🍀「自由進度学習」は何のためか(2/3)

🍀 “地図のない自由”が、教室に迷子を生む

自由進度学習」に挑戦した先生は、似たような経験を語られます。

自由にしたのに、動かない
静かだけれど、深まっていない
一番忙しいのが教師になってしまった

このとき現場の意見は、二つに分かれます。

それは「自由進度は危険だ」と言う声と、

「やり方がわからない」と言う声です。

ただ、ここを単なる技法論で片付けてしまうと、

もったいないと感じます。

迷走の原因は、もっと質的なことだからです。

自由”の意味が取り違えられたとき、

自由進度学習」は全く別物になってしまいます。

1|富士山で遭難が起きるのは、なぜか

富士山には複数のルートがあります。

距離の短い道、景色の良い道、体力勝負の道。
人は目的と体力でルートを選びます。

しかし、もしこう言われたらどうでしょう。

「富士山、自由に登っていいよ。」

地図もなく、現在地も分からず、引き返す判断基準もない。
それは自由ではありません。

遭難につながります。

自由進度」も同じです。

ゴールが見えない自由は、生徒を自由にしません。

迷子にします。

2|迷走する自由進度に共通する「3つの誤解」

なぜ、自由進度学習が迷走してしまうのでしょうか。

それは、次のような誤解があるからです。

誤解①:自由進度=放任

「各自で進めていいよ」と言って、あとは机間巡視で対応すればいいと考える。

この形にすると、途中で止まる生徒が出やすくなります。

その多くは、

  • 現在地が分からない
  • 次の一手が分からない
  • 助けの出し方が分からない

つまり、羅針盤となる「地図」が渡されていないのです。

誤解②:自由進度=自由作業

ワークを埋める、プリントをこなす、とりあえず提出するという流れになってしまう。

確かに、静かに取り組みます。
しかし、生徒の「思考」は動いていません。

生徒は「学んだ」のではなく、「とりあえず終わった」状態になっています。

それは、課題が先に進める「作業学習」だからです。

誤解③:自由進度=習熟度別の言い換え

進度を複線化し、コースを分け、レベル別プリントを配るというように「教師」がコントロールする。

一見、生徒が選んだように見えます。

しかし、その実態は、前回説明したように

教師が分けた道を歩くだけです。

自分で選んだ課題でなければ、
自由進度」の核心が薄れてしまいます。

自由進度」の中身は、授業者ではなく、

学習者が選ぶのがルールです。

この感覚に近いものとして、田尻悟郎氏(関西大学)や私(中嶋)が現場にいた時に取り組んでいた「自学ノート」や「Power upノート」(いずれも、カテゴリーや課題は生徒自身が考える)を思い出された先生がおられるかもしれません。

ポイントは

学習者が自分で選べるようにすること、

どのような学習が可能かというカテゴリーの内容を具体的に示すこと、

適宜、その取り組み状況を互いに知る場面を用意すること、

伸びた生徒たちの「私の工夫」を発表する場を作ることです。

教師が仕切る課題学習(宿題)と違うのは、

自分たち自身の「学習」になっていることです。

3|「問題は起きるもの」という前提で設計すると、うまくいく

自由進度」を語ると、必ず出る不安があります。

任せたら、サボる生徒が出てくるのでは?
自分で判断できない子はどうするのか?
できる子だけが進むのでは?

設計を間違えると、実際にそうなります

だからこそ、それを防ぐ「設計」を考えなければなりません。生活指導と同じです。

対策①:到達条件を“誰もがイメージできるまで具体化”する

「ワーク3ページ」という指示ではなく、
基本文を見ないで書けるようになる」のように、合格条件実際の行動で示します。

これがない自由は、作業化になるか、停止に向かいやすくなります。

対策②:判断は“二択”から練習する

最初から完全自由にしない。

Aに進むか、Bに戻るか。
読むか、聞くか。
例題か、確認テストか。

選択肢付きの自由が、自己調整の足場(練習)になります。

対策③:「戻ること」を価値づける文化をつくる

進む=成功、戻る=失敗。

この空気が生まれてしまうと、つまずく生徒は戻るに戻れません。

戻れるのは強さ
やり直しは戦略

教師のそんな言葉かけが、戻る勇気を支えます。

4|山の遭難のパターンは、自由進度の停滞とよく似ている

1で取り上げた富士山登山の話に戻ります。

一般に「遭難者は登山を甘く見ている」

と言われがちですが、

実際の原因はどうなのでしょうか。

遭難の典型としてよく語られるのは、

「現在地が分からない」

「引き返す判断が遅れる」

「力量を見誤る」

「助けを求めるのが遅れる」

といったことのようです。

自由進度で起きる停滞も、これとよく似ています。

・何をどこまでやればいいか分からない

分からないのに進む/戻れない

「たぶん分かってる」で詰む

質問せず、黙って固まる

つまり、自由が原因ではなく、ナビのない自由が原因なのです。

ここで改めて「定義」を確認します。
自由進度学習」とは、教師が消える時間ではありません。

それは、教師が「いつ、どう介入するか」を事前に決めておく設計です。

どこで声をかけるか

どこで止めるか

どこで揺さぶるか

どこで支えるか

富士山で言えば、地図と現在地表示と休憩所とルールがあるからこそ、

登山者は安心して「自由」に選べます。

同じように、学びの自由は、「足場」があってこそ成り立ちます。

大切なのは「順序」です。

それは、

❌最初から自由に考えさせるのではなく、
🟢最初にきちんと考えさせてから自由にする
という順番なのです。

自由進度学習によって、問題が「顕在化」する

自由進度学習」は、理念が強ければ成功するものではありません。

設計」があるかどうかで結果が変わります。

そして、もう一つ大事な視点があります。

それは、「自由進度」は、生徒の問題を生み出すのではなく、
これまで隠れていた問題を“見える形”にする、ということです。

見えたこと(気づけたこと)は指導ができます。
見えなかったなら、指導のしようがありません。

では、その「設計」はどこで成立するのか。
1時間の工夫だけで成立するのか。

答えは、「単元計画」の中にあります。

ただし、教科書順に教えることを並べるだけの単元計画ではありません。

第2回のまとめとして

ここまで見てきたように、
自由進度学習で大事なことは

「一人で黙々と進める時間」を

増やすことではありません。

むしろ重要なのは、
それぞれが違う地点まで進んでいる状態を

どう“出会わせるか”です。

全員が同じタイミングで、
同じ完成形を発表しても、
学びはほとんど更新されません。

学びが大きく動くのは、

  • まだ途中で
  • まだ不完全で
  • まだ迷いがある状態で

他者の考えに触れたときです。

「なるほど、そういう見方もあるのか」
「自分は、そこが弱かったのかもしれない」

こうした気づきと修正は、
完成後の発表では起きにくく、
途中の段階でこそ生まれます。

つまり、
「個別最適な学び」によって生まれた違いや差を

「どうしてか」という疑問につなげるのです。

途中、「協働的な学び」で

仲間の取り組みや考え方と出会わせ、

修正(自己調整)が生まれるようにし、
はじめて「学び」が大きく前進するのです。

では、その「途中の出会い」を、
単元の中でどう成立させればよいのでしょうか。


▶︎次回(その3)予告

次回は、「自由進度をやる・やらない」という二択ではなく、

単元のどこに、どのような「出会いの場」を置くのか、という視点から

往還型の単元設計を一本の線で示します。

鍵になるのは、学びの途中で他者の思考に触れ、

自分の学びを更新していく学習のあり方、

ピア・ラーニング」です。

「個別最適」と「協働」がうまく噛み合ったとき、

「自由進度学習」は不安ではなく、

授業の体質を変える“希望”に変わるのです。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント