🔴振り返った時に「あの時に」という節目を残すために

「成果物」は「教師年輪」となり、自分の生きた証となる

「教科書」を最後まで終わった時に、何が心に残るでしょうか。毎日音読をした、単語を覚えるためにノートに何度も書いて練習をした、テスト勉強をした、という「練習」ばかりでは虚しい反応になりそうです。「英語」は言葉なのですから、コミュニケーションに必要不可欠な「言語活動」(自分の考えを自分の言葉で表現する、それを仲間と伝え合う)の場面をどう用意するかが鍵になるようです。生徒の脳裏に残るのは、「人前で発表した」という思いよりも「自分の発表を仲間が聞いてくれた(自分の考えを聞いてもらえた)」の方ではないでしょうか。スピーチ、スキット作り、ドラマ、エッセイ、プレゼンテーション、デュスカッション、ディベートなどは、見栄えのいい活動ではなく、「伝えたい相手」がいるからこそ、最後まで頑張ることができるのではないかと考えます。

初任の時から、学期の最後に取ってきたアンケート(自由記述)は、今も段ボール箱の中に大切にしまってあります。生徒の叱咤激励(厳しい指摘)こそが、教師(私)を育てたのだと痛感します。そして、「成果物」に取り組むことで、学力だけでなく「心」も成長するのだと学びました。私は、小学校で勤務をしていたときは3年続けて6年生の担任でした。ラッキーでした。毎年、ただ「思い出」を書くという、ありきたりの卒業文集ではなく、「卒業詩集」に取り組みました。1年間、四季折々に、いくつも詩を書きためました。その中から数点選んで、刺繍に載せました。イラストも自分で描き、装丁も立派なものにしました。子どもたちは、それに夢中になって取り組みました。彼らの迸る感受性、類稀なるポテンシャルの高さを知ってから、私はどの教科でも「表現活動」(レポート、ショート・エッセイ、歴史上の人物・なりきり作文、)に取り組みました。

やがて、私は中学校に戻ることになります。中学校では「卒業英語詩集」に取り組んでみようと決心しました。平成元年から10年間、それを続けました。平成元年の詩集が手元にあります。久しぶりに開いてみました。当時の思い出とともに、ほんのりと懐かしい香りがしてきました。私は巻頭言にこんなことを書いていました。

ハードカバーの卒業詩集(Anthology)は、10年間続きました。というか、「10年(one decade)経ったら、その学びを活かして次のステージへ」という思いでスタートをしました。幸いなことに、どの同僚も意図を理解し、快く協力をしてくれました。1学年(6クラス〜8クラス)を一人で教えることはできません。テストも、全員で担当(1年から3年までの長文・対話文、表現の問題、リスニング)を決め、それぞれが4月の教科部会で案を出し合い、全員でゴール(成果物)、パフォーマンス・テスト、指導方法、評価方法などを話し合いました。こうして、学年セクト(独り相撲)がなくなると、物事は非常にスムーズに進んでいきます。そのおかげで、先輩の作品を教材として読んだ後輩たちの作品がどんどん洗練されていきました。

ハードカバーの「卒業詩集」には、毎回、校長先生に「はじめ」の言葉をお願いしました。次にご紹介するのは平成11年(1999年)のものです。砂田 龍次 校長先生(当時)が、すでに「主体的に学習に取り組む態度」について述べておられます。「少しでもいいものにしたい」(自己更新)という気持ちは、時代を超えて「不易」のものなのだと思います。要は、そのこだわりが生まれるきっかけをどう作るか、足場かけをどう用意するか(どう演出するか)です。

NHK Eテレで『わくわく授業 私の教え方』に出演したのは平成17年でした。実は、この番組の企画段階で、文科省の教科書調査官から「どうですか」と打診されていました。ただ、すでに指導主事になることが決まっていたので、私は田尻悟郎さんを推薦しました。現場に教頭で戻ってきた時に、今度は、田尻さんがNHKのディレクターの方に私を推薦されました。行天したのは、ディレクターの次の一言でした。「2回、訪問します。最初は5月の下旬です。そこでは、実際の授業を見ながら構想を練ります。今回の放送では、ペア学習をテーマにしますが、今までのような実践や指導技術を紹介するのではなく、ドラマのようにしたいと考えています。そこで、6月の従順に来るまで10時間分の連続した指導案を書いてください。それを拝見して、どこにスポットを当てるかを考えましょう。ビデオカメラを3台入れます。録画は6月の4日間です。ただ、英語が得意な生徒ではなく、苦手な生徒たちが格闘する様子、それを陰からサポートするリーダーの様子を入れられたらと思います」

20分という番組のスケールのために、なんと10時間も録画し、そこから編集をするのだと聞いてびっくりしました。今まで1時間単位の学習指導案しか書いたことのなかった私は、単元構想を何度も練っては書き直し、積み上げては崩し、という作業を延々と繰り返しました。指導案とNHKのディレクターからメールで送られてくる構成案(流れと撮りたいシーンのイメージ)であっという間に、ファイルがぱんぱんになりました。しかし、仕上がった番組を拝見し、いかに「最初の全体構想」が重要であるか、そして1時間で勝負をするのではなく、単元全体をストーリーのようにつなげ、最後は「成果物」(何ができるようになったか)を用意しなければならないかを痛感しました。

https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200507170740001300200

実は、放映されたのは7月17日でしたが、なんと翌週は、私の「師匠」(「書く力」を鍛えていただいた)の野口芳宏先生が登場されました。

同じように、全体構想(グランド・デザイン)がいかに重要かを学んだ機会がありました。

三浦 孝先生(静岡大学名誉教授)と『だから英語は教育なんだ』(2006, 研究社出版)を上梓した後、第2弾として、『英語コミュニケーション活動事典』をまとめることになりました。最終的には、『ヒューマンな英語授業がしたい』というタイトルになるのですが、そこでは「中学生、高校生が夢中になって取り組む言語活動」を全て紹介しました。事前に、三浦先生から執筆者合宿の日程調査が送られてきました。その記録が今も残っています。このように書かれていました。「合宿は金曜日の夜~日曜日の午後、2泊3日で行いたいと思います。場所は能登の温泉宿を考えています。下記の表に、◎(非常に都合がよい)、○(都合がよい)、×(都合がつかない)をご記入ください


7月30夜~8月1日8月6日夜~8日8月13日夜~15日8月20日夜~22日8月27日夜~29日
三浦××
中嶋×
×
×
池岡×
××






私たちは、2日間と半日、朝から深夜まで、模造紙を何枚も畳の上に並べ、付箋紙に書き込み、貼っては剥がし、書いては消し、という作業を延々と行いました。そうして、ようやく書籍の「全体構想」(目次と内容)が仕上がりました。そこからは早かったです。原稿はあっという間でした。物事は「グランド・デザインが全てである」ことを痛感し、それ以降、私は誰かと共著を書くときは、綿密に全体の計画を作ってからスタートすることにしました。次の写真をご覧ください。

2015年の大修館書店『英語教育」4月号の目次です。「一緒につくろう!新学期のよい習慣」という特集だったのですが、当初、私は順序が2番目(田尻さんの次)だったのですが、編集長さんにお願いをして、3番目にしていただきました。お二人の原稿を事前に読ませていただき、それに繋げる形でまとめました。ですから、拙稿には、田尻さんの内容、稲岡さんの内容についてのコメント、さらにそれがいかに大切かを意味づけてあることがお分かりいただけると思います。そして、最後は私たちの盟友である蒔田 守先生(当時、筑波大附属中)が「教師用の授業ノート」(思考の履歴を残す)でまとめてくださいました。ちなみに、「英語教育ゆかいな仲間たち」のスタッフである松下信之さん、そして「地球市民オンライン塾2023」でご一緒した上山晋平さん、胡子美由紀さんも寄稿されています。

もちろん、失敗したこともたくさんあります。良い経験をさせていただきました。菅 正隆さん、田尻悟郎さんと書いた『英語教育 ゆかいな仲間たちからの贈りもの』が好評だったので、続いて続編を作りました。しかし、ちょうどその時、現場が揺れていたこともあり、文科省の取り組みや教育委員会の指導について厳しい言い方をしてしまいました。印刷された後、社長さんが読まれて、ストップがかかりました。

世に出る前にお蔵入りとなりました。出版社には本当にご迷惑をおかけしました。ということで、「取扱注意」「親展」(当事者のみ)とスタンプが押されている幻の書籍を持っているのは、私たち3人だけなのです。最初のアイキャッチ画像にこの写真を選んだのは、ずっと忘れてはいけない「教訓」だからです。

発信は「責務」を伴うということを学んでからは、最初の構想づくりをさらに丁寧にするようになりました。大学(関西外大)では、ゼミ生たちと一緒に『授業で使える教材集』を制作し、教職を履修している4回生たちとは『わくわく授業ヒント集』を作りました。いずれも、最初の構想づくりに3ヶ月ほど時間をかけました。思いつきや、ノリだけでスタートしてしまうと途中で修正することはできません。仕上がったものも、「こんなはずではなかった」という思いになります。視聴された多くの方が感動から涙を流されたのは、途中、何度も仲間同士で peer evaluation , peer edit を繰り返し、最後の段階では全国の中学生、高校生(それぞれ10人)にモニターをお願いし、わかりにくいところを指摘してもらった箇所を、何度も、何度も推敲したからです。

今、OECDのLearning Compass で取り上げられている「AARサイクル」(Anticipation, Action, Reflection)は、「見通し・実践・反省」と紹介されていますが、安易に捉えられているように思います。言葉の定義を考えると、Anticipationは、「ゴールを知ってわくわくすること」、Actionは「自分で行動を起こすこと」、そしてReflectionは「学んだことを次のステージに反映させること」です。そのように、学習者が「自分ごと」として捉えた時に、本当の「往還」が始まるのではないでしょうか。

AARとは Anticipation, Action, Reflectionです。教師が用意した課題が「生徒目線」で作られていること、それによって生徒たちが「やってみたい!」と願えるようなものになっていることが大前提です。

たとえば、チャット(small talk)のお題を教師が与えてしまうと、習った文法を使わせたいということから窮屈な(生徒の関心が低い)トピックになってしまいます。しかし、生徒たちにアンケートを課し、「どんなことを話し合ってみたいですか?」と問いかけると、「ドラえもんのどのアイテムを使ってどんなことをしてみたいか」「過去に行くなら、どの時代に行って何をしたいか」「亡くなっている有名人の誰と会って、何を聞きたいか」という意見が出てきます。

つまり、子どもたちのニーズを知り、それをどう授業と結びつけるか(つなげるか)が重要になります。つまり、Anticipationとは「やってみたい!」を引き出す学習課題を用意することから始まります。

 Actionとは生徒が「活動する」というよりも、「行動を起こす」という意味です。だとすると、教師にさせられるのではなく、自らしたくなる学習にすること、その必然性を作ること、仲間との協働学習で刺激を受けて「もっと!」が出てくるようにすることが不可欠です。それによって、「学び」が浮かび上がってくるようになります。調べて終わり、課題をやって終わりではなく、さらに内容が「深まっていく」のです。

そして、Reflectionですが、単なる本時の「振り返り」ではなく、次時や単元のゴール(next stage)にどうつなげるかという視点を持たせることが必要になります。そうすれば、自然に次のAnticipation(見通し)につながります。だからこそ、1時間単位のAARではなく、単元全体のAARも考えておくことが必要になります。

よかったらシェアしてください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント