第3回: 「答えを求める授業」が作る見えない枠
1. やり取りはあるのに、会話が閉じている
一人が答える。教師が受け取る。次へ進む。
授業は、よどみなく流れていきます。
なのに、そのあとに何も残らない瞬間があります。
子どもの考えが、そこで止まってしまうのです。
やり取りは確かにある。
しかし、広がっていかない。
その奥にあるのは、内容ではありません。
教師の「話し方」です。
今回は、私自身の授業観を大きく変えた一人の先生との出会いから、そのことをたどってみます。
2. 動いているのに、広がらない教室
教室をのぞくと、やり取りは確かに行われています。
しかし、少し様子を見ていると、ある違和感に気づきます。
会話が、続いていないのです。
一問一答で終わる、
答えたら終わる、
何かを言ったら、そこで区切りがついてしまう。
話題が、なかなか広がっていきません。
教師は子どもたちの動きを見ながら、こう言います。
「はい、いいです」
「OKです」
「じゃあ、次」
その一言で、場面が閉じていきます。
授業はスムーズに流れていきます。
しかし、関わりは深まっていきません。
3. 正解を整えることが「指導」か?
以前の私は、そのことを十分に分かっていませんでした。
授業を前へ進めるには、ずれた答えは早く直した方がいい。
曖昧な発言は整理した方がいい。
まとまらなければ教師がつないだ方がいい。
そう考えていたからです。
ところが、ある先生の授業を見たとき、その考えが大きく揺さぶられました。
そこで起きていたのは、答えを早く確定する授業ではありませんでした。
一人の発言から、教室全体の思考が動き出す授業だったのです。
私が衝撃を受けたのは、まさにその違いでした。
4. 一人の発言が、教室全体を動かす
それは、教師になって4年目。
埼玉県吉川町立吉川東中学校(当時)の奥住公夫先生の授業を拝見したときでした。
振り返ってみたときに、その出会いは、私の授業人生を変える出来事だったと感じています。
当時の私は、生徒が間違えたらすぐに直す。
ずれていたら迷わず修正する。
そういう授業をしていました。
忘れもしません。
奥住先生が公開授業をされると聞いて、足早に東中に向かいました。
授業前から、教室はあたたかな空気が流れていました。
授業が始まります。
そして、ある場面が訪れます。
奥住先生が、生徒に問いかけられました。
「この文は、どんな意味になると思う?」
生徒が手を挙げます。
少し迷いながら答えます。
正確な答えではありませんでした。
私は心の中で思いました。
(あっ、惜しい。ちょっと違うかな)
その瞬間です。
奥住先生は、笑顔でこう言われました。
「へえ、面白いねぇ」
私は一瞬、キョトンとしました。
今の答えは、正解ではなかったはずです。
(聞き間違えられたのだろうか)
しかし、先生は続けられました。
「どうしてそんなふうに考えたの?」
生徒は少し考えてから答えます。
「○行目にこんな単語があったからです」
「あぁ、なるほどね」
その一言のあと、教室に向かってこう問いを返されました。
「みんなはどう? 自分はこんなふうに訳してみたという考えはないかい?」
その瞬間、、空気が変わりました。
ぱっと手が上がる。
別の考えが出される。
さらに違う見方も出てくる。
奥住先生は、一人ひとりの考えに、穏やかに応じていかれます。
否定することなく、止めることなく、受け止めてながら広げていかれました。
気がつけば、教室には、複数の考えが同時に立ち上がっていました。
5. 見ていたのは「答え」ではなかった
そのとき、私ははっとしました。
奥住先生が見ていたのは、答えではありませんでした。
子どもが、どう考えているのか。その一点でした。
一人の答えが、教室全体の問いに変わっていく。
問いが生まれるたびに、子どもたちの思考が前へ動き出す。
授業は、答えを集める場所ではありません。
考えを広げる場所なのだと、そのとき初めて腑に落ちました。
6. 言葉を変えると、教室の空気が変わる
あの日の授業以来、私は自分の言葉を見直し始めました。
正解を急ぐのではなく、考えを聞く。
修正する前に、「なぜ、そう思ったのか」を受け取る。
すると、教室の空気が少しずつ変わっていきました。
生徒の言葉が、増えていき、それに伴い、雰囲気が明るくなったのです。
そのとき、荒れていた勤務校は、教師の対応に原因があるのかもしれない。
そう思い、私は学年会でもそのことを話題にしてみました。
7. 教師の「話し方」が、見えない枠をつくり始めるとき
改めて考えてみます。
教室は、教師の一言で変わります。
その変化は、内容ではなく、「話し方」から始まります。
私がこれまで繰り返し申し上げてきたのが、教師の「SOS」です。
S – しゃべりたがる。
O – 教えたがる。
S – 仕切りたがる。
もちろん、意図してそうしているわけではありません。
むしろ、良かれと思っての積み重ねです。
しかし、それが習慣になるとこうなります。
沈黙が気になって、言葉を足す。
困っているように見えて、先回りをしてしまう。
まとまらない場面で、教師が形を整えてしまう。
その度に、生徒の考えが入り込む余地はなくなっていきます。
8. 教室で響かせるのは、誰の言葉か
ここに、一つ見過ごせない事実を挟みます。
教室観察の研究では、授業中の発話の多くを
教師が占めているという報告があります。
中には、授業時間の60〜70%が教師の発話である
というものもあります。
つまり、教室で最も多く聞こえているのは、
生徒の言葉ではなく、教師の言葉です。
しかも、その多くは、指示、問い、説明です。
教師が話しているあいだ、教室には「正解に向かう声」だけが残りやすくなります。
それ以外の声は、消えていきます。
迷いながら言いかけた言葉、
途中で止まりかけた考え、
その子なりに、何かをつかみかけていた言葉。
そのどれもが、残らなくなっていくのです。
9. 「教師主導」の捉え違い
一般に「教師主導」という言葉は、
教師が中心になって授業を進めることだと理解されています。
しかし、別の見方もできます。
自分の進め方に意識が向きすぎることで、
目の前の子どもの思考が見えなくなります。
反応は見えていても、その奥にある「考え」が捉えられなくなるのです。
問いや指示は投げかけられている。
しかし、思考を続かせる一言が生まれない。
その結果、答えは出る。
しかし、やり取りは深まらない。
教師の一言は、子どもたちの次の言葉を生んでいるのか。
それとも、答えを回収し、閉じてしまっているのか。
そこを見直す必要があります。
10. 変えるなら、この一言から
では、どこから変えればいいのでしょうか。
「分かる人?」ではなく、
「まだ考えている人、あとどれくらい必要?指で示してみて」
「できた人から」ではなく、
「途中でもいいので、どこで止まっているのか教えて」
「答えはこれです」ではなく、
「どうしてそう考えたのか、聞かせて」
たった一言です。
しかし、その一言で、教室の空気は変わります。
すぐに答えようとするのではなく、「自分ごと」として考え始める。
周りを見るのではなく、自分の頭で前へ進もうとする。
教師の仕事は、授業を成立させることだけではありません。
学習への関心を高め、
「自分の力でできた」という感覚を子どもに残すことです。
予定通りに進めること。
教科書を網羅すること。
それを優先しすぎたとき、
その機会は失われます。
「分からせたい」という思いが強くなるほど、
説明は整い、授業は安定します。
しかし、その代わりに、
子どもたちは考えなくなってしまいます。
本当は、授業は、思考そのものを楽しむ時間のはずです。
次回(第4回)の予告
思考を開く言葉があるなら、閉じてしまう言葉もあります。
「いいですね」
「分かりやすかったです」
あたたかく見えるその言葉が、なぜ思考の終点になってしまうのか。
次回は、その瞬間を見ていきます。
