第1回(概念編):それは「応用」ですか、それとも「活用」ですか?

授業を参観していると、次のような場面に出会います。
生徒はペアでやり取りをしている。
ワークシートも順調に埋まっていく。
黒板には、本時で扱う表現が整理され、
教室の空気も落ち着いている。
確かに、授業としてみれば、よく回っているようには見えます。
しかし、授業が終わった瞬間、
何となく”違和感”が残ることはないでしょうか。
それは、
「授業は予定通り進んだはずなのに、どうも手応えがない」
という感覚です。
活動は成立し、課題も終わっている。
授業としてみれば特に問題はない。
それでも、どこかひっかかるのです。
なぜなら、次のような状況だからです。
話したり、書いたりする内容が薄い。
「技能」がなかなか高まらない。
原因は、案外、単純なところにあるのかもしれません。
教師は指示や説明で忙しかったわけですが、
「生徒が自分で選ぶ場面があったか」
「課題が自分ごとになっていたか」
という面では、「はて?」「うーん」と
途端に自信がなくならないでしょうか。
もしそうだとしたら、
その活動は本当に「言語活動」になっているのか
それともー
ただの「練習」で終わっていないかを分析してみることが大事です。
そもそも、「練習」と「言語活動」は何が違うのでしょうか。
その境目は、意外なところにあります。
「応用」と「活用」の違いです。
そして、もし「言語活動」と「練習」の区別がつきにくいと感じるなら、
その授業は「応用」で止まっているのかもしれません。
このシリーズ(全5回)では、「判断が動く授業設計」という視点から、次のテーマを考えていきます。
第1回(概念編):それは「応用」ですか、それとも「活用」ですか?
第2回(設計編):その授業、Task-on-Time 、それとも Time-on-Task?
第3回(現象編):それは、本当に「言語活動」ですか?
第4回(実践編):系統的な「帯学習」が「単元計画」の中に入っていますか?
第5回(総括編):言語活動が「学校文化」として支えられていますか?
まずは、私たちの日常から考えてみましょう。
私たちは、日常生活で当たり前のように「活用」をしている
「活用」という言葉を聞くと、
どこか身構えてしまうことがありませんか。
それは、
研究授業でいつも求められるもの。
評価で問われるもの。
学習指導要領に記載されてはいるが、
どこか高度な力のように感じてしまうもの。
そんな印象が先に立つからなのかもしれません。
しかし、少し教室から離れてみると、
私たちは日常生活の中で
当たり前のように「活用」しています。
たとえば、料理です。
レシピ通りにつくる。
味が濃ければ水を足す。
薄いと感じたら塩か醤油を足す。
与えられた型の中で調整をする。
これは「応用」です。
では、冷蔵庫を開けた瞬間はどうでしょう。
残っている材料を見て、
「さて、何が作れるだろう」と考える。
ここではレシピは固定されていません。
材料と経験と目的を照らし合わせながら、
使うものを選びます。
頼りになるのは、自分の経験と判断です。
これが「活用」です。
車の運転でも同じことが起きています。
カーナビを見ながら、速度や車間距離を調整する。
これは走らせ方の調整です。
ところが突然の豪雨や渋滞に出くわすと、
私たちは別の判断をします。
このまま進むのか。
引き返すのか。
それとも迂回するのか。
サービスエリアに入って
復旧を待つか。
ここで問われているのは、
どう走るかではありません。
何を選ぶかです。
こうして見ると、私たちは日常の中で、
使い方を調整する場面と、
使うものを選ぶ場面を
自然に行き来していることがわかります。
教室で起きている混同
ところが教室では、この2つのことが混同される
ことがあります。
教師が使う表現をきめ、その範囲で活動させる場合、
生徒は、その表現をどう使うかを考えます。
使い方の工夫はあっても、「何を使うか」は
固定されています。
一方、「目的・場面・状況」だけが示されると
どうなるでしょう。
生徒はどの言語材料を使えば良いかを考えます。
どう言えば伝わりやすいか。
どの表現が使えそうか。
その瞬間、学習者の「思考・判断・表現」が
働き始めます。
「応用」と「活用」の違い
ここで整理してみましょう。
「応用」:
使うもの(What)が決まっている中で、使い方(How)を工夫すること
たとえば、
・be going to を使って話しなさい
・how to を使って何かの使い方を説明しなさい
この場合、
生徒は「何を使うか」を判断する必要がありません。
残されているのは、使い方(How)の調整です。
技能を身につけるためには、こうした練習が欠かせません。
しかし、「活用」ではありません。
「応用」です。
「活用」:
何を使うか(What)から自分で選ぶこと。
教師が示すのは「目的・場面・状況」であり、細かい指示はしない。
たとえば、次のような目的や場面の提示です。
・友達に週末の予定を伝え、時間を調整して遊びに行く。
・日本に来たばかりのALTに地域のおすすめの場所を紹介する。
・ホストファミリーに簡単な和食の作り方を説明する。
生徒は、まずこの場面では何が必要になるかを考えます。
すると、
未来表現を使うのか、助動詞を使うのか、
how to make it と言うのか、how I make it と言うのか。
つまり、何を使うか(What)と、どう使うか(How)の両方を
自分で判断することになります。
ここで始めて、
「思考・判断・表現」が動き出します。
なぜ「言語活動」が練習に見えてしまうのか
全国で授業を拝見していると、
学習指導案には「思考・判断・表現」と明記されて
いる活動が、実際には「知識・技能」の確認に留まって
いることがあります。
「言語活動」と書かれている活動が、実は「練習」
であることも少なくありません。
学習指導要領における言語活動とは、
「目的や場面に応じて、自分の考えや根拠などを
表現する活動」とされています。
したがって、「何を使えばよいか」を学習者が
判断する場面がなければ、それは「言語活動」とは言えません。
教師が使う表現、条件まで細かく指示してしまうと
Whatの判断(自己選択・自己決定)が消えてしまいます。
残るのは How の調整だけです。
その瞬間、活動は「練習」に変わります。
確かに、練習は必要です。
ただ、それで終わってしまうと「言語活動」にはつながりません。
練習の時間と、実際に言葉を使う時間。
その間に橋を架けるのが「授業設計」です。
何を優先しているかで、授業は変わる
なぜ授業は「応用型」に傾いてしまうのでしょう。
その背景には、教師が無意識に何を優先しているかという違いがあります。
■ 応用型の先生の優先項目
応用型の先生は、次のようなことが優先されやすいようです。
・教科書の進度が最優先されている。
・「文法、語彙」の定着が授業の中心になっている。
・型やモデルを与え、それを使わせている。
・ワークシートやタブレットを見ながら仕上げさせている。
・「ALT(留学生)に、今日習った表現を使って〜を紹介しましょう」というような課題が多い。
多くの授業は、残念ながらここで止まっています。
■ 活用型の先生の優先項目
一方、活用型の先生は、視点が逆に立ち上がります。
・「自分の言葉で伝わった!」という自信をつけたいと考えている。
・関心の中心はコミュニケーションの成立である。
・学習者が「工夫せざるを得ない」場面を設計している。
・自分の判断で言葉を選ぶ言語活動を位置付けている。
・ALTや留学生の情報(関心や背景など)を先に共有し、それを踏まえて「あなたならどうしますか」と問いかけている。
なぜ、教室では「活用型の授業」を難しく感じてしまうのでしょうか。
教師が調整する設計か、
それとも生徒に選ばせる設計か。
その違いは、能力観の違いではなく、
設計観の違いです。
教師が全てを整え、調整し、進めていく設計なのか。
それとも、生徒が状況に応じて選び、判断していく設計なのか。
この違いが、そのまま教室の風景を変えます。
これまでご紹介してきた授業では、生徒たちの
「聞く・話す・読む・書く」が切り分けられることなく、自然につながっていました。即興のやり取りが、特別な場面ではなく日常になっていました。
教科書の内容理解に留まらず、
要点をつかみ、言い換え、
自分の考えとして差し出す。
そうした姿が無理なく立ち上がっていました。
なぜ、それが可能になったのでしょう。
それは、授業の中に、
「どうすればいいか」を自分で決める場面が、
あらかじめ埋め込まれていたからです。
判断を委ねられた教室では、最初は戸惑いが生まれます。
しかし、それが、だんだん揺れの中で、
言葉が「自分で使うもの」へと変わっていきます。
教師の「設計」が、学びの質を決めているのです。
授業設計を見直す視点(足場と選択)
活用を成立させる授業では、
生徒が判断する場面が日常的に用意されています。
そのとき役立つのが、
Three Sentences.(文脈を立ち上げる足場)、
OREO(理由づける足場)、
PREP(主張を展開する足場)
といった「ディスコース・フレーム」です、
Mandala Chart、
階層式マッピング、
探究コーラルマップ
のような「思考ツール」も同じ役割を持っています。
これらは思考を縛るものではなく、考えるときに
頼りになる「足場」です。
ただし、
生徒が「足場」として使うのか、
それさえも教師が何を使うか指示してしまうのか。
ここで、取り組みは分岐します。
たとえば、
「OREOで考えなさい」
「マッピングを使って考えなさい」
と指示した時点で、
多くの場合、それは応用になります。
そうではなく、
目的・場面・状況を示し、
「この状況なら、どの足場を選ぶか」
を生徒に委ねたとき、
自然に「選択」と「活用」が始まります。
第1回のまとめ
「応用」は必要です。
型の習得も支えも必要です。
しかし、
応用で止まっている状態を
活用だと思い込んでしまうとー
せっかく時間をかけて用意したことが、
実は「練習」止まりだったという
ことになります。
問題は、活動の量ではありません。
生徒が判断したかどうかです。
ここに気づかない限り、
どれだけ活動を増やしても、
どれだけICTを活用しても
「活用」する力は育ちません。
▶️ 次回の予告
では、なぜ日々の授業で、活用が消えてしまうのでしょうか。
本時の活動の工夫なのでしょうか。
いえ、そうではありません。
もっと手前のところにあります。
単元設計の段階です。
次回は、
その構造に踏み込みます。
そこで初めて、
応用と活用の違いが授業設計として見えてきます。
