🍀「自由進度学習」は何のためか(1/3)

🌱 誤解、思い込みをなくすために

最近、「自由進度学習について話をしてほしい」

「どう進めればよいのか悩んでいる」

そうした依頼や悩み相談を受ける機会が増えてきました。

そこで今回は、3回シリーズで「自由進度学習は何のためか」

というテーマで稿を進めていきたいと思います。

ただ、その前にー。

誤解を解き、整理しておかななければならないことがあります。

それは、

よく似た言葉として語られながら、

実は設計思想がまったく異なる「3つの用語」の違いです。

ここを曖昧なままにしてしまうと、

良かれと思って始めたはずの取り組みが、

いつの間にか自己流になってしまうことが少なくありません。

そこで、まず、次の3つの用語を区別しておきたいと思います。

❶ 能力別クラス

❷ 少人数授業

❸ 自由進度学習

①能力別クラス

―「人」を先に分ける設計

能力別クラスは、学習者をあらかじめ分けることで、

指導を効率的に、あるいは「やりやすく」するための仕組みです。

その結果、クラスごとに進度・内容・期待水準が変わりやすくなり、

運用次第では、評価規準よりも「この集団だからこの程度」と

いう“暗黙の期待水準”が前面に出てしまうことがあります。

学習者には無意識のうちにラベルが貼られ、

とりわけ苦手意識をもつ生徒の学習意欲に

影響を与えてしまうことも少なくありません。

また、同じ教材を扱っていても、

クラスごとに別のゴールを用意する設計になってしまいがちです。

上位のクラスでは言語活動が活発に行われ、教室は賑やかです。

一方で、下位のクラスでは黙ってプリント学習に取り組んでいます。

モデルがいないため、どんよりとした空気が流れていることもあります。

こうした学習風景の分断は、

決して珍しいことではありません。

②少人数授業

―「環境」を軽くする設計

少人数授業は、人数を減らすことで、

生徒への教師の関与を濃くするための仕組みです。

発言の機会が増える、

学習者の様子を見取りやすく、声をかけやすい、

つまずきに早く気づける―

そうしたメリットが語られています。

ただ、私が指導主事として訪問した山間部の学校や、

大学在籍時に足を運んだ過疎地の学校では、

授業の構造そのものが「教師が教える」スタイル

であることがほとんどでした。

私が訪問した学校の中には、少人数化が「説明の丁寧化」と結びつき、

結果として“指示待ち”を助長してしまう例もありました。

僻地の学校に勤務する教師は2〜3年で町の学校に異動するため、

これまでのやり方(習慣になっていること)を大きく変えられないまま

子どもたちに対応してしまい、どこかでモヤモヤ感を残したまま、

再び町の学校へ戻っていく。

そのような教師たちを、私は何人も目にしてきました。

③自由進度学習

―「判断」を開く設計

今回、取り上げる「自由進度学習」は、人も環境も固定したまま、

学び方を「可変(flexible, changeable)」にする設計です。

ゴールと見通し(青写真)を共有したうえで、

進む順序・速さ・方法を、学習者自身が選びます。

途中で立ち止まることも、戻ることも、判断の主体は学習者です。

ただし、他者と出会う場面や時間は、学習集団全体に関わるため、

そこは教師が意図的にコーディネートする必要があります。

教師は、進度を管理する役割を手放す代わりに、判断材料を整え、

学習者が「今どこにいるのか」を見取る存在へと役割を変えていきます。

整理すると、次のようになります。

① 能力別クラス

「あなたは、この集団で学びなさい」(教師が主体)

② 少人数授業

「この人数で、丁寧に教えます」(教師が主体)

③ 自由進度学習

「ここに地図があります。それを参考に、どう進むかは自分で選びなさい」(学習者が主体)

個に応じる方法は、一つではありません。

しかし、何を固定し、何を開くのか。

その違いを見誤ると、同じ言葉を使っていても、

まったく別の学習になってしまいます。

そして、実は、この3つの違いを整理することは、

単なる用語の整理ではありません。

「一斉授業の限界」を越える議論をするための“前提条件”になるのです。

🍀 授業構造そのものが、限界を迎えている

教室では、今までこんな瞬間はなかったでしょうか。

一斉に説明した。
板書も丁寧にした。
練習もさせた。

ところが、終わってみると、教室の中に“別の時間”が流れている。

すでに分かっていて退屈そうな生徒。
途中で引っかかったまま置いていかれた生徒。
分からないと言えず、黙って座っている生徒。

教師は全員を見ているつもりなのに、全員の学びが揃わない。
この違和感が、静かに積み重なっていないでしょうか。

「自由進度学習」が必要だと言われる背景には、

流行やスローガンより先に、小さな胸の痛みがあります。

それは、「一斉指導に限界が来ているのではないか」という、実感です。

1|「同じペース・同じ内容・同じゴール」が、現実と合わなくなっている

従来の一斉授業は、暗黙の了解事項として、

  • 全員がほぼ同じ理解度で
  • 同じスピードで進めて
  • 同じ説明で分かる

という設計になっていました。

ターゲットにしたのは、中位の生徒たちです。

しかし現実の教室には、思った以上に「差」があります。
しかも、その差は年々“見えにくく”なっているように感じられます。

例えば、タブレット端末を使うようになってから

画面に向かっていると、

なんとなく学習しているように見えます。

教師の言う「答え」をワークシートに書き込みながら、

どの生徒もうなずいています。

表面上は整っているのです。

しかし、内側では、

「分からないまま進む」「腑に落ちないまま終わる」という、

すっきりしない授業が生まれています。

このズレが続くと、

  • 分かっている生徒は学びを手放す
  • 分からない生徒は自信を手放す
  • どちらも受け身になる

という構造が生まれていきます。

「自由進度学習」は、

この構造的ズレを是正するための設計として語られています。

「ただ、生徒に任せる」ためではありません。

2|「主体性」を育てるなら、構造を変えないと苦しい

「主体性、自律、自己調整」

これらは、学校で「育てたい力」として、繰り返し言われています。

ただ、授業の構造が

  • 進度は教師が決める
  • 内容も教師が決める
  • タイミングも教師が決める

のままだと、生徒が「主体」となる場面は原理的に少なくなります。

主体性とは、真面目さのことではありません。

必要なのは、

学習者自身が「選ぶ」「決める」「修正する」

という経験の累積です。

「自由進度学習」は、

  • どこまで進むか
  • どこで立ち止まるか(確認するか)
  • 何をどうやり直すか

を、生徒が自分で判断する場面を、意図的につくる「設計」です。

つまり「自由進度学習」とは、
「主体性を期待する方法」ではなく、
「主体性が必要になる授業の構造」をつくる方法

として語られているのです。

3|「できる子」と「つまずく子」を、同時に救うために

一斉授業では、教師は常に二者択一に迫られます。

  • できる子に合わせれば、つまずく子が置いていかれる
  • つまずく子に合わせれば、できる子が退屈する

このジレンマは、教師の努力では埋まりません。
それが、授業の構造になっているからです。

「自由進度学習」では、

  • できる子は先へ進む
  • つまずく子は戻る
  • 必要な支援を必要な場所で受ける

という動きが可能になります。

これは差を広げるためではなく、個々の生徒にとっての「適切な負荷」を成立させるためです。

学びは、楽すぎても伸びない。
きつすぎても止まる。

「自由進度」は、その間の“ちょうどよい負荷”に近づくための設計なのです。

4|「やらされる学習」から「自分の学び」へ移す

一斉授業が抱える課題は、教科書を終わらせるために、

とにかく先に進まなければならない、という焦燥感にあります。

そのような授業に慣れた生徒は、無意識にこう考えています。

  • 「これは先生の授業だ」(自分ごとではない)
  • 「授業は先生が進めている」(黙っていても良い)
  • 「課題は先生が用意する」(授業の準備は特にいらない)
  • 「言われたからやる」(言われるまで待っていよう)

この意識のままでは、教材がどれほど良くても、学習は「他人事」のままで終わります。

一方、「自由進度学習」は、選択と判断が入るので、学習が“自分ごと”になりやすいのです。

「先生のもの」から「自分のもの」へ。
ここが本質的な転換点です。

5|「個別最適な学び」は、もうごまかせなくなっている

学習指導要領では「個別最適な学び」と「協働的な学び」の必要性が明確に打ち出されています。

これは理念というより、

教師中心の「授業構造」を転換せよ、という要請です。

一斉授業のままでは、個別最適な学びは原理的に難しい。
進度が一つ、内容が一つ、ルートが一つだからです。

ただ、個別最適だけでは、学びは深まりにくい、
協働だけでも、学びは揃いにくい。

必要なのは、進行させることではなく「往還」です。

しかし、その「往還」は1時間の思いつきでは成立しません。
単元全体を俯瞰した設計の中でしか、「往還」は実現しないのです。

この点が、次回のテーマにつながります。

◆ 第1回のまとめとして

「自由進度学習」が必要だと言われるのは、

子どもが変わったからでも、

教師にゆとりを与えるためでもありません。

授業構造そのものが、すでに限界に来ている。
この現実に、現場が気づき始めたからです。

しかし、次のような問題が立ち上がります。

「自由にしたのに、学習が止まった」
「自由にしたはずなのに、深まらない」

なぜ、そうなるのでしょうか。

そこには、共通する“誤解”があります。

理念の弱さではなく、「設計のずれ」です。

▶︎次回予告

次回は、「自由進度学習」が迷走するときに起きる「3つの誤解」を整理します。

そして、先生方が一番不安に思っておられる「サボるのではないか」「自分で判断できないのではないか」「できる子だけ進んでいくのではないか」を、否定せずに“起きる前提”で設計する見取り図を提示します。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント