「忙しい」は、努力の証明ではない
2025年12月13日の記事では、
「❶ 忙しさに飲まれる教師」と
「❷ 忙しさをデザインできる教師」
の分かれ道を、段取り・優先順位・設計
という視点から整理しました。
今回は、少し視点を変えて「多忙感」の謎
に迫ってみたいと思います。
問いは、こうです。
なぜ私たちは、忙しい状態から抜け出せない と感じてしまうのか。
ここには、仕事量や能力とは別の、
もっと深く、見えにくい要因が潜んでいるように思います。
1|忙しさを生むのは「量」ではなく「固定された前提」ではないか
教師が口にする「忙しい」という言葉には、しばしば次のような前提が含まれています。
• 授業は、全クラス同じでなければならない
• 教科書は、順番に進めなければならない
• 指導案は、共通である方が安全だ
• 変えることは、余計な負担を増やす
これらは一見、合理的に見えます。
しかし同時に、選択肢を自ら閉じてしまう前提でもあるのです。
つまり、
「忙しいから、変えられない」のではなく、
「変えられないと思っているから、忙しくなる(忙しいと感じる)」
ということなのです。
この逆転に気づかない限り、
忙しさは“環境”ではなく“常態”として居座り続けます。
2|同じ授業を繰り返すことが、なぜ疲弊を生むのか
先の記事では、
「同じ授業を繰り返すことは一見効率的だが、実は思考停止を招く」という点に触れました。
今回は、その内側で起きていることに焦点を当ててみます。
同じ授業を、同じ構造で、同じ強度で行うとき、
教師は毎時間、無意識のうちにこう問い続けることになります。
• なぜ、ここでつまずくのだろう
• なぜ、この問いが響かないのだろう
• なぜ、手応えが薄いのだろう
本来は「設計で調整すべき違い」を、
その場の「気合」や「説明の量」で埋めようとするため、
授業中の違和感や授業後の疲れにつながってしまうのです。
だとしたら、「多忙感」は、時間が足りない状態ではなく、
納得できない時間を積み重ねているからだと言えないでしょうか。
単元ゴールがあると、自己決定ができるようになる
単元ゴールから逆算して授業を設計すると、
前ほど忙しいとは感じなくなります。
その理由は、効率が上がるからではありません。
最大の変化は、
教師が「選べる立場」に戻ることです。
• 今日は、ここを手厚く扱う
• この言語活動は、相手を変えて丁寧に行おう
• 同じ教材だが、このクラスでは出口を少し変えてみよう
こうした判断は、
「迷い」ではなく「意図」になります。
すると、授業中の教師の視線は、
進度や時計ではなく、
生徒の「反応」そのものに向かうようになります。
忙しさが消えるわけではなく、
気持ちがそれに翻弄されなくなるのです。
「忙しい」は、問い直すための合図
12月13日の記事でも触れたように、
忙しさは、ときに私たちを守る言葉です。
責任をもってやっているという証です。
だからこそ、
「忙しい自分」を否定する必要はありません。
ただ、一つだけ付け加えるとすれば—
その言葉が口に浮かんだときこそ、
次の問いを自分に投げかけてみていただきたいのです。
これは、量の問題なのか。
それとも、前提の問題なのか。
もし後者だと感じたなら、
変えるべきは、時間でも努力でもなく、
授業の設計図(見取り図)です。
このようにして、
思い込みを一つ手放したとき、
授業は整うようになり、
教師の中に、余白(ゆとり)が戻ってきます。
その「余白」が、
さらに生徒を「見る目」を育て、
授業を「やらねばならない仕事」から
「やりがいのある営み」へと変えていく
のではないかと考えます。
研究授業は「一番やりやすそうな1時間」か?
研究授業を行う際、
無意識のうちに、
単元の中で「一番やりやすそうな一時間」を
選んでしまってはいないでしょうか。
あるいは、
「主体性」という言葉を取り違え、
活動だけを用意して、指導を手放す
―いわば、活動を生徒に丸投げする
ような授業になってはいないでしょうか。
その時点で、
学習指導案は「学習の設計図」ではなく、
単なる授業進行案になってしまいます。
予定通りに進む。
大きな失敗はない。
とりあえず、恥はかかない。
しかし、そのような予定調和の授業では、
学習者は最後まで受け身のままです。
「次に何をすればいいのか」を
自分で考えず、
教師の指示を待つ姿勢から
抜け出すことはありません。
そして、授業が終わったあと、
どこか物足りなさが残る―
そんな感覚に、心当たりはないでしょうか。
生徒に活気がない授業は、
ボクシングのボディ・ブローのように、
じわじわと、後から効いてきます。
明るい笑い声がない。
「えーっ?」という驚きが起きない。
教室に沈思黙考の空気が流れない。
時間を忘れて没頭する瞬間がない。
そうした授業が続くと、
気づかないうちに、
教師の心に疲れが蓄積されていきます。
だからこそ、
私は何度でも伝えたいのです。
それは、
単元計画を作ったら、
真っ先に「最後の授業」の学習指導案
から書くことの大切さー
最後の授業(仕上がり)さえ定まれば、
目的と活動は一本の線でつながり、
それぞれの場面で「なぜ、この活動なのか」が
自然に説明できるようになります。
研究授業で「自分がやりやすい1時間」を
選ぶのではなく、
どの時間であっても「どんと来い!」
という気持ちになれます。
なぜなら、頭の中にストーリーが
できているので、どこを切りとっても
山場が作れるからです。
子どもたちが向き合う課題(状況)、
そこで求められる思考、
そして、育った姿――
すべてが一つのイメージとして、
頭の中に立ち上がるからです。
仕上がりが見えていれば、
教師は、あくせくする必要はありません。
多少、想定外のことが起きても、
臨機応変に舵を切ることができます。
それは、
自転車操業の授業ではなくなることを意味します。
