🍀 打ち上げ花火で終わる授業か、力が積み上がる授業か(福岡市の授業視察より②)

単元計画が教室の「空気」を変える瞬間

研究授業が終わったあと、教室には何が残っているでしょうか。

その時間、確かに子どもたちは盛り上がっていた。

ICTも使った。

話し合いもあった。

参観者からの評価も悪くなかった。

しかしーー

数週間後、数か月後、

その授業は子どもたちの中にどんな形で残っているでしょうか。

ここで私たちは、

「よい授業だったかどうか」ではなく、「学びが積み上がったか」という問いに立ち返る必要があります。

打ち上げ花火型の授業では、力はつかない

単元の文脈から切り離された

• 1時間だけの本時

• その場限りの盛り上がり

• 見映えのする活動中心の指導案

こうした「ばら売りの授業」は、

教室を明るく照らしているようには見えます。

しかし、それは打ち上げ花火と同じです。

華やかに見えても、

跡形もなく消えてしまいます。

内発的動機づけも、

確かな技能も、

打ち上げ花火の授業では育ちません。

力は、必ず

積み上げられて初めて育つからです。

バックワードデザインの、決定的な誤解

「バックワードデザイン」という言葉は、ずいぶん広まりました。

しかし、現場には、残念ながら大きな誤解があるようです。

バックワードデザインとは、

❶「単元最後のタスク」から逆算することだと思われがちです。

しかし、本質はそこではありません。

本当に逆算すべき大元になるのは、❷ 「育った子どもの姿」です。

❶は、教師の頭の中だけで「こんな活動をさせたい」と予定を立ててしまいがちです。

一方、❷は違います。

目の前の子どもたちは、今どこにいるのか

単元の終わりには、何ができるようになっていてほしいのか

その姿は、どんな言葉や表情、行動として現れるのか

こうした問いを、学習者の実態に即して、最初に描いておく必要があります。つまり、❷は学習者の「実態」が起点となる、緻密な構想なのです。

単元計画は「最後の1時間」から書く

では、単元計画はどのように立てればよいのでしょうか。

学習指導案を書く際の基本的な手順は、次の通りです。

単元最後の授業の学習指導案を、細案レベルで書く

まず、教科書に載っている学期末の統合的なタスク(Project)にどう繋がっているのかを確認します。そして、単元で「つけなければならない力」をマンダラ・チャートに書き出し、学習指導要領に書かれている「知識・技能(4技能)」、「思考・判断・表現」の力をどこまで獲得させるかという「見通し」を持ちます。

それを踏まえて、「単元の最後の授業」の学習指導案を「細案」レベルで書きます。なぜなら、最後のシーンが教師の頭に描かれていなければ、実際に到達させることは難しいからです。ここで問うべきことは、次のようなことです。

子どもたちは、習った知識と身につけた技能を使って何を、どのように行っているのか

個として、集団として、どこまでできるようになっているのか

単元の目標が達成できたかを全体と個で、どのように振り返るのか

それらを、全体と個で、どう振り返るのか学校行事を計画するように、当日の様子が目に浮かぶレベルまで具体化します。

単元全体を、ナラティブ(物語)として逆順に組み立てる

次に、そのゴールに至るまでの単元全体を、最後から逆に並べます。ここで重要なのは、単元を「活動の羅列」にしないことです。

なぜ、この時間でこの活動をするのか

次の時間で、何が変わるのかどのような変化を加えるのか

このように、各時間が、前の時間を受け取り、次の時間へ自然につながる「一本のストーリー(ナラティブ)」になっているかどうかです。

各時間の最初と最後に「のりしろ」を入れる

単元がうまくつながらない最大の原因の1つが、前時との「断絶」です。重要なのが、各時間の最初と最後に入れる「のりしろ」です。

前時でできたことは何か

・まだ、弱い部分はどこか

それを今回、どう使い、どう更新するのか

次時につなげるためにどう終わるのか

既習内容をフィードバックしながら次に進む設計があって初めて、技能が積み上がります。そして、この「のりしろ」は、学習者に自信と安心感を支えるのです。

④ 単元全体が見えてから、初めて本時の指導案に取り組む

①②③のプロセスが終わって、初めて研究授業の「本時」の学習指導案に取り組みます。

重要なのは、本時のレベルを、最初に書いた「単元最後の授業」同じ水準にすることです。本時だけが詳しいのはNGです。最後のシーンとどう繋がるかは、両方が同じレベルで書かれていなければなりません。

さらに、ポイントは、ドラマの脚本を書くときの「ト書き」(学習者の気持ちになって活動を考える)を考えることです。教師がさせたいことではなく、学習者が前のめりになって学習に取り組めるような場の演出を考えるのです。

仕上がりを印刷し、ペンを持って確認する

最後に、意外と見落とされがちになるのが最終チェックの行程です。単元最後の指導案と本時の指導案を並べ、ペンを持ち◯で囲んで確認していきます。「できているはず」という思い込みを排除し、設計のズレを可視化するためです。

「授業を見ている感覚を失った」― 現場からの証言

この単元計画が、実際の教室ではどのような姿になるのか。

神戸市の先生方が、上野先生の授業参観の翌日に訪れた松田由紀子先生福岡市立原中央中学校)の授業は、その答えを鮮やかに示していました。

以下は、参観された指導主事の方のレポートです。

松田先生と生徒たち、

松田先生とティファニー先生のギアがどんどんつながり、

コミュニケーションのボルテージが高まり、

あたたかい笑いが広がり、

それにつれて思考が深まっていきました。

まるでドラマを見ているかのように、

授業を見ていることを忘れていました。

まるで、私たち参観者全員が、

松田先生の生徒になったような不思議な感覚でした。

「まじか?」「うそやろ!」――参観者の衝撃

その時、神戸の地でZOOMを通して上野先生、松田先生の授業を見ていた参観者たちも言葉を失っていきました。

自分たちの思いや考えを、即興で、どんどん英語で伝え合う生徒たち。

ZOOMの画面の向こうから漏れるように聞こえてきたのは、

「……まじか?」

「……うそやろ!」

という、率直なつぶやきでした。

そして、その驚きは、やがて自分たちへの問いへと変わっていきます。

「教科書を順に進める授業で育っている生徒と、なぜこうまで違うのか?」

「忙しくてできないと考えていたが、そもそも授業に対する考え方自体が間違っていたのかもしれない…」

参観者の心を揺さぶったのは、生徒同士がインタラクションを取りながら、和気藹々と協働学習を進めている姿。

そこにあったのは、文法定着のための練習、本文を読み、意味を確認して終わるような授業ではありませんでした。

紛れもなく、これまでに学んだ表現を自然に使い、相手の言葉を受けて自分の考えを更新していく姿でした。

参観者の多くは、ここで初めて気づかされます。

「単元を“つなげて”設計することが、これほど決定的な差を生むのか」という事実に。

後悔は「見通し」のなさから生まれる

多くの参観者の胸に去来したのは、強い後悔でした。

基本文の徹底

Q&Aのトレーニング

即興でやり取りするための土台づくり

こうしたことを、一学期からの「帯学習」で積み上げてこなかったこと。

単元を「」で捉え、その場その場の授業をしてきたこと。

その差が、今、目の前ではっきりと可視化されていたのです。

その授業は、どこから生まれたのか

事後協議会で、松田先生ははっきりと語られました。

授業づくりの一番のポイントは、単元構成です。

さらに、単元構想のプロセスについても次のように話されました。

最初はノートにラフスケッチを描きながら、NSのティファニー先生とのコミュニケーションを重ね、少しずつ具体化していきます。単元構想には、もちろんまとまった時間が必要ですが、今はそれが楽しくて仕方ありません。

単元計画は、

「やらされる作業」ではありません。育った子どもの姿が見えているとき、単元構想は創造的な仕事に変わるのです。

単元計画は、子どもへのメッセージ

参観者は、一様に口にしました。

授業を変えたい。あんなふうに、子どもたちを輝かせてみたい

それは、単元を通して積み上げられた事実を目の当たりにしたからです。

単元計画とは、

•この一時間を成功させるためのものではなく

この子たちを、どこまで育てるのかを決めること

です。

打ち上げ花火のような授業か。

力が静かに、確実に積み上がる授業か。

その分かれ道にあるのが、

単元計画という、もっとも地味で、もっとも本質的な教師の仕事なのです。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント