れが大切だと思った。 

・間接指導の時間に、プリントや音読の練習などという場当たり的な指導ではなく、いかに自分で課題を解決できるかようにするかが大切だと思 った。

・ゴールイメージ(育った姿)をもっと具体的なレベルまで持つことが大事。

・教師が目当てと課題のおさえを明確にする。

・児童同士で学ぶことができる課題をどう出せばいいかを追究したい。

・自分の考えの根拠となるものを、本文のどの行にどんなことが書かれているかでいわせる。

・複式の授業では、わたりをうまくできるように1 時間の内容を練り、児童の学習内容が単式学級の学びと差がつかないように配慮しなければならない。よって、教師の教え込みではなく、教師の緻密な教材研究と授業準備、目当ての精選、児童を主体的な学習者に育てる手立てなど、教師側がすべきことをもっと丁寧に行いたい。

大川村ふるさと留学センター

大川村立大川小中学校の児童生徒数は、小学生が16名、中学生が13名、計29名のうち、村以外の出身(宿舎で共同生活)が12名。宿舎の名称は「大川村ふるさと留学センター」です。高知の過疎地区(馬路村、大川村、いの町)が進める山村留学です。大川村ふるさと留学センターの対象は、小学校5年から中2まで、期間は1年間です。

大川村ふるさと留学センターは、自然王国白滝の里(学校まで朝7時半に出る村営バスで登30分)にあります。そこでは、「野外休日活動、農園活動、自炊活動」の3本柱で、親元から離れて暮らす子どもたちを逞しく育てようとしています。

指導員3名と教師1人(持ち回り)が子どもたちに対応します。自立(自律)を基本としており、見通しが持てるように予定表や役割が細かく書き込まれ、さらには少しでも大川村のことをよく知ってもらえるように、子どもたちにマッピングを教え、自分たちで情報を整理できるようとしていました。

オレンジ・ルート

大川村訪問からしばらく経って、大川村出身の伊東 護氏(インタラック役員)とお話をする機会がありました。そこで聞かされた話に、心底驚きました。それは、米軍の海兵隊や空母航空団の最新機種の戦闘機が、映画 Top Gun のような飛行訓練をしているということでした。「オレンジ・ルート*(下のQRコードを参照)」と呼ばれるコースに含まれる大川村の吉野川(下の写真)を水面スレスレに飛んでいくというのです。耳をつん裂く爆音に住民は悩まされ、過去には時速800キロで飛行中、パイロットが気を失い、村の役場から1キロ以内にある早明浦ダム湖に墜落したという痛ましい事故も起きているそうです。平和で長閑な風景からは想像することもできない事実と伊東氏が悲しげな表情で淡々と話される様子に、早くそのようなことがなくなれば、と強く思いました。

        オレンジ・ルート

次回(第2回)、ご紹介するのは、6月30日に訪問した福岡県福岡市立能古島小中学校です。

2. 福岡県福岡市立能古島小中学校編

6月30日(金)に、福岡県の能古島にある福岡市立能古島小中学校(校長 波多江美奈子氏)に行ってきました。島の名前を聞かれて、思わず、井上陽水(福岡出身)の「能古島の片想い」(アルバム『陽水Ⅱ センチメンタル』に収録)を思い出した方もおられるのではないでしょうか。

島に住んでいる子どもたち以外の子どもたち(7割)は、毎朝、早くフェリーで島にやってきます。フェリーの乗船時間が決まっているので、寝坊などできません。

波多江校長先生は、玄関で私に会うなり、「HPを読ませていただきました。まさに、私たちがやろうとしている、自律的学習者の育成に共感しました」と言われました。さらに、校長室では、相手の話を頷きながら丁寧に聞こうとされました。福岡市教育委員会(学校企画課)におられた時から、ずっと能古島の小中一貫教育に尽力をされていたので、満を持して4月に校長になられた時点で「スタッフとスクラムを組んで、絶対に子どもたちに力をつける」と決心されたということでした。その強い思いを、校長先生の言葉の端々に感じ取ることができました。

小学校1年生の外国語(3人で行う圧巻のTT)

この学校では、小学校1年生からALTと英語教師と担任の3人のTTによる「外国語学習」が行われていました。それぞれの持ち味が活かされ、阿吽の呼吸で授業を進めていかれました。特に感心したのが、3人とも恥ずかしがらずにTotal Physical Response(全身反応教授法)を心がけておられたことでした。知らず知らずのうちに、子どもたちもチャンツのリズムに乗って身体を動かしていました。

実は、これは中学校は高校でも可能な指導なことです。たとえば、次の単語を見てください。tie, fix, wear, fasten, divide, curve, destroy, delete, chop, slice, slush, disappear, appear, roll, discover(以上動詞編)、asleep, awake, strange, amazed, surprised, relieved, careless, cheerful, quiet(以上形容詞編)これらの単語を読みながら、それを表すジェスチャーも同時に行うという指導です。身体の動きと一緒に覚えた方が、脳にイメージが残って定着しやすいのです。

私は高校生の時、演劇をやっていましたが、セリフを覚えるときは暗記ではなく、実際にその場面を想定し、動きながら、相手がそこにいることを想定して、間の時間なども考えながら何度でも繰り返し、セリフを言う練習をしました。

授業でも、このドラマ読みは非常に風光です。最終的には、ドラマ読み(演読)につながるからです。実際のドラマに出てくる登場人物になり切って、その心情を読み取り、演じながら読めるようになります。地の文も、行間を読み取り、「語り部」のように読むようになります。

授業を参観していて、ほのぼのとした雰囲気の中で、小1の子どもたちが集中できているのはなぜなのかと不思議に思いました。多くの場合、小1は、保育所とは全く違う指導に、なかなか馴染めず、集中力がすぐに切れて、何かで手遊びをしてしまうからです。そして、3人を観察していて、ハッとしました。

それは、「教室の空気」が変わったとき、優れた教師は敏感に察知できるということです。

3人の先生は、クラス全体を見渡しながら、阿吽の呼吸で、場面を自然につないでいき、子どもたち(小1)が飽きてきた様子が見られれば、それを瞬時に察知し、集中させるために、さっと相談して内容を一部替えたり、表情やジェスチャー豊かに、個々に向き合おうとされていました。まるで、自分の子どもを見守っているような眼差しでした。

子どもが「わくわく」する授業を演出できる教師は、このように、教室の空気が変わる瞬間を本能的に感じとることができます。全国で、いろんな授業を拝見させていただくと、多くの場合、最初のルーティンの活動中、生徒は元気が良く、英語を使ってやりとりをしているのですが、途中から段々と教室の空気が重たくなっていきます。次のような状況が見られる授業です。

 【クラスがどんよりするとき】 脳に霧がかかったような状態になるとき                                         ● 教師の話が説明と指示ばかりの「導管メタファー*」状態のとき                           ● 矢継ぎ早の指示で、確認もなく、教師の「先に進みたい」という思惑が見えたとき                   ● 早いペースで授業が進んで行く(理解がついていけない)とき                           ● なぜそうなるのか、「学ぶ意味」がわからないとき                                 ● 教師の説明や板書が3分(長いと感じはじめる時間)を超えたとき                          ● 教師の指示やルール説明がわかりにくいとき                                 ● 教師の指示が「はい、次」のように「箇条書き型授業」になっているとき                     ● 雑談(教師の思いつき)から、急に教科書の学習に戻ったとき                            ● 教師が特定の個人を指導しだしたとき(しかも、それがしつこいとき) 

導管メタファー:情報を有形のものとして捉え、情報の送り手と受け手の間に「パイプ」のような流通経路があり、そのパイプにポンと情報を投げ込めば、そのまま相手に内容が伝わると安易に考えるコミュニケーション観。  

 一方、生徒が最後まで集中しているクラスでは、温かい雰囲気、程よい緊張感が見られます。最後の挨拶も大きな声で元気よく行われます。生徒の声の大きさは、授業の満足度のバロメーターです。そのような授業では、次のような場面がよく見られます。

【学習者の目がパッと輝くとき】脳が「つながった」という感覚になるとき)                                  ◯ 新しい学習事項が、自身の生活経験とつながったとき                       ◯ トリビア的な(へーっ!?と驚く)情報やよいモデルを提示したとき                      ◯ テンポのよい活動のとき (教師と子どもで「餅つき」をする感覚)                      ◯「書く」活動が旬のタイミング(授業の最後や宿題ではない)で入ったとき                 ◯ 既習事項を活かした問い(クイズ、マスキング)に挑戦しているとき                      ◯「知りたい、伝えたい」と思える内容(課題)に取り組んでいるとき                      ◯ 自分のオリジナルなものを考えたり、作ったりしているとき                           ◯ 実物、写真、映像などを見たとき                                     ◯「明るい笑い」「驚き」「感動」などが生まれたとき

いかがでしょうか。もし、今、授業がなかなかうまくいかないという思いを感じておられるとしたら、上の項目で何か心当たりがあるかもしれません。そして、子どもたちがワクワクする授業をしたいと考えられるなら、出来るだけ内容を子どもたちの生活経験、既習事項につなげるようにされるとうまくいくはずです。

個別最適な学び(個別編、個性編)                               「思考、判断、表現等」の力を見る活動をどう仕組めばいいのか?        (福岡市若手教員研修会より)

能古島小中学校を訪問する前日、福岡市若手教員研修会でワークショップを行いました。授業やテストでは「知識、技能」の観点にどうしてもシフトしてしまいがちになるが、では「思考、判断、表現等」の観点をどう捉え、どのように活動を仕組めば良いのかというお話をしました。

 たとえば、T: What country do you want to go to? S: I want to go to the U.S.A. のようなQ & Aは、正しく答えらるかどうかを見るので「知識、技能」となります。では、「思考、判断、表現」の課題にするにはどうしたらいいのでしょうか。たとえば、次のようなものです。

(    A     ) so  I want to go to the U.S.A.

(      B       ) but  I want to go to the U.S.A.  

(      C     ) because I want to go to the U.S.A.

(   )の中を一人ひとりが考えるという課題です。こうすると、文脈の整合性が必要になるので、「思考、判断、表現」の力が必要になります。生徒は、次のような英文を入れました。

(A)  I want to see the Statue of Liberty, / I like MLB,

(B)  I can’t speak English well, / I don’t like English,

(C)  I am doing a part-time job / I am learning English

通常、クラスで行われている What’s this? や Who am I?のクイズですが、必然性のある活動とは言えないようです。何より、一部の生徒しか英語を使っていません。Whatはわからないものにしか使わないのに、机や犬の写真を提示して、What’s this? と言わせています。What do you say this in English? ならわかります。むしろ、黒い袋の中に物を入れて触らせ、What’s this? と問いかける、とか見たこともない物を見せて聞くようにしたいものです。

たとえば、Who am I? の活動は次のように変えることもできます。自分が誰かわからない状況を作り、一人ひとりが質問をしながらそれを探っていくという活動です。

①クラス全員が、有名人(一人ひとり違う)の名前が書かれたシールを全員の背中に貼る。最初の3分間は Yes-Noの質問(一人に1つ)をして「自分が誰か」を考える。”Excuse me, am I a man?” “No, you’re not.” “Thank you. I’m a woman.”, “Excuse me, Am I alive?” “No, you’re not.” “Oh, I’m already dead. Thank you.”                                                       ② 次の3分は 5W1Hの質問をする。“What’s my job?” やり取りするうちに、答えがわかったら、そこから、背中に貼られた人に「関連する質問」に切り替えて、確かめていく。                            ③ 時間が来たら4人グループになって、自分が誰かを当てる。“Am I Ichiro?”                    ④ 答えが違っていたら、残りの3人が30秒間英語で「ヒント」を与える。“Sorry, you are not. You’re a pitcher. Your wife was a wrester. Your father is from Iran.” “Ah, I’m Darvish.” “BINGO!” (applause)

こうすると、課題が「自分ごと」になります。さらに、ルールがsimple(時系列でわかりやすい)、wide-ranged questions(生徒が自分のレベルで質問を考えられる)、problem solving(問題解決型)、cooperative learning (協働学習、勝ち負けではない)となります。同時に、コミュニケーションの「目的、場面、状況」を踏まえた活動にもなります。

個別最適な学び(個性編)

能古島小中学校の廊下には、所狭しと、子どもたちの直筆の作品が展示されていました。最近は、デジタルツールが便利なことから、ついパソコンで作ったものをそのまま張り出してしまうことが多いのですが、少なくともイラストを手書きにすることで、その人らしさ(オリジナリティ)を感じ取ることができます。

能古楽吟(お題 ー たのしみは[         ][          ][         ][          ]時)と題して、4つの□の枠に自分で言葉を入れるという課題設定は「うまい!」と思いました。どれを読んでも、クスッと笑ってしまいます。

どの作品も「リズム」を感じさせるのは、マスキングの効果により、まとまった言葉を考えやすくなるからです。もし、これが大きな□であったり、下線であったりすると、あまりに自由すぎる(指導なし)ことになるからです。自身の「読解力」は、文脈を考えること、要約すること、推敲することで磨かれていきます。ですから、「◯字以内で」という制約があった方が、逆に、まとまりや端的な表現を考えるようになります。

他にも、個人新聞、初めての絵の具、水の量を調整して描いた紫陽花などが所狭しと飾ってありました。

フェリーの時間が迫っていたのですが、最後に寄った「雑魚」(ざっこ)というお店で食べたランチは、今まで食べた煮魚定食で最も美味しかったです。

見た目はグロテスクな印象ですが、蟹を食べるときのように、無言で宝探し(骨で覆われている部に隠れている身を見つけて取り出す)をしていました。魚は、どれも、それぞれの特徴を活かした料理をします。まさに個性です。人間はなおさら、それを活かした教育が大事になります。しかし、周りから認められる個性は、基礎基本を身につけ、人格形成があってこそです。

「個別最適な学び」の第3回は、福島県双葉郡葛尾村立葛尾小中学校を取り上げます。

3. 福島県双葉郡葛尾村立葛尾小中学校

7月3日(月)に、福島県双葉郡の葛尾村立葛尾小中学校(校長 横田和典氏)に行ってきました。東北新幹線で大宮から郡山まで1時間、磐越東線に乗り換え、船引駅まで30分。駅前の「四季の宿 天瑞(てんずい)」で前泊をし、翌朝、横田校長先生が運転される車(フィアット500)で学校に向かいました。所要時間は30分でした。

葛尾村は、東京電力第一原子力発電所が、大熊町と双葉町にまたがって立地していたことから、東日本大震災の時の原発事故により、何年間も立ち入り禁止となっていた地区です。2011年3月から数えて12年。ようやく、原発事故で他県に移り住んだ人たちも、少しずつ自分の生まれた町や村に戻り始めているようです。ただ、原発の事故前は、50人以上いた子どもたちも、現在は5人(中1が3名、中21名、中3が1名。当日は1年1人が欠席)という状況です。

双葉郡では、8つの町と村(8つの教育委員会)が協力しあって、復興推進に向けてネットワークを作り、子どもたちがオンラインでつながったり、対面(ライブ配信)で向き合い、自分たちが頑張っていることを幅広く外に伝えていこうとしています。「自分の未来を自分で切り拓いていく力を育む探究的な学び(ふるさと創造学)」として、全体で取り組んでいます。

この葛尾中学校の校舎の壁面には、Let’s Challenge! 葛尾プライド!!という大きな看板が掲げられていました。また、この学校は「自分の考えを持ち、多様な対話を通して、自分の考えを深める」を重点目標にしており、哲学者の永井玲衣さんを講師として、生徒たちは「哲学対話」を学んでいました。哲学対話のコツは、「考えが変わってもいい」「分からなくなっていい」「いいことを言わなくていい」「急がなくていい」であり、その約束は「相手の話を傾聴する」「何をいいたいのかな?ということまで聞く」「どうして?」「たとえば?」など質問する、のだそうです。それが、今、いろんなところで現れ始めているのだそうです。

英語科の先生は、中1、中2、中3を一同に介して「俳句づくり」の授業を展開しておられました。学習履歴や実態が違うことから、一律同じではなく、年齢差(学習差)を活かした指導をされていました。英語科の先生は、中1、中2、中3を一同に介して「俳句づくり」の授業を展開しておられました。

学習履歴や実態が違うことから、一律同じではなく、年齢差(学習差)を活かした指導をされていました。

まず、フィリピンから来ているALTが自分で作った俳句をモニターに映し出し、紹介します。

People are so kind

It’s peacefully yet full of life

A place you call home

葛尾村の自然と住民の温かさが、思わず母国を思い出した。ふるさとをずっと大事にしてほしいという願いて作ったようです。俳句では、松尾芭蕉が詠んだ「古池や かわず飛び込む 水の音」が有名ですが、これは英語でどう訳されているのでしょう。それを比較すると、コツが見えてきそうです。

The old pond

A frog jumps in

Sound of water

海外は俳句ブームです。外国の人が作った英語俳句をネットで手に入れることができます。そのような「レアリア」(生徒にとって本物の教材)も用意するようにします。 ネットでは、伊藤園(おーい!お茶)が、新俳句大賞で英語俳句の部を用意しています。それには、中学生が作った英語俳句、海外から応募された英語俳句が紹介されています。

A little dog 

looking for broken bubbles

with the tip of his nose.

(鼻先で 子犬が探す 割れたシャボン玉 / 日本15歳)

Spring is here

Buds opening up

I got new shoes

(春が来た 蕾が開くよ 私には新しい靴 / カナダ9歳) 

俳句や川柳などで大事なのは音節(シラブル)です。担当の先生は、それぞれの学年の学習履歴が異なることから、「作品を読んだ時のイメージ、どの部分に引かれたのか」と問いかけ、最後は一人ひとりがそれを発表しました。イメージを膨らませるには、マンダラート(9つマス)が有効です。中心枠にトピックを入れ、周りにそれから連想するものを書いて行きます。その中でイメージが膨らみそうなものをマッピングでつなげて行くのです。

個別最適な学び(個別)は、教師も同じで、「役割」を明確にすること

TTの授業では、JTEが主体、ALTはassistant の名前通り、途中、何か任された時だけ登場するということが多いようです。実に勿体無いと思います。私は、今まで12名のALTとTTの授業を楽しんできました。私にとっては、彼らは assistant ではなく大事な partner でした。ですから、3年生最後のゴール(卒業文集づくり)を最初に伝え、それに向けて、生徒の作品(自己表現)がより深いものになるよう、いろんな活動を考えました。ゴールを知った彼らは、それぞれのネットワークを使って得た色々なアイデアを紹介してくれました。さらには、コミュニケーション・カード(ALTと話して5回以上のターンがあったらサインがもらえ、それが10個溜まったらALTの母国のグッズがもらえる)、校内法則の英語DJ、ALT企画の学年集会(英語)、毎時間の即興ディベート(生徒がジャッジ)、リレー・ノート(4人班で回していく)、コンピュータで創作童話づくりなどに取り組みました。さらに、定期テスト問題(リスニング、長文、課題作文)も一緒に作りました。

彼らのポテンシャルを活かすためには、彼らが生徒と向き合う時間を与えることです。授業では、どちらかが主体になっているときは、相手(JTEかALT)は傍観的な立場になっていることが多いようですが、学習指導案では、●生徒 ● JTE ● ALT の3つの枠を作り、JTEとALTの活動が空欄(何もすることがない状況)にならないようにしなければなりません。

たとえば、ALTが指示をしているときは、JTEは生徒の様子を観察し、理解度を確かめ、もし「できていない、不十分だ」と判断したら、咄嗟に(唐突ではなく、自然につなげながら)介入するようにしなければなりません。JTEが指示や説明をしているときは、ALTが生徒の様子を見ながら、阿吽の呼吸で、簡単な例を示したり、優しい言い方にrephraseしたりするのです。

葛尾中学校は、中2が1名、中3が1名。技能教科は1対1の授業をされているといいます。仲間がいないとスポーツの試合はできません。せいぜい、教師がバドミントンの相手をするくらいです。だからと言って、家庭教師をするように教え込むのではなく、学習指導要領に基づいて、身に付けなければならない力を獲得させなければなりません。確かに、仲間がいないと協働学習(やり取り、協力して練り上げること)はできません。しかし、教師は「学びを深めるパートナー」になることはできるはずです。

一つのヒントは、教師の専門性の高さです。葛尾中学校の理科の教師は、顕微鏡の名人であり、それが生徒にとってよいガイドになっているのだそうです。つまり、一人ひとりが教師をよく観察し、自分なりに学ぼう、真似ようとし始めるということです。

一斉に教師が指導するのではなく、「なりたいモデル」が身近にいることでモチベーションが上がるのは、スポーツや芸術、芸能の世界と同じであるように思います。この理科教師は、その専門性の高さから、「理科の面白さ」を発見できるよう、タブレット端末を使って探求活動を仕組むのだそうです。タブレット端末で一斉に同じことをさせるのではなく、個々の「知りたい」を追求するためのツールとして使うのです。

授業中の教師のつぶやきも、個別最適な学び(自分の現状から、ハッと気づく)を生み出します。よって、教師は「つぶやき」を意図的に(教育効果を上げるために)発していくことが大切です。

多くの学校では、一定数の生徒を相手に、ほぼ真ん中のレベルの生徒を対象とするような授業をしがちです。同じプリントを使い、早く終わった生徒は待たせて、理解に時間がかかっている生徒は、教師が机間指導をしながら教えるというパターンです。しかし、道草と同じで、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

しかし、日頃から生徒をよく観察しておけば、一人ひとりの理解度の差に応じて、事前にヒントカードを用意したり、次の一手(次の活動)を用意したりすることは可能なはずです。それができないのは、教師が先を急ぐあまり、生徒を十把一絡げ(全てを雑然と扱うこと)にして見ようとしているからではないでしょうか。

特に、学年で1名ということになると、生徒の相手は教師になります。教師はあるときは「指導者」に、またある時は「級友」にもならなければなりません。そのためには、教師は目の前の生徒と向き合い、生徒の立場や生徒の心情を理解した上で、「対話」ができるということが大事になります。答えをすでに知っている教師は、どうしてもその方向に持って行きがちになります。しかし、思春期の生徒たちは説得ではなく、納得を求めます。答えよりも、「なぜそうなるのか?」に関心を持つものです。よって、教師自身が、子どものような知的好奇心を日頃から持ち続ける努力をすることが大事です。

日常化させたいのは、生徒とジャーナル(交換日記)をやり取りすることです。その中で、生徒の疑問に向き合い、答えを書くのではなく、それを広げ、深めてやる視点が必要です。ネットを使って調べることなども示唆しながら、丁寧にコメントを書くことで、その生徒に寄り添うことができるようになります。

僻地の学校に勤務している教師は、2つのタイプに分かれているように思います。

一方は、勤務中に、特別支援教育で大切にされている「温かい眼差し」や「細やかさ」(ホスピタリティの高さ)が身につき、以後、どの学校に行っても、個々の良さを引き出すことをできるようになるタイプです。

もう一方は、人数が少ないことにより、指示が通りやすいことから、「前任校よりもやりやすい」とばかりに、予定調和で授業を進めてしまうタイプです。今から20年ほど前、私が砺波教育事務所で指導主事をしていた折、3年間、僻地校(平村立平小学校、平中学校、上平村立上平小学校、上平中学校、利賀村立利賀小学校、利賀中学校、いずれも今は南砺市)を訪問する機会がありました。そこで管理職の先生とお話をしていると、どなたも「生徒が少ないため、教師は、どの子も大切に思うあまり、きちんとわからせようと、つい丁寧な指導(1から10まで教える)をしてしまう。だから、生徒が教師に甘えてしまう。待ちの姿勢になる」とため息をつかれました。確かに、管内の市や町の中学校の授業と比べて、教師がしゃべっている時間も長く、話し方もかなりゆっくりであるように思いました。

前者のタイプの先生は、その後、教育委員会に入られたり、管理職になられたりしました。今、僻地校で勤務しておられる先生は、可愛いからこそ、その子のために鍛える、という姿勢で日々の授業に臨んでいただければと思います。厳しさと冷たさは違います。同じように、優しさのと甘さも違います。前者は相手(生徒)目線、後者は自分(教師)目線です。厳しい指導ができるのは、正しいゴールを熟知しており、どの子もそこに連れていけるという自負心があるからです。

個別最適な学び(個性編)②

(2)の能古島小中学校編でご紹介した「個別最適な学び」(個性編)同様、葛尾小中学校でも、一人ひとりが時間をかけて丁寧に作ったであろう作品が、廊下に丁寧に並べてありました。作風、創作の工夫を大説にし、廊下に全て掲示することで、自分たちの居場所をしっかりと意識できるようにしてありました。思わず、金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」の中に出てくる最後のフレーズ「みんな違って、みんないい」を思い出していました。このように一人ひとりの持ち味(オリジナリティ)、個性(パーソナリティ)を大事にする教育も、また「個別最適な学び」になると考えます。

「比較」は「思考」を促します。しかし、「どんなことを考えさせるため」と言う目的を明確にしないままの「比較」は、子どもたちを傷づけることが多くなります。学校での「比較」は、どちらかというと「上か下か」とか「良いか悪いか」が多いようです。そうではなく、発展途上の子どもたちにとって、「比較」とは、よいモデルに出会う貴重な場面なのです。比較とは、そもそも、自分にはない視点、考え方を知るために行うことです。「競争」だけにしてしまうと、自分に自信がなくなってしまう子どもが出てきます。その子は、大人になっても「比べられる」ことでストレスを感じます。家でも、兄弟(姉妹)を比べて「お前はダメだねぇ」というようなことをつい口走ってしまうと、「親に愛されていない」と思った子の性格が荒んでしまいます。

中学校で習う「比較級」も、クラスの仲間の身長、体重などを安易に比較してしまうのは絶対に避けなければなりません。ずっとそのようにして育ってしまうと、「作品(書いたもの)を提出してください」「テストを見せてください」とお願いすると、「何に使うんですか?みんなに見せるんですか?」とナーバスになって聞いて来られる方がおられます。小学校から大学まで「仲間と比べられる」ことによって染みついてしまった「勝ちたい(負けたくない)」という感情は、自己承認欲求(多くの人から認められたいという願望。それが仕事をする最大の目的になる)につながってしまいます。

今回は、僻地の学校の実践を取り上げ、「個別最適な学び」として「個(individual)に合った指導」と「個(personal)を活かした指導」に特化して話を進めてきました。教師がそれらを最大限に活かすためには、変化を見つける観察眼とそれに気づける感性を高めることが不可欠です。最後に、文科省が述べている「もう1つの柱」である「協働学習」(仲間との関わりの中で学び合う)の必要性について述べておきます。教師が説明する授業、教師がコントロールする授業では、子どもたちのセルフ・コントロール力、自己評価能力、またはメタ認知能力が育ちません。主体的な学びは英語に直すと、proactive learning であることをお伝えしました。(当HPの「なぜ、授業が”ワクワク”しないのか?-教師の「読解力」が周りに大きな影響を与えている-を参照)「主体的」は、自主的(やることが決まっている)や積極的(自分から進んで行う)のニュアンスとは異なり、それは「先を見通して行動する」という意味です。つまり、目的と目標が最初に示され、それに向けて自分で計画を立て、修正できるような学習のプロセスが必要であると言うことです。その時に不可欠なのは、仲間の力です。仲間から大きな刺激を受け、ヒントをもらい、助け合うような学習集団に育てていくことです。つまり、メンタリング(モデルから学ぶ)の機能を活かすことです。授業とは「学級づくり」です。授業でテストのための知識を与えるのではなく、授業を通して仲間や教師との関わりから「人格」を形成していくからです。

番外編

葛尾中学校では「ルンバ」を「飼って」います。時々、「脱走」してしまい、みんなで捜索するのだとか。話を聞いていて、ペットのように「可愛がっている」ことがわかり、笑ってしまいました。

最後は、やっぱり食の話題になってしまいます。帯広市にある「ランチョ・エルパソ」というレストランのコンセプトである「風土が FOOD を造る」は、どこに行っても確かにそうだなと思わされます。ここは、帯広市に住んでおられる浦島久さん(ジョイ・イングリッシュ・アカデミー校長、Photographer、作家)お薦めの場所で、何度も行きました。浦島さんは、菅 正隆先生、田尻悟郎先生、私を何度も帯広でのワークショップに呼んでいただき、育てていただきました。感謝しかありません。

校長先生が、「日本一美味しい給食だから、ぜひ食べていってください」と言われるほどあって、まさに葛尾小中学校の自校給食は「絶品!」でした。ご馳走様でした。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント