🔵 学習指導案を見れば、その教師の実力(授業力)がわかる

学習指導案(単元計画)をサッと書けますか

学習指導案を書くことは、自身の授業力向上につながります。人に見せる授業を心がけることで、他者の視点から自分の授業を客観視することができます。弱点に気づくことができるのです。学習指導案に書かれる単元の目標、本時の目標は学習指導要領とつながっていなければなりません。もし、学習指導要領に出てこないような内容であれば、それは自分がやりたいこと(独りよがりの内容)になります。さらに、「つけなければならない力」を明確にした上で、単元の最後は「統合的な活動」を用意し、できるようになったかどうかを評価しなければなりません。

つまり、学習指導案をサッと書けるということは、日頃からそれを意識して授業をしているということであり、なかなか書けない、慌てて学習指導要領を開くという状況では、「教科書に書かれていることをなぞっている」だけになります。

密室(他に大人がいない教室)の授業では、自己流、理論を伴わない無手勝流である場合が多くなります。しかも、「これでいい」という思い込みは自分を盲目にします。セミナーや書籍から得た情報や活動であっても、案外、今までやっていたことを何とか残そうとするので、肝心な(コアの)部分が抜けてしまい、なかなかできるようにはならないのですが、客観がないので気づくことができません。

学習指導案を書くことで、一体どんな力が身につくのでしょうか。それは「単元全体を俯瞰する力」です。ただし、第一次、第二次と指導する内容項目(文法、本文など)を羅列するような書き方では全く意味がありません、単元全体を通して一つ一つの授業を繋げてストーリーのようにするための「重なり」(のりしろ)を考えられるようになるのです。

はじめて「のりしろ」の話をした日

2003年、筑波大学附属駒場高校で2日間に渡り、*6way Street Live(1日目が蒔田守氏、北原延晃氏、久保野雅史氏のセミナー。2日目が菅 正隆氏、中嶋、田尻悟郎氏のセミナー。高橋一幸氏が友情出演)を開催しました。今から20年前のことです。

http://tiger-blue-6a23d19fa2997999.znlc.jp/6way_street.html

http://www.manabou.jp/manabi/detail12.html

* 6-Way Street ライフ盤のライナーノーツより
6-Way Street上・下巻の完成を記念して、2003年7月26・27日に開催された「英語教育“6-Way Street”1回限定ライブat筑駒」を収録したものです。最初で最後のメンバー6人による、熱いワークショップが蘇ります。
著者紹介(肩書きは出版当時): 菅 正隆(大阪府教育センター) 北原延晃(東京・狛江市立狛江第一中学校)
久保野雅史(筑波大学附属駒場中・高等学校)  田尻悟郎(島根・広瀬町立比田中学校) 中嶋洋一(富山・砺波教育事務所) 蒔田 守(筑波大学附属中学校)   このDVDは、子どもたちが「英語を学ぶ楽しさ」を知り、子どもたちに「英語を学ぶ習慣」を身に付けさせ、英語授業の現場に「活力」を与えるきめ細かな指導の数々が網羅されています。ここに登場する6人の先生方は、それぞれ独創的なアイデアと工夫によって授業を行い、数々の著書と講演活動で全国的に知られ、その内3人(北原、田尻、中嶋)はNHK『わくわく授業』の英語部門でも紹介されています。このDVDで紹介されている映像は、長い年月をかけて先生方ご自身が撮影した膨大なテープの中から参考になる部分を抜粋し、編集したものです。そのため、現場の授業に即した実践的な内容になっています。

私のお話の時、多くの参加者がハンカチで溢れる涙を拭かれたのは、荒れた学校で子どもたちから「先生、諦めないで!」と応援された時の話をしたときでした。

私たちが、それまでの「今まで通り」「昨日の続き」という授業スタイル、プリントと教師の説明中心の授業スタイルを捨て、本気で生徒に向き合うようになってから、少しずつ荒れが治まっていきました。

教師たちは、「週案」(一週間の授業を見通して、土日にまとめて学習指導案の略案を書く)にも地道に取り組みました。今のようにデジタル教科書(ready made)もなく、全て自分で考えて教材を作ったため、授業の内外で「あっ」と閃くようになりました。それは「何とかしなければ」という切実な思いと「授業の中で生徒指導(自己実現)をする必要感」があったからです。「想像力」(こうなったらいいな、こんなことができたら楽しいだろうなと考えること)は「創造力」の元になることを私たちは痛感しました。

教育事務所の指導主事をしていた時、所長さんから「指導主事が最後に助言をして終わるのは不親切。まずは、自分が授業を見て感じたことを提言し、それを元に協議会をしてもらうこと。そして、最後に出た意見や質問、疑問点を包括して「納得」を引き出す助言を最後にすること。そうして初めて現場の先生方から信頼される」と言われました。時には、指導主事が司会をすることもありました。その中で、私は授業と授業のつながりがないこと、単元と単元のつながりがないこと、1時間の学習指導案だけを書いて「花火」のような公開授業が行われていることから、何か「メタファー」を用意できないかと考えました。それが「のりしろ」のある授業デザインでした。次のPDFの資料は、6-Way Street 筑駒ライブで皆さんに配った資料です。

https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/11/2023_6_Way_Street_筑駒ライブ_資料(中嶋).pdf

続いて、筑駒のセミナーが終わってから、補助資料として次のような資料を作りました。自分の授業力、そして学級経営力の「現在地」がはっきりと見えてきます。読むのが「怖い」と思われるかもしれません。しかし、現在地をはっきり認識しておかないと、いつまで経っても授業は上手になりません。深呼吸をしてからお読みください。

https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2024/11/のりしろと細分化.pdf

「残心」は自分自身を育てる

皆さんは「残心」という言葉をご存知でしょうか。2つ意味があります。

一つ目は、「未練」です。何かをした時に、うまくいかないことがあると不満や諦められない気持ちが残ることがあります。良い結果が残せなかった場合、十分な準備ができていなかったこと、慢心があったことが主な要因であることが多いようです。

そして、もう一つは、剣道や弓道などでよく使われる「残心」です。剣道や弓道には「優勢」という判定はありません。それだけ「一本」や「一矢」には多くの要素が求められます。

私は中学校時代、剣道をしていました。剣道では、気合いと打突が正確なだけでなく、打ち終わった後に体制が崩れてしまうと「一本」にはなりません。打ち終わっても、なお緊張を解かない、*正中線をとり、いつでもまた打ち込めるという姿勢をとっておかねばなりません。これが「残心」です。 *自分の剣先が相手の中心(喉元)に向かい、相手の剣先がこちらの中心から外れた状態

弓道でも、精神を統一して一本の矢に気を込めます。そして、ビシッという音とともに射た後とその到達点をずっと凝視します。矢を射たらそれで終わりではなく、次の一矢に備える気持ちを残しておくということです。それが「残心」です。日頃からこれを意識することにより、隙やうっかりミスがなくなっていきます。

授業の「残心」とは何をすることか

授業も、「終わったらそれでよし」とするのではなく、授業を少しでも改善していくために気持ち(こだわり)をしっかりと残す、真摯に振り返る「残心」が大事です。

学習指導案をノルマのように考えたり、研究授業をまるで「打ち上げ花火」のように考えている方がおられますが、「残心」のない、やりっぱなしの取り組みでは、残念ながら己の授業力を磨くことはできません。
別項(「Backward Design」を活かした授業とは?)で紹介しましたように、学習指導案(単元計画)を丁寧に振り返って、生徒たちができなかったのは何故なのか、どこでどんな活動が足りなかったのかなどを分析し、「過ち」(わかっているはずという過信)を繰り返さないようにしておくことが大事です。

勤務校が荒れたのは教師たちの慢心、例年通りで良いと安易に考え、変化(時間と労力が必要になる)を嫌ったためです。授業に使うプリント、職員会議や学年会に使う資料の使い回していました。保存していたものを日付だけ変えて使う、担当者の名前だけ入れ替えるという所業では、心が入り、こだわりが生まれるわけがありません。

今、全国を回って授業を拝見すると、プリント(ワークシート)に書き込んで一時間の授業を完結させている方を見かけます。生徒は「やらされている感」がいっぱいですが、教師はそれに気づけません。何故なら、「せっかくあれだけ時間をかけて作ったのだから、きちんと全部やらせたい」という自分目線の考えになってしまっているからです。

「残心」で、教師のSOSを克服する

私は、筑駒のセミナーで「教師のSOS喋りたがる、教えたがる、仕切りたがる)の姿勢が荒れを引き起こしているのではないか」と会場の皆さんに訴えました。学校で必要なのは生徒を「主役」(後輩や仲間から憧れられる存在)にすること、感動を生む行事や授業にすること、誇りを持てるようにすることだと伝えました。必要なのは正答を求めるためのやり取りではなく、コミュニケーションであり、生徒にとって「もっと知りたい」を引き出すような意味のあるインタラクションではないかと言いました。その後、深く共感された方々(荒れを経験された教師たち)があちこちで「教師のSOS」を使われるようになりました。

私は3度の荒れを経験しました。日々、様々なことに取り組みましたが、結果として「教師のSOS」を反省し、生徒たちに真摯に向き合い、レアリアの教材を用意し、時には彼らの力を借りることが授業改善の大きな一歩になることを確信しました。

教師集団が、ジグソーパズルの仕上がった絵(最後に育てたい生徒像)を共有し、学年(学級)セクトを排し、自らが組織になくてはならないONE PIECEになったとき、それは生徒たちが成長する豊潤な土壌となり得ます。同時に、教師の授業力も「練磨」されていきます。ですから、「残心」を持って、仲間からそして生徒からも謙虚に学び続ける姿勢が大事になります。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント