🍀「できっこない」と考える、その前に

生徒の可能性を信じ切った授業は、教師を育てる

少し長いですが、最後までお読みください。特に、後半部分は重要だと考えます

最近、
「マニュアルがほしい」
「デジタル教科書をそのまま使えば十分では?」
そんな声を、若い先生方から聞くことが増えました。

また、少し質の高い実践や生徒のアウトプットを見せると、
「いや、うちの生徒には無理です」
「できっこないですよ」
という言葉が返ってくることも少なくありません。

セミナーや校内研修で「学習指導要領」を読み解く機会では、どのページを読めばいいかわからないと右往左往される若い先生方も見られます。

ここで、少し、冷静になって考えてみましょう。

その「できっこない」は、
本当に生徒を「できるようにしたい」という思いから生まれているでしょうか。

それとも、
自分自身を守るための言葉なのでしょうか。

◆「できっこない」の正体

「できっこない」と言う人の多くは、
怠けているわけでも、
否定的な性格でもありません。

むしろ、
失敗しないために、必死に自分を守っている状態
と考えたほうが自然です。

いくつかの典型的な理由に分けてみます。

⑴ 具体像が持てない不安

それは、霧の中に立たされている感覚です。

「できっこない」と感じる最大の理由は、
ゴールの映像が、頭の中にできていないことだと考えられます。

  • どんな授業になるのか想像できない
  • 生徒がどう動くのか見えない
  • 失敗したとき、どう立て直せばいいか分からない

ただ、これは能力の問題ではありません。
実際に、そのような授業(具体)を見たことがないだけです。

人は、
行ったことのない場所へ急に連れて行かれそうになると、
本能的にブレーキを踏みます。

「できっこない」は、
「やったことがないから怖い」という感情の翻訳です。

⑵ 小さな失敗を、すべてに広げてしまう

若い先生ほど、こんな経験をしています。

  • 少しやってみたが、うまくいかなかった
  • 生徒が乗ってこなかった
  • 教室がざわついて、収拾がつかなかった

その一度の経験が、心の中でこう変換されます。

「もうあんな思いはしたくない」
「自分には向いていない」
「この学校、この生徒では無理だ」

これは、感情の自己防衛です。

特に、
知識を教え込む授業を続けてきた場合、
正解か、間違いか」で見る癖がついており、
つい生徒を過小評価してしまいます。

すると、挑戦する前から二の足を踏み、
再び傷つかないために、
「やらない理由」を先に用意してしまうのです。

ただ、振り返ってみてください。

そのときの失敗は、
自分自身が中学・高校時代に受けてきた授業のやり方を、
そのまま再現した結果ではなかったでしょうか。

たとえば、こんな場面です。

❶ What did you do yesterday? と、ストレートに聞いていなかったでしょうか。

それでは、多くの生徒は止まります。
何をどう選べばいいか分からないからです。

その結果、ごく一般的な内容で終始します。

そこで、少しだけ問いを変えてみます。

About what you did yesterday, what was the best thing?

たったこれだけで、
生徒の中に「立場(視点)」が生まれます。
考えもなく単語を並べる、という状態は起きにくくなります。

❷ 教師が用意した課題を、全員に同じようにやらせていなかったでしょうか。

少し、問いを変えてみます。

たとえば、こう言ってみるのです。

次の3つの中から、自分がいちばん具体的に語れそうなものを1つ選びなさい

それだけで、教室の空気は変わります。

さらに、いきなり書かせるのではなく、

まずはマンダラ・チャートで関連事項を広げ、

階層式マッピングやグルーピングで整理し、

考えを持ったうえで Beginning / Body / Ending に分けて構成させる。

そうしてはじめて、「書く」は思考の結果になります。

ノートを開かせ、

合図とともに一斉に書かせる。

考えを持つ前に、同じ課題に向かわせる。

そのような指導では、人の心は動きません。

選ぶ余地がなく、

考える時間もなく、

構想する過程もないとき、

授業はただの「作業」になります。

人が動くのは、

自分で選んだ」と感じたときです。

❸ 文法を教えたあと、「これを使って文を書きなさい」と指示していなかったでしょうか。

先に、このHPでもお伝えしたように、

言いたいを先づけし

「文法」を後のせにする

これによって、スルスルと言いたいことが湧いてきます。

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たとえば、比較表現(最上級)なら、

「最上級を使って、自由に文を書きなさい」

という抽象的な指示ではなく、

最初の一文として、

I think … is the most …

この「出だし」を渡しておくのです。

生徒の意識は

自分にとって何が一番か(言いたいこと)」に向かいます。

たとえ、出だしは同じでも、

2文目以降は「自分ごと」の内容が

次々と立ち上がってきます。

このような指導を心がければ、
「この文法を使わなければ」という must から、
これが言いたい(言ってみたい)」という will

移っていきます。

❹ 「できた人から提出しなさい」と言っていなかったでしょうか。

代わりに、最初にこう言ってみます。

あとで変えてもいいからね

そして、途中(中間)で、仲間の文章を読む時間を入れ、
刺激とひらめきが生まれる“”をつくります。

すると、心理的ハードルは一気に下がり、
生徒は「とりあえずやってみよう」と動き出します。

また、練り上げる(推敲)の楽しさも

味わえるようになります。

❶〜❹でご紹介したように
学習者の心理への配慮を心がけると、
生徒の本気度が高まっていきます。

逆に、

教師の「習ったことをすぐに使わせたい」

という気持ちが強すぎたり、

「評価(成績)」をちらつかたりすれば、
ミスを避けた、無難で浅いアウトプットが
量産されるだけです。

◆「評価される側」のプレッシャー

教師になった瞬間から、
私たちは評価する側であると同時に、
評価される側になります。

  • 生徒・保護者から授業を見られる
  • 同僚から教科指導と生徒指導を見られる
  • 管理職から結果を見られる
  • 自分自身が他者と比べて自分を評価する

そこで、無意識にこう考えます。

「やらなければ、失敗もしない」
「否定しておけば、責任を負わなくて済む」
「できることだけやっていれば、安全だ」

こうして「できっこない」は、
無能だと思われないための鎧になります。

他者の成功が、つらく聞こえるとき

うまく行っていないと感じる時、

心が疲れているとき、
優れた実践や研究授業は、こう響いてしまいます。

「それができない自分は、
ダメだと言われている気がする」

だから、
「あの人だからできる」
「うちの生徒では無理だ」
という距離の取り方をしてしまう。

これは、
自尊心を守るための反応です。

「できっこない」の奥にある本音

周りから
「やらないとダメだろ」
「みんなやっているぞ」
と言われると余計素直にはなれません。

しかし、

強く「できっこない」と言う人ほど、
心の中では揺れています。

  • 本当は、やってみたい
  • 生徒を変えたい
  • 周りから置いていかれたくない

つまり、

「できっこない」は
「自分もできたらいいのに」の裏返し

であることが、少なくありません。

◆ それでも「忙しいから無理」と思ったあなたへ

ここまで読んで、
心のどこかで、こう思った方もいるかもしれません。

言っていることは分かる。
でも、現場はこれだけ忙しい。
正直、そんな余裕はない

その感覚自体は、間違っていません。
学校は、確かに忙しくなっています。

ただ―
一つだけ、お伝えしたいことがあります。

忙しさのすべてを、
「時間がない」「業務が多い」という理由で
説明しきってしまった瞬間、
教師としての「アイデンティティ(力をつけること、

自信をつけること)」を手放してしまうことに

ならないかということです。

現場を見ていると、
忙しさをさらに増幅させている原因は、
必ずしも“仕事量”そのものではないこと

がわかります。

なぜなら、

  • 何を優先するのかが曖昧なまま動いている
  • 「とりあえず進めること」が目的になっている
  • 教科書会社の指導計画通りの授業になっており、自分で設計している実感が持てていない

こうした状態が重なり、
「忙しさ」だけがどんどん増殖しているように見えるからです。

さらに、
「教科書を網羅しなければならない」という思い込みが、
それに拍車をかけています。

すべてをやらなければならない。
先に進まなければならない。
遅れたら取り戻さなければならない。

こうして、単元の中で
軽重(メリハリ)をつける余地がなくなっていきます。

結果として起こるのは、
活動中心の授業ではなく、
知識を説明し、理解させ、確認する授業です。

説明が増える。
教師が話す時間が増える。
生徒は受け身になる。

すると、

定着しない

使えない

また説明が必要になる             

というスパイラルになります。

こうして授業は、
自転車操業のような状態に入っていきます。

常に、何かに追いかけられている。
終わらせなければならない。
苦手な生徒を置いていけない。

気づけば、
授業の中にも、
教師自身の心にも、

余白がなくなっているのです。

忙しさの正体は、
単なる業務量ではありません。

すべてを等しく扱おうとすることが、
結果的に、教師をいちばん忙しくしているのです。

◆ 単元や1時間の授業には「強弱」が必要

本来、授業は「音楽」に似ています。

すべてをフォルテ(f)で演奏すれば、
聴く側は疲れてしまいます。

一方、すべてをピアノ(p)で流せば、
印象には残りません。

最初から最後まで同じ調子の交響曲、

間奏のない曲というものは存在しません。

単元でも、
思考を深めるフォルテ(f)の場面と、
流れを整えるピアノ(p)の場面が

必要です。

にもかかわらず、
すべてを同じ重さ(f)で扱ってしまうと、
教師は常に「全力疾走」になります。

そして、それは、
教科書しか見ていないときに起きることです。

そこで、学習指導要領で
つけなければならない力」の箇所を見つけて

下線を引き、

それが「できているかどうか

3色付箋紙を貼りながら

次のように「自己診断」をしていきます。

🟩は「扱った・評価もした」、

🟨は「教えたが確認はしなかった」

🟥は「やっていなかった」

すると、教科書に載っていた活動が

どんな意味を持っていたのか、

応用(練習)レベル」だったのか、

それとも「活用レベル」だったのかが見えてきます。

つまり、軽重をつけるべき箇所fとpで差別化すべき活動)が自然と浮かび上がってきます。

(全国でこの研修を行うと、多くの先生が「教科書は素材集に過ぎない」という事実に気づかれます。)

単元全体を見渡し、
ここは力を入れる
ここは軽く流す
という判断ができるようになったとき、
授業は驚くほど軽やかになります。

活用」の場面を特化することによって、

学習者の「技能」と「判断力」が高まります。

すると、自ら動けるようになります。

ICTやAIを併用するということは、
単に授業の効率を上げることや、
作業をデジタルに置き換えることではありません。

それは、
授業の中心を「教師の頑張り」から「生徒の働き」へと移す
という意思決定を含んでいます。

もはや、
教師が一生懸命に説明し続ける時代、
あれもこれもと教材を用意し続ける時代ではありません。

なぜなら、
生徒の「主体性」が育たない限り、
どれほど教師が真面目に、誠実に働いても、
忙しさは決して減らない
からです。

授業の中で、
自分の言葉として英語を使う場面」を意図的につくり、
生徒に「判断」と「選択」を委ねていくと、
教室の中の力関係は、少しずつ変わり始めます。

教師が前に立って引っ張る授業から、
生徒が前に出て動かす授業へ。

その転換を支えるのは、
「知識」を先に詰め込む指導ではなく、
「技能」を高めることを軸にした指導です。

技能が高まると、
言語活動は「やらされる活動」ではなく、
使わずにはいられない活動へと変わっていきます。

やがて、
「出力」の場面で

生徒が生き生きと取り組む姿に出会い、
その迸る感受性に触れたとき、
あなた自身の中にある
教師としてのエネルギーが、

大きく膨らんでいることに気づくはずです。

忙しさを減らす第一歩は、
仕事を減らすことではありません。

授業の中で、
これまで教師が一人で抱え込んできたものを、
少しずつ生徒に返していくこと

生徒を「自律的な学習者」として鍛えていくこと

そこから、
授業も、教師自身も、確実に軽やかになっていきます。

最後に

「できっこない」と言う人は、
まだ「挑戦したい」と思える具体に、出会っていないだけです。

デジタル教科書どおりに進める授業は、
確かに安心です。

しかし、それは、ノルマをこなす授業になりがちです。
子どもたちの心を揺らすところまでは、なかなか届きません。

一方で、
少し視野を広げてみると、
教科書の内容に軽重をつけ、
目の前の子どもたちの実態に合わせて
タスクや活動を編集しながら、
着実に力を育てている先生方が、
全国に数多くいることに気づきます。

大切なのは、
そうした教師と出会うことです。

雑誌を読む。
セミナーに足を運ぶ。
学識者や指導主事に紹介してもらう。

方法は、いくらでもあります。

(私などのところにも全国から問い合わせが来ています)

そして、
こんな授業をしてみたい
こんな生徒の姿を見てみたい
そう思える“憧れ”を、自分の中につくること。

目指したい授業、
育ってほしい生徒の姿から、
その考え方を受け取り、
自分の教室に引き寄せて考えること。

それは、英語教師としての矜持です。

そして何より、
「できっこない」を
やってみようかな」に変える、
最も誠実なアクションでもあります。

やがて、
誰かの実践をなぞるだけの授業ではなく、
目の前の生徒に反応しながら、
自然と生徒が動き出す授業が、
少しずつ形になっていくことでしょう。

それは、
特別な才能があるからでも、
派手なアイデアを思いついたからでもありません。

生徒の反応に向き合い、
「使わせる場面」を
一つひとつ丁寧に積み重ねてきた、
その結果です。

そして、気づいたときには、
あなたの授業そのものが、
誰かにとっての「モデル」になっています。

「先生みたいな授業がしたいです」

そう言ってくれる後輩が、
きっと現れます。

声高に語らなくてもいい。
無理に目立とうとしなくてもいい。

教室の中で起きている事実そのものが、
何より雄弁なメッセージになるからです。

どうか、
人のモノマネで終わらせないでください。

教育という「創造」の世界に生きる私たちにとって、
それは、あまりにもったいないことです。

そして、
授業を小さくまとめないでください。

授業は、もっとダイナミックでいい。
そのほうが、生徒は力を発揮します。

最も大切なのは、
あなた自身が、
生徒の可能性を信じ続けることです。

将来、あなたは、
きっと次世代の教師を照らす存在になります。

名乗らなくても、
気づかなくても、
あなたはもう、
誰かにとっての
インフルエンサーです。

【予告】

3月中に、
1時間の授業の中で

“フォルテ(f)”と”ピアノ(p)”を
どう意図的に配置すれば良いか

単元の軽重をどう図るかということについて
具体的にお話する予定です。
(すでに記事はできています)。

  • どこで生徒に本気で考えさせるのか
  • どこは、あえて流していくのか
  • なぜ、そのメリハリが「忙しさ」を減らすのか

「全部やらなければ」という発想から、
「削る授業」「残す授業」への転換が、
いかに教師の気持ちを楽にし、
生徒を動かすのか。

その「設計」の仕方を、
具体例とともにご紹介します。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント