【第3回】なぜ、「戻す」と力になるのか ― 思考がつくる学びと学校文化の循環 ―
第2回では、
授業や協議会が、「うまくいった」で止まってしまう危険について考えました。
発表が途切れない、
時間通りに終わる、
活動が成立する。
それ自体は悪いことではありません。
しかし、本当に問わなければならないのは、そのあとです。
その活動によって、
学習者の中で何が変わったのか。
参観者の見方が、どこで揺れたのか。
そこが抜け落ちた瞬間、授業も協議会も、形骸化します。
第3回では、その「続き」を考えたいと思います。
学びは、どうすれば止まらずに動き続けるのか。
その鍵になるのが、「戻す」という営みです。
外に出しただけでは、学びは深まらない
学校では、毎日たくさんの言葉が外に出ています。
発表する、書く、話し合う、共有する。
そのまま見ると、学びは動いているように見えます。
しかし、そのあと、自分の中へと「戻らない」まま
終わっている場面が少なくありません。
たとえば、発表のあとです。
「なるほど」で終わる、
拍手で終わる、
教師がまとめて終わる。
ここで終わると、思考は“出たまま”で終わります。
しかし、本来、学びはまだ続いているのです。
相手の考えを聞いたあと、
「確かにそうだ」
「自分とは違う見方だ」
「なぜ、そこに気づかなかったのだろう」
「うまく言えなかったのは、なぜだろう」
と、自分の内側へ戻ってきています。
その往復の中で、思考は少しずつ組み替わっていきます。
「戻る時間」が、学校から消えている
ところが、学校では、この「戻る時間」が、案外簡単に削られています。
教科書を、先へ進めねばならないからです。
よって、時間通りに進める、
予定した内容まで到達させる、
活動を成立させようとします。
単元全体の中で、軽重が意図的に「設計」されているのであれば問題はありません。
しかし、毎時間、同じテンポで教科書を進め続ける授業では、立ち止まる時間はほぼありません。
その結果、本来、最も大切にしなければならない場面が、流れてしまいます。
書き直している、
言葉を選び直している、
友達の発言を聞いて黙っている。
そこには、「考えが揺れている瞬間」があります。
にもかかわらず、
「では次へ行きましょう」
「まとめます」
と閉じてしまう。
すると、思考は深まる前に流れていきます。
「戻す」とは、振り返りを書かせることではない
ここで言う「戻す」とは、単に感想を書かせることではありません。
一度外に出した思考を、
他者とのやり取りを通して、
もう一度、自分の中へ通し直すことです。
たとえば、英語のインタビュー・マッピングでも、
同じことが起きています。
活動が終わったあとに、
「どの質問で会話が深まったのか」
「なぜ、その場面で相手が強く反応したのか」
「どこで会話が止まったのか」
を、マッピングシートを見ながら戻して考えます。
すると、生徒は単に「話した」では終わらなくなります。
「なぜ、そのやり取りになったのか」を考え始めるからです。
さらに重要なのは、「言えなかった言葉」を、そのままにしないことです。
途中で言えなかった語や表現を、すぐにマッピングにメモする。
あとで辞書で調べる。
My Dictionary(小さなノート) に書き込む。
そして、次のやり取りでもう一度使ってみる。
この「戻し」が入った瞬間、活動は一回切りではなくなります。
「できなかった」で終わるのではなく、
もう一度、自分の中へ戻す。
そこから、次の「変化」が始まります。
「戻す」ことで、思考は組み替わり始める
たとえば、スピーチのあと、すぐ次の発表へ進まないことです。
発表者も、聞いていた生徒も、自分のマッピングへ戻します。
聞き手は、
「どこで考えが広がったのか」
「どの言葉が残ったのか」
「自分なら、どう言い換えるか」
を戻して考える。
発表者自身も、
「仲間の反応を見て、言い直したくなった部分はどこか」
「逃げてしまった説明はなかったか」
を見直していきます。
ペアでチャットをしたあとも同じです。
生徒は活動中、
「あれを言えばよかった」
「今の質問、うまく答えられなかった」
という感覚を抱えています。
その状態では、すぐ次の相手に変えても、思考は整理されないままです。
そこで、「戻す時間」を入れます。
自分が足りないと感じた部分。
付け足したいと思った部分。
それを、自分のマッピングへ戻して書き加えます。
短い作戦タイムです。
さらに、「次は、どう伝えるか」を30秒ほどイメージさせます。
このようにすると、生徒は、新しい相手とやりとりした後、
「前よりも言えた」
という感覚を持ち始めます。
自己肯定感が高まるのは、成功したからではありません。
“戻したあとに「変化」を実感できた”からです。
やがて、生徒は活動中、自分から「少し戻る時間がほしい」と求め始めます。
それは、自分で学びを自己調整し始めたということです。
「できた」ではなく、「変わった」を見る
ここで、授業を見る視点そのものが変わります。
本当に見なければならないことは、
その活動によって、
学習者の中で何が変わったのかです。
最初は一つしか考えられなかった生徒が、
友達の話を聞いたあとに視点を増やす。
自信満々だった意見が、問い返されて揺れる。
言えなかった言葉を、あとからノートに書き足される。
学びは、そういう場面に現れます。
つまり、思考が「戻った痕跡」にこそ、学びの変化は現れるのです。
協議会も、「戻し直す場」である
これは、授業だけの話ではありません。
第2回で扱った協議会も、まったく同じ構造を持っています。
意見を言って終わる。
感想を共有して終わる。
助言を聞いて終わる。
それでは、参加者の中で「何が変わったのか」が残りません。
協議会で必要なのは、
「自分は、何を見落としていたのか」
「なぜ、あの場面を見逃したのか」
「自分の授業なら、どうなるのか」
と、自分自身へ戻っていく時間です。
協議会は、感想交換の場ではありません。
参観者自身の授業観を揺らし、見方を変える場です。
つまり、協議会もまた、思考を“外に出す場”ではなく、
“戻し直す場”でなければならないのです。
たとえば、
終わりの挨拶で解散するのではなく、
1週間以内に、A4判1枚のレポートで
「今後、リニューアルしたい設計」として
まとめて事務局に送ります。
事務局は、それをPDFにまとめて
参加者全員で共有するのです。
こうすると、自分が気づけなかった点を
仲間の視点から知ることができます。
さらに、次回の授業研究にもつながります。
これも、「戻す」ことによって、再構成されることです。
思考は、循環するときに深くなる
知識だけでなく、技能も高まっていくのは、
「ゆり戻し」を何度も経験するからです。
生徒が即興で話せている、
まとまったことを何も見ないで書けている、
そんな授業では、途中、途中で
何度も「戻る」時間が仕組まれていることが
わかります。
戻ることで、前との違いに気づく。
前よりできるようになったことを感じる。
もっとできるようになりたいことが見えてくる。
その瞬間、体験が「経験」に昇華するのです。
体験が経験に変われば、見方が変わります。
見方が変われば、問いが変わります。
問いが変われば、選択が変わります。
選択が変われば、やり方が変わります。
学校文化は、「戻し方」で変わる
実は、この「戻す」という営みは、
一人の学習者だけの問題ではありません。
学校全体の文化につながっています。
すぐに正解を求める学校では、立ち止まることが減っていきます。
すぐに評価する学校では、考え直すことが減っていきます。
しかし、
「なぜ、そう考えたのか」
「今、何が変わったのか」
を問い続ける学校では、思考が蓄積されていきます。
行事、研修、研究授業でも同じです。
行事が成功したあとに、何を残すのか。
研修が終わったあとに、どう見方が変わったのか。
研究授業のあとに、授業者の、そして参観者の授業観がどう揺れたのか。
そこまで戻して初めて、学校文化は変わり始めます。
気づけば、職員室で、
「次はどうする?」
「もう少しやれるかもしれない、
いや、やってみたい」
という会話が増えていきます。
「うまくいった」で閉じる学校ではなく、
問いが残る学校へと変わっていくのです。
🍀エピローグ
チューリップ畑で見た光景は、
「もったいない」という言葉では終わりませんでした。
そこには、残すために切るという判断がありました。
学校も同じです。
うまくいったかどうかではなく、そのあとに何が残っているのか。
思考は、外に出て終わるものではありません。
戻ってきたときにこそ、力になります。
問いを残す、戻る時間を残す、すぐに閉じない。
その積み重ねが、学習者を変えます。
そして、学校の空気そのものを、少しずつ変えていくのです。
*アイキャッチの写真に掲載した「往還思考モデル」については、今秋、大修館書店より刊行予定の新刊(直山木綿子氏との共著)の中で、「思考がどのように動き、戻り、変化していくのか」というテーマを、具体的な授業場面を通して整理しています。思考は、一方向に進むものではありません。広がり、つながり、ときに立ち止まりながら、再び戻ることで深まっていきます。その過程を、教室での実践をもとに可視化しようと試みています。詳細については、またあらためてご紹介できればと思います。
