🟢学習の目的は「概念形成」(「主体的に学習に取り組む態度」が勘違いされてしまうのはなぜか? )

何もみないで説明できる、具体例を示せる。それがその人の「概念」

私たちは、通常、ノートやパソコンを手に持ったまま話す、またはスマホを見ながら話すということはありません。自分が知っていること、体験したことを、自分の言葉で相手にわかりやすく説明できる、それについて自分の考えがきちんと言えるようになるために、日々、学んでいます。筆記試験(論文)や面接試験などで、200字程度で論述する、1分間で考えを述べるという場合、筋道を立てて、具体的な事例を示し、わかりやすく説明する内容が、その人が獲得した「概念」です。「生涯学習」とは、今の「概念」をより豊かにするため、より確かなものにするために、ずっと学び続けるということです。

テストの穴埋めのような「断片的な知識」ではなく、つなげられる、広げられる、まとめられるという能力を高める土台となるのが、その人の「概念」です。ですから、もし、研究授業、実践発表、討論、プレゼンテーションなどの「出力」をする機会がなければ、自分の現在地(どこまでできるようになっているのか)が確かめられません。ずっと「分かったつもり」で終わる可能性があります。教師による説明が多い授業、講師の実践を中心に聴くセミナーなどでは、刷り込みによって「分かったつもり」で終わることが多いのはそのためです。

授業でノートやワークシートを見ながら発表することを許しているとしたら、クラスの生徒たちの得た知識は、いつまで経っても「確かな概念」「豊かな概念」にはならず、自信を持って相手に伝えることはできません。自信がないため、さらにノートやワークシートに依存するようになります。

学習指導要領に書かれている「活用」とは、新い局面で問題(課題)に向き合うことになった時に、既習の情報や知識、経験、さらに今までに獲得した技能を組み合わせて解決することができるという意味です。「応用」と異なり、教師の方から「この言語材料、これらの語彙を使って解きなさい」という指示を与えてしまと、活用にならないということです。それこそが、学習者の「思考・判断・表現」の能力です。「主体的に学習に取り組む態度」の評価がわからないと悩んでおられる方が多いようですが、どう考えればいいのでしょう。

主体的に学習に取り組む態度」の行為者は「学習者自身」であり、教師ではありません。だとすると、教師から与えられた課題、すでに決まっていることを終わらせるような活動では、この評価は相応しくないということになります。

「主体的」とは、「学習者自分の意思決定」の場面があることが大前提となります。生徒が自分で考え、取り組んだことでなければ、提出が早かった生徒、最後まで粘り強く取り組んだ生徒は「自主的」と評価されることはあっても、「主体的に学習に取り組む態度」として評価はできないということになります。では、「主体的に学習に取り組む態度」は、どのような場面を用意すればいいのでしょうか。

「主体的に学習に取り組む」の判断基準は、行為ではなく「心情の表れ」で

「主体的に学習に取り組む態度」の基盤になるのは、個々の「概念」です。「概念」は実際に出力したときに、自分で理解できているかどうかを認識できます。つまり、メタ認知力(もう一人の自分が、自分を客観視できる力)によって、人は自分ができている部分、またはもの足りない部分を知ります。協働学習をする中で、高次なメンタリング(モデルから学ぶこと)が行われると、もっとやってみたい、よくしたいという「内的な欲求」(心情の表れ)が生まれてきます。学習者にとって「現実と理想」のギャップが生まれると、それをなんとか埋めたいと考えるからです。学習が、個々の生徒にとって「学びたい、やってみたい」という必要感があること(目的を理解した有意味学習)がそれを可能にします。

昨年、対面塾(中嶋塾@東京2023)では、書く力を鍛えるために月例会ごとにレポートを書き、メーリングリストに自分が得た学びを自分の言葉で説明しました。どんな力をつけるためか、授業でどのような効果が生まれるかということを理解してもらうために、いくつかのプロジェクトを仕掛けました。テーマは、『英語教師の授業デザイン力を高める3つの力』(大修館書店)を読んで、「私が見つけた5つの⚪︎⚪︎」というテーマで書評を書くというものです。16人の塾生から出された作品は次のようなものでした。 *は投票の結果、予選を通過したものです。

1)私が見つけた5つの「遊び心」 *

2)私が見つけた5つの「楽しい」 *

3)私が見つけた5つの「生徒の3Kを生み出す教師の習慣」

4)私が見つけた5つの「わくわく」 

5)私が見つけた5つの「気づき」 

6)私が見つけた5つの「感受性を高める方法」*

7) 私が見つけた5つの「相手目線からの生徒理解」 

8)私が見つけた5つの「タテ糸・ヨコ糸」 

9)私が見つけた5つの「今の私に必要なこと」

10)私が見つけた5つの「授業改善に必要な手立て」 

11)私が見つけた5つの「勘違いしていたこと」*

12)私が見つけた5つの「目からウロコ」 

13)私が見つけた5つの「授業改善への手がかり」 

14)私が見つけた5つの「目」 

15)私が見つけた5つの「目的地 (ゴール)」 

16)私が見つけた5つの「授業デザイン力」*

自己評価能力を高めることによって「推敲」したくなります。「自己更新」の喜びを感じるからです。誰か(教師)に言われて見直すのではなく、仲間の取り組み、仲間との相互評価、教師の適切な評価を経て、無性に自分のものを直したくなる、変えたくなるのです。ある塾生さんが、今回のビブリオバトルの予選・本選のプロジェクトを次のように振り返っています。

推敲が習慣になったことで、見える景色が大きく変わりました。書いた文章も、章や項や節といった「まとまり」で分類するようになりました。それによって、「何のためなのか」、「どう並べると読み手にわかりやすくなるのか」、「どのような表現、比喩を使うとイメージが膨らむのか」を考えるようになりました。つまり、「チャンク」を意識したということです。中嶋先生が、「3つの力」の書籍の5章で書いておられた「俯瞰」と「細分化」がまさに実感できました。課題や業務も、編集作業でやったように小さなまとまりにして区切るようにすると、するすると具体的なイメージ(到達地点、そこまでルート、見通し)が持てるようになりました。

マッピング、マンダラート、付箋紙などを使って整理をすると、効果はテキメンでした。今までは、全てをまとめて考えようとしたので、なかなかうまくいかず、億劫に感じていました。「先延ばし」にしたのも、「時間のある時にまとめてやろう」と考えたのも、「すべて」を一度にやろうとしたからです。音読でも、チャンクごとに区切ると、英語を英語の語順のまま理解できるようになります。つまり、「まとまり」に分けるのは、言葉の教育の根幹だということです。

何よりも、初動が早いと、時間に余白ができます。これは「追いかけられている」というストレスがなくなり、精神的にゆとりが生まれ、推敲(修正)も楽しみながら、何度も行えるようになっていることに気づきました。生まれた余白で、教材研究もしっかりできるようになりました。授業が楽しいと思えるようになったのは、よい準備(「わくわく」を心がけていること)ができているからだと痛感します。

アイキャッチの写真は(1)を書いた塾生さんの作品です。彼女は、before の作品を仕上げた後、仲間からアドバイスをもらったり、仲間の作品を参考にしたりしながら、「推敲」しました。その際、何に気をつけたのか、というコメントも残しています。

https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/風見(本選とコメント).pdf

同じように、投票によって予選を通過した塾生たちは、仲間(特に(1)の作品)に触発されて before の作品を大きく変えました。3人の作品(before と after)を載せておきます。どこがどのように変化したのか、それは何故かを読み取ってみてください。

https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/ビブリオバトル(before-after_comment.pdf

さて、ここで塾生たちは「あること」に気づきます。高杉達也先生(筑波大附属中)が、それを次のように書いています。

私たち塾生は before 版も after版も一度は目を通しているはずです。しかし、こうしてまとめられたものを改めて読むと、個々の進化が明確に把握することができました。そして、「あっ、これが『個人内評価』なのか」と気付きました。同時に、「こうやってアウトプットを before/after で比較することで『主体的に学習に取り組む 態度』を評価することができるのかも」という考えに至りました。

どの研修会でも評価規準については毎回と言ってもいいように話題になります。しかし「主体 的に学習に取り組む態度」はいつも曖昧模糊。学習指導要領を読み込むと、「学習調整力」と「粘 り強さ」という2軸に必ずたどり着きます。

しかし、その2つの側面を見とる方法というものがなかなか見当たらない。私もその一人でした。 「パフォーマンステストを複数回やって、前回の反省点が次回の発表に改善されていれば「主体・学」はプラス評価。それはわかるんだけど、どうやって実践したら…」とここまでは来ていたので すが「あと一歩」が足りていませんでした。

ビブリオバトルの before/after に戻ります。Before は新著を読んで我々が各々に書いたもの。 (もちろんこれまでに中嶋先生から学んだことを生かしながら、ですが。)ある意味では「自分の現在地」の確認作業。その後、対面塾内でのビブリオ共有&投票。これが「中間評価/中間指導」です。他の先生方の作品と横並びになって気づく自分の作品の物足りなさと欠けていた視点。投票と同時にその理由も共有されていたので「協働」の場にもなっていました。その協働で得た示唆を踏まえて、改 めて推敲に取り組む。この作業こそが「主体的に学習に取り組む態度」なのではないでしょうか。

自分の不足に気付かされて/気付いて、それを埋めるべく取り組み方を調整する。諦めず粘り強く。その姿勢(思考の履歴や取り組みの変容)を評価するのが「主体的に学習に取り組む態度」。自分が体験することで、ようやく実感を持って理解することができました。 これを打ちながら身震いしています。やっと理解することができた…。「主体的に学習に取り組む態度」は「思考・判断・表現」と一体に評価するという言葉、これまでも知ってはいましたが、今回ようやくきちんと理解することができたように思います。

「主体的に学習に取り組む態度」は「思考・判断・表現」と一体ということで、学習指導案の観点の文末を部分的に変えるだけでした。「本当にこんなのでいいのかな?」と悩んでいました。しかし、そのような単純なことではなく、「思考・判断・評価」を一過性ではなく学習の中でスパイラルに繰り返すこと、自らの変容を感じとれるようにするプロセスを仕組むこと、その中でしか『主体的に学習に取り組む態度』は評価できないのではないか、という認識に至りました。

また、ある塾生さんは、このように述べています。

評価の観点が3観点になりました。「知識・技能」、「思考・判断・表現」、「主体的に学習に取り組む態度」です。正確性を評価する「知識・技能」を今回のビブリオバトルに当てはめてみると「中嶋先生の新刊」の内容をどれだけ正確に紹介できているかです。適切性を評価する「思考・判断・表現」の観点では、書かれている内容が正確であっても、目的・場面・状況を正しく判断し、考えて表現できてなければ評価は悪くなります。読んでみたくなるという目的が達成できているか、相手意識をもって、適切に紹介できているかです。情意面を評価する「主体的に学習に取り組む態度」については、粘り強く自己調整ができているかです。「粘り強く」は、「もっと」という気持ちが行為に出てきます。「自己調整をする」とは、高次の成果物にするということです。

本の紹介文を粘り強く何度も推敲したり、他の先生方が書かれた作品を読んで、これはいいなと思ったものを、自分の作品に取り入れたりすることで、自己調整を図り、よりよいものにしていくこと、まさに、その工程がワクワクするものであれば、その学びは教師としてのキャリアに大きな影響を与え持続します。

頓珍漢な内容になっているかもしれませんが、今回のビブリオバトルの本選を審査するにあたって、自分自身がどのように審査をしたのかを突き詰めていくと、授業観、評価観とつながっているのを感じています。このメールを書くまでに、ずいぶんと考え、それを文章にしてメールに書くことにも恐ろしく時間がかかりました。これほど突き詰めて頭をフル回転させたこと、最近どれだけあったでしょうか。今は心地よい疲れを感じています。

他の内容(「振り返った時に『あの時に』という節目を残すために」、「『校内研修が楽しくなる』ってホント?」)でも書きましたが、「主体的」とは「学習者が自己決定すること」です。「まだできる、もっとできる、やりたい」という心情になることこそが、「主体的に学習に取り組む態度」が表れていることになります。たとえば、①もう一度やり直してみようとする ②家に持ち帰って時間をかけて仕上げようとする ③仲間の作品にヒントを得て、さらに良い内容にしようとする ④仲間から学んだことを、どう次のステージに繋げるかを熱心に説明しようとする ④ 仲間にアドバイスをもらいながら、さらに質問しようとする ⑤ できたこと、うまくいかなかったことをノートに丁寧に振り返っている、等のことです。

さて、私は、対面塾の塾生が挑戦したビブリオバトルの作品の中から3つ選ぶよう、オンライン塾の塾生たちに伝えました。上がってきた作品は、バラバラでした。多くは、感覚(主観)で「好きな作品」「共感できる作品」を選んでいました。そこで大事なことは、「3つの作品を選ぶ」ということです。これは「規準」を作らなければできません。つまり、「評価の視点」が曖昧なまま選ぶということになってしまうのです。これは「評価」の「概念」が正しく身に付いていない(点数で評価をしてしまう)ことにつながります。そこで、私は、一人のオンライン塾の塾生さんの振り返りレポートを全員に示してから、次のように総括をしました。

https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/06/【6G冨藤】ビブリオバトル総括をうけて.pdf

ビブリオバトル(ライター編) 最終総括

1. まずは「対象」を考えること

本書(『英語教師の授業デザイン力を高める3つの力-読解力・要約力・編集力-』)は、書籍では 「外国語教育」のカテゴリーに入ります。だとしたら、対象は英語教師、または外国語教育に関心のある方です。中嶋でも、アドバイザーでも、指導主事でも、身近な人(同僚)でもありませ ん。ビブリオバトルは、初めてその本を読む人が対象となります。よって、それを審査する場合、それを明確にしてから読み始めることがルールです。

2. 評価(審査)で要求されるのは俯瞰力

基準(物差しや秤)を持たないまま、ものごとを比較する場合、自分の主観(好み、印象)で 判断されるようになります。寿司屋のベテランの職人は、寿司を握るときに一回で適量のシャリを掴むことができます。⻑年培われた経験から身体が覚えているからです。大事なのは「回数」。今回、審査に関わった経験のある方は、中嶋から示されなかった「項目」を自分で設定されました。そうでなければ、「3つ」を選ぶことはできないからです。

授業も同じです。教室で、生徒の様子を観察するときに、できているのか、できていないのかを的確に判断する基準を用意していなければ、その日の感覚で(主に生徒指導の目)見てしまい ます。それに慣れてしまうと、スピーチ、ディベート、プレゼンテーション、リテリングなどの 活動も、適切に評価できなくなります。実際のスピーチコンテスト、プレゼンテーションコンテ ストなどで審査をする場合、最初の 5 人が終わった時点で、一旦、審査員が集まり、お互いにつ けた点数を確認し合います。ブレをなくすためです。ですから、パフォーマンステストは、自分 ひとりで評価をするのではなく、教科部会(ALT を含む)全体で行うことが大事です。

私たち教師は、「評価」(evaluation, assessment)によって学習者を育てているということを忘れてはいけません。ちなみに、evaluate の定義は COBUILD(英英辞典)では If you evaluate something or someone, you consider them in order to make a judgment about them, for example about how good or bad they are.と書かれています。つまり、「良し悪しを評価する」ということです。

一方、assess の方はこうです。When you assess a person, thing, or situation, you consider them in order to make a judgment about them. その語源は「裁判官の補佐として横に座る」であり、「見極める、査定する」という「判断」は、良いか悪いかだけでなく、根拠を持って評価をするとい うことになります。私たちが目指すのは、この assess の考え方です。

『英語教師の授業デザイン力を高める3つの力』(大修館書店)の2章には、評価について次のように書かれています。 (引用はじめ)

通常,単元最後のパフォーマンス課題で生徒が発表する機会は,一度きりです。そこで学んだ ことを活用する場は,しばらくありません。しかし,中間評価で,作品などを生徒同士が相互に 評価し,学び合うことで,生徒は自分の作品をバージョンアップさせることができます。他者と 比較することで,自分の発表や作品を客観視できるからです。もしかすると「パフォーマンス課題は評価をする機会だから,中間評価は取り入れたくない」と考える方がおられるかもしれません 。 これは、評価を「成績を出すための評価」( Assessment of Learning)と捉えるのか,「生徒の力を伸ばすための評価」(Assessment for Learning)と捉えるのかという違いから生まれています。生徒の成⻑を「点」だけで捉えようとするのか,「線」や「面」で捉えようとするのかという姿勢の違いです。教師が教えて,その結果を評価するというシステムでは,生徒は常に待ちの姿勢になってしま います。これからの社会では,「自己評価能力」や「メタ認知能力」を身につけることが不可欠で す。それが「主体性」の大元になり,自律的学習者となっていけるからです。
(引用終わり)

適切な評価(審査)をする場合、大事なことはメタの視点で見るということです。つまり、全体を眺める(俯瞰する)のです。これは、本書の5章で詳しく書いておきました。教師が伸びていけるかどうかは、この俯瞰力があるか、ないかで大きく左右されます。もし、「俯瞰力」をつけたいというのであれば、審査は次のようなプロセスが必要です。

(1) まず、全ての書評を、下線も書き込みもせずに一気に読んで概要を知る。(2)5つに共通する審査項目を3つ考える。(3) 3色の付箋紙を用意する。(4)2回目に読むときは、決めた観点に基づいて、正確に付箋紙を貼っていき、評価をする。(5)3回目に読む時は、それでいいかどうか、内容と貼られた付箋紙を比べながら最終確認をする。

やってはいけないのは、No.1から順に読みながら下線を引いていくやり方です。書かれている内容が個性的で、自由な書き方の場合、読んでいると、下線を引く基準がどんどんブレていってしまいます。ちょうど、観点項目を明確にしないまま、生徒の英作文に点数をつける場合、教 師の好みや自分が指導したことの確認などが採点の基準になってしまいます。減点法も同じです。

Global errors も Local errorsも同じ減点にするのはNGです。まして、減点による評価では、いつまで経っても内容は良くなりません。安全策(高得点が取れる英文)しか考えなくなるからです。評価者として大切なのは、内容が5点、語法が5点のようにして、内容もしっかりと評価 の対象にすることです。それによって、苦手な生徒が break through することがあります。

書評は、エッセイや読書感想文ではないのですから、「面白い」とか「共感できる」とか「工夫 している」のように表面的な捉え方になってしまうと危険です。そのような読み方をしていると、「俯瞰力」どころか、ど近眼の「蟻の目」になってしまいます。

3. ていねいな推敲は、自身の「メタ」(俯瞰)を作る

もう一つ、俯瞰力を高める上で有効な取り組みがあります。前回、なぜ冨藤先生から送られてきたレポートを添付した理由はお分かりでしょうか。今回も、対面塾の本田先生と風見先生のレポートを添付しています。なぜ「添付」なのでしょう。

そうです。ワードで書かれたもの(ベタ書きではなく、小見出しが入っている)は、必ず、印刷をしてペンで推敲をした上で清書をして提出されているからです。気持ちに余裕がないと、どうしても目先しか見えなくなり(明日の授業の準備、全体計画がないから自転車操業)、「ああ、そうそう、忘れていた」ということの繰り返しになってしまいます。

皆さんは推敲と校正の違いを説明できますか。国語科の風見先生は、校正と推敲の違いを、次のように説明しています。

「より良くする」がポイントになります。「良く」という意味は、「わかりやすいこと」「読み手 の心に残ること」という意味です。「推敲」とは、原稿の様々な文脈を、より豊かにすること、読み手が立ち止まらずに、すっとそのまま脳の中のイメージできること、映像が浮かんで くるようになるまで練り上げる作業であるということです。「推敲」とは中国の故事に由来する言葉で「字句や文章を十分に吟味して練り直すこと」です。 表記や誤字を訂正する「校正」とは異なり、言い回しや表現を他と比較しながら、「より良くする」 というのが本来の目的です。

「推敲」が上手になるにはどうすればいいのでしょうか。それは「よい習慣」を作ること、他人から「甘い」と思われる取り組み(先延ばし、言い訳)をなくす努力をすることです。それしかありません。最近は、児童・生徒が教師に論戦を挑み、教師が一瞬でも詰まると「はい、論破」言うのだそうです。SNS の登場によって、 飛躍的に便利になりましたが、大事な心はどうでしょうか。時代はどんどん変わっていきます。その中で、教師が凛として生徒の前に立ち、ホスピタリティを心がけながらも、いざという時は毅然とした態度を示せること、それが信頼に繋がります。

どんな時代にあっても、教師の仕事は1つです。生徒によい影響を与えること、生徒の心の成 ⻑を促すことです。教室の言語環境、教師の言語力が、生徒に大きな影響を与えます。ですから、 形だけの推敲(それは校正レベル)ではなく、何度も、何度も fine-tune できるまで、自分の判 断基準のバーを高める努力をすることです。

4. fine-tune をするとは、具体的に何をすることか

“fine-tune“ は refine と 同じ意味でよく使われます。「磨き上げる、洗練させる、研く、きめ細かく調整する」という意味ですが、実は大きな違いがあります。皆さんは Hi Native というアプリを使っておられますか。 これは、質問に対してネイティブの立場から答えてくれるというもので、とても便利です。「refine と fine-tune の違いが辞書でもよくわからなかった」という問いに対して、次のように答えています。

I’m refining my cooking skills” – This comes off as you are bettering your skills, with no regard to skill level. (個人内評価)

“I’m fine-tuning my cooking skills” This comes off as that you are bettering your skills, with regards to it almost being perfect or really good.(絶対評価)

私はこう fine-tune を次のように考えています。それは、

1 最後の最後まで丁寧に取り組むこと
2 納得がいくまで何度でも推敲すること
3 必要ではない部分を徹底的に削ぎ落とすこと

です。

「こだわり」を持った教師は、誇り高い理念を持ち、「(自分自身が)絶対にできるようになる」 「(学習者を一人残らず)絶対にできるようにする」という強い信念(時には執念)があります。

それが強い(教師としての責務を持っている)人は、あらゆること、あらゆる人から学ぼうと します。書籍を読んでも、文章を読んでも、洞察力の高い方は、他の方と下線をひく場所が異な っていることが多いようです。

私は、4月の最初に、「最終ゴールは自身の学びをレポートにする、その原稿を仕上げることだ」 と言いました。その履歴を普段から、丁寧にメールを書くことで残している方は、すでに1冊分 のデータが蓄積されています。それを、最後に編集することで、自分の1年の学びが理路整然と 整理されるでしょう。

その最後のシーンを、今から、イメージできるかどうか。それが Backwarddesign です。Backward design ができるようになると、それぞれの成功体験により、事前に「飛石」(足場かけ、scaffolding) を前もって置いておけるようになります。その根拠となる履歴を残すのが、凝縮ポートフォリオです。情報をノートで一元化させること、 さらに適宜、それを眺めて、余白に気づいたことを書き込むという習慣が身についていると、その学びは加速していきます。

それを示したのが、学生の思考の履歴(「振り返りのまとめ」)です。私は、学生たちの振り返 りを、観点ごとに分けました。メールを流し込んで作ったのではなく、意図をもって、個々のメ タ認知能力のステップアップにつながるように、毎回、「教材」として作成したのです。

メールの締切が午後 10 時。朝の4時から6時までの2時間でそれを編集し、教材として、授業 で使いました。自己決定したことの履歴を残していけば、必ず、成⻑に気づきが生まれます。

教育は、緻密な作業です。情緒ではなく”科学”です。なぜなら、直感(勘)ではなく客観(デ ータやエビデンス)を必要とするからです。それを忘れてはいけませんよ。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント