「最後の授業」からすべてが始まるという発想
学校は「卒業式」のためにあります。
どのような姿に育て、そして感動的な卒業式を迎えるのか。
その構想を学年集団が「ジグソーパズル」の完成図のように共有していなければ、子どもたちは育ちません。
それは授業においても同じです。
以前、このHPでもご紹介したように、
授業づくりには“逆算”の思考が欠かせません。
しかし、その逆算が「どこから」始まるかによって、
単元の全体像は驚くほど姿を変えます。
よく拝見するのは、
単元末のスピーチやプレゼンといった
“最後のタスク”を起点に逆算する方法です。
もちろん、それ自体は間違いではありません。
しかし、それはあくまで“手順としての逆算”に留まります。
なぜなら、最後のタスクは「成果物」にすぎず、生徒の学びの“最終場面”ではないからです。
コビー氏の言葉が示す、本来の逆算思考
スティーブン・R・コビー氏(『7つの習慣』の著者)は、こう述べています。
“Begin with the end in mind.”
(終わりを思い描くことから始めよ)
この言葉は、教育においても本質を突いています。
私たちが本当に思い描くべき“end(終わり)”とは、単元末のタスクそのものではなく、最後の授業で生まれる生徒の姿、空気、やり取りの温度です。
生徒がどんな表情で、どんな言葉を紡ぎ、どんな沈黙を経て、一歩踏み出しているか。その「場の質(育った姿)」こそが、教育におけるendです。
では、本当のバックワードデザインとは何か
私は、「最後の授業の学習指導案から書き始めること」だと考えています。
以前、稲美町の3人の方の学習指導案をこのHPでご紹介しました。
3人の授業が参観者の方々の驚きと感動を引き出したのは単元計画に書かれている最後の授業が克明に描かれていたからです。
彼らの頭には最後がどんな場面になっていてほしいのかができており、そのために「いつまでに、何を、どこまで」を逆算しながら考えていかれました。
彼らは、6月にマンダラ・チャートの中心に「育てたい姿」と書き入れ、その周りにそれに必要な「知識」と「技能」を書き出し、大谷翔平選手(L.A.Dodgers)が高校の時に描いたOpen Windows 64(中心に「プロ野球の8球団から一位指名されるために」が書かれたもの)のように「必要な指導」を細分化して書いていきました。
そして9月の時点では、できている項目を○で囲み、できていない部分は△をつけていきました。こうして10月29日の公開授業を迎えたのです。
次にご覧いただくのは、高知のALT中間期研修でALTと日本人教師の方々に「最後のシーンを共有することから始めることの大切さ」の具体として紹介したスライド(稲美町立稲美北中学校の安保 俊宏教諭の学習指導案の単元計画の一部)です。


このように、最後の授業には、
生徒の学びがもっとも濃く立ち上がる“物語の最終場面”があります。
ALTの即興質問に応える勇気、
マンダラで広げた語彙が比較や理由に変わる瞬間、
インタビューマッピングで拾った情報が
語りとして結晶する場面——
これらはすべて、最後の授業でしか見えない風景です。
だからこそ、
本時の授業展開を考える前に、
この最終場面を具体的に“思い描いておく”ことが欠かせないのです。
まさに、コビー氏の言葉どおりです。
最後の授業を描いた瞬間、単元は物語になる
最後の授業の光景が浮かんだとき、
単元全体が一本の線としてつながり始めます。
・この音読は、最後の理由づけの足場になる
・この5分のペア練習は、即興質問への自信につながる
・このマッピングは、最後の語りの“骨格”になる
“あれもこれも教えたい”授業から、
“このために今日の学びがある”授業へと変わるのです。
逆算が、生徒の未来へ向かう一本の道になる。
その瞬間、教師自身の忙しさも軽やかになります。
やるべきことが、一本のストーリーの中で位置づくからです。
終わりに
最後の授業から描く逆算思考。
それは、技法や準備の効率化ではなく、
生徒を学びの中心に置き直すための静かな覚悟です。
“Begin with the end in mind.”
その“end”を、
単元末のタスクではなく
生徒が最も輝く「最後の授業」の情景としてとらえ直す。
その姿を胸に刻むことから、
単元設計は本当の意味で動き始めます。
生徒の未来につながる「終わりの風景」を思い描きながら、
私たちは今日もまた、一つの単元を紡ぎ始めるのだと思います。
それは、未来を生きる学習者たちのためなのです。


