🍀 “地図のない自由”が、教室に迷子を生む
「自由進度学習」に挑戦した先生は、似たような経験を語られます。
「自由にしたのに、動かない」
「静かだけれど、深まっていない」
「一番忙しいのが教師になってしまった」
このとき現場の意見は、二つに分かれます。
それは「自由進度は危険だ」と言う声と、
「やり方がわからない」と言う声です。
ただ、ここを単なる技法論で片付けてしまうと、
もったいないと感じます。
迷走の原因は、もっと質的なことだからです。
“自由”の意味が取り違えられたとき、
「自由進度学習」は全く別物になってしまいます。
1|富士山で遭難が起きるのは、なぜか
富士山には複数のルートがあります。
距離の短い道、景色の良い道、体力勝負の道。
人は目的と体力でルートを選びます。
しかし、もしこう言われたらどうでしょう。
「富士山、自由に登っていいよ。」
地図もなく、現在地も分からず、引き返す判断基準もない。
それは自由ではありません。
遭難につながります。
「自由進度」も同じです。
ゴールが見えない自由は、生徒を自由にしません。
迷子にします。
2|迷走する自由進度に共通する「3つの誤解」
なぜ、自由進度学習が迷走してしまうのでしょうか。
それは、次のような誤解があるからです。
誤解①:自由進度=放任
「各自で進めていいよ」と言って、あとは机間巡視で対応すればいいと考える。
この形にすると、途中で止まる生徒が出やすくなります。
その多くは、
- 現在地が分からない
- 次の一手が分からない
- 助けの出し方が分からない
つまり、羅針盤となる「地図」が渡されていないのです。
誤解②:自由進度=自由作業
ワークを埋める、プリントをこなす、とりあえず提出するという流れになってしまう。
確かに、静かに取り組みます。
しかし、生徒の「思考」は動いていません。
生徒は「学んだ」のではなく、「とりあえず終わった」状態になっています。
それは、課題が先に進める「作業学習」だからです。
誤解③:自由進度=習熟度別の言い換え
進度を複線化し、コースを分け、レベル別プリントを配るというように「教師」がコントロールする。
一見、生徒が選んだように見えます。
しかし、その実態は、前回説明したように
教師が分けた道を歩くだけです。
自分で選んだ課題でなければ、
「自由進度」の核心が薄れてしまいます。
「自由進度」の中身は、授業者ではなく、
学習者が選ぶのがルールです。
この感覚に近いものとして、田尻悟郎氏(関西大学)や私(中嶋)が現場にいた時に取り組んでいた「自学ノート」や「Power upノート」(いずれも、カテゴリーや課題は生徒自身が考える)を思い出された先生がおられるかもしれません。
ポイントは
学習者が自分で選べるようにすること、
どのような学習が可能かというカテゴリーの内容を具体的に示すこと、
適宜、その取り組み状況を互いに知る場面を用意すること、
伸びた生徒たちの「私の工夫」を発表する場を作ることです。
教師が仕切る課題学習(宿題)と違うのは、
自分たち自身の「学習」になっていることです。
3|「問題は起きるもの」という前提で設計すると、うまくいく
「自由進度」を語ると、必ず出る不安があります。
「任せたら、サボる生徒が出てくるのでは?」
「自分で判断できない子はどうするのか?」
「できる子だけが進むのでは?」
設計を間違えると、実際にそうなります。
だからこそ、それを防ぐ「設計」を考えなければなりません。生活指導と同じです。
対策①:到達条件を“誰もがイメージできるまで具体化”する
「ワーク3ページ」という指示ではなく、
「基本文を見ないで書けるようになる」のように、合格条件を実際の行動で示します。
これがない自由は、作業化になるか、停止に向かいやすくなります。
対策②:判断は“二択”から練習する
最初から完全自由にしない。
Aに進むか、Bに戻るか。
読むか、聞くか。
例題か、確認テストか。
選択肢付きの自由が、自己調整の足場(練習)になります。
対策③:「戻ること」を価値づける文化をつくる
進む=成功、戻る=失敗。
この空気が生まれてしまうと、つまずく生徒は戻るに戻れません。
「戻れるのは強さ」
「やり直しは戦略」
教師のそんな言葉かけが、戻る勇気を支えます。
4|山の遭難のパターンは、自由進度の停滞とよく似ている
1で取り上げた富士山登山の話に戻ります。
一般に「遭難者は登山を甘く見ている」
と言われがちですが、
実際の原因はどうなのでしょうか。
遭難の典型としてよく語られるのは、
「現在地が分からない」
「引き返す判断が遅れる」
「力量を見誤る」
「助けを求めるのが遅れる」
といったことのようです。
自由進度で起きる停滞も、これとよく似ています。
・何をどこまでやればいいか分からない
・分からないのに進む/戻れない
・「たぶん分かってる」で詰む
・質問せず、黙って固まる
つまり、自由が原因ではなく、ナビのない自由が原因なのです。
ここで改めて「定義」を確認します。
「自由進度学習」とは、教師が消える時間ではありません。
それは、教師が「いつ、どう介入するか」を事前に決めておく設計です。
どこで声をかけるか
どこで止めるか
どこで揺さぶるか
どこで支えるか
富士山で言えば、地図と現在地表示と休憩所とルールがあるからこそ、
登山者は安心して「自由」に選べます。
同じように、学びの自由は、「足場」があってこそ成り立ちます。
大切なのは「順序」です。
それは、
「❌最初から自由に考えさせる」のではなく、
「🟢最初にきちんと考えさせてから自由にする」という順番なのです。
自由進度学習によって、問題が「顕在化」する
「自由進度学習」は、理念が強ければ成功するものではありません。
「設計」があるかどうかで結果が変わります。
そして、もう一つ大事な視点があります。
それは、「自由進度」は、生徒の問題を生み出すのではなく、
これまで隠れていた問題を“見える形”にする、ということです。
見えたこと(気づけたこと)は指導ができます。
見えなかったなら、指導のしようがありません。
では、その「設計」はどこで成立するのか。
1時間の工夫だけで成立するのか。
答えは、「単元計画」の中にあります。
ただし、教科書順に教えることを並べるだけの単元計画ではありません。
第2回のまとめとして
ここまで見てきたように、
自由進度学習で大事なことは
「一人で黙々と進める時間」を
増やすことではありません。
むしろ重要なのは、
それぞれが違う地点まで進んでいる状態を
どう“出会わせるか”です。
全員が同じタイミングで、
同じ完成形を発表しても、
学びはほとんど更新されません。
学びが大きく動くのは、
- まだ途中で
- まだ不完全で
- まだ迷いがある状態で
他者の考えに触れたときです。
「なるほど、そういう見方もあるのか」
「自分は、そこが弱かったのかもしれない」
こうした気づきと修正は、
完成後の発表では起きにくく、
途中の段階でこそ生まれます。
つまり、
「個別最適な学び」によって生まれた違いや差を
「どうしてか」という疑問につなげるのです。
途中、「協働的な学び」で
仲間の取り組みや考え方と出会わせ、
修正(自己調整)が生まれるようにし、
はじめて「学び」が大きく前進するのです。
では、その「途中の出会い」を、
単元の中でどう成立させればよいのでしょうか。
▶︎次回(その3)予告
次回は、「自由進度をやる・やらない」という二択ではなく、
単元のどこに、どのような「出会いの場」を置くのか、という視点から
往還型の単元設計を一本の線で示します。
鍵になるのは、学びの途中で他者の思考に触れ、
自分の学びを更新していく学習のあり方、
「ピア・ラーニング」です。
「個別最適」と「協働」がうまく噛み合ったとき、
「自由進度学習」は不安ではなく、
授業の体質を変える“希望”に変わるのです。
