🍀 あの授業は、どこへ向かったのか

阿南翔平先生(福岡市立城香中学校)の「その後」の報告から見えたこと

教室の風景は、変わった後にこそ、本当に「やったことの意味」が見えてきます。

研究発表のとき、確かに動き始めた授業は、
時間の経過の中で、どのように根を張ったのか。

今回届いたのは、福岡市立城香中学校・阿南翔平先生からの「その後の報告」でした。

以前、HPで紹介したあの実践の、その先です。

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■ 授業が変わった「本当の理由」

阿南先生の授業が変わった理由は、明確です。

思考ツールは、思いつきで扱えるものではない。
その前提に立ったことでした。

その認識に立った瞬間、
授業の組み立て方そのものが変わります。

子ども任せでもない。
教師の即興でもない。

必要になるのは、
子どもたちの思考の動きを見通した設計です。

では、その設計はどこから始まるのか。

「何をさせるか」ではありません。
どのような姿に育てるのか」です。

ここが定まったとき、
思考ツールは初めて意味を持って動き出します。

■ 授業は「教えることではない」という転換

さらに、もう一つの転換があります。

授業は、教えるものではない。

英語は説明して身につくものではない。

子どもたちが使い、試し、修正しながら、
活動の中で獲得していくもの。

阿南先生の中で、これが「当たり前」になったことです。

この前提に立つと、
授業の時間の使い方が変わります。

言語活動(コミュニケーション)の時間が増えていきます。
しかも、それは一度きりでは終わりません。

繰り返されていくうちに、
やがて「習慣」へと変わっていきます。

授業を変えたのは、工夫ではありません。
「習慣化」です。

習慣(当たり前のようにできること)」こそが、その人の本当の力です。

■ ゴールが見えたとき、単元は動き出す

今回の報告の中で、繰り返し語られていたのは、
「ゴールの具体性」でした。

育った姿が、
最後の成果物がイメージできる。

そのとき、単元は初めて一本の線になります。

例えば―

英詩づくりの学習では、

なりきり作文で「自分以外の立場」になる経験

を積ませます。

その後、具体から抽象へと段階的に言葉を引き上げながら、最終的には「Love」や「Peace」といった概念を、自分の言葉で表現するところまで到達させています。

絶滅危惧種の立場から環境問題を考えるUnitでは、
単なる知識理解に留めませんでした。

絶滅危惧種の視点に立ち、

言葉を紡いでみるという経験が、
やがてクラス全体で取り組む卒業制作へと

つながっていきます。

インドの中学生に向けて行われたプレゼンでは、
マンダラ・チャートで話題が広げられるようになったことが、あとあと
探究コーラル・マップで統合されます。

最後はマップのシートを見なくても語れる段階へと

移行していきます。

3学期のディスカッションやディベートでは、

思考の軌跡そのものが、即興のやり取りとして

現れていきます。

ここで重要なのは、活動の種類ではありません。

すべてが、一本につながっていたことです。

■ うまくいかなかった単元が教えてくれたこと

興味深かかったのは、うまくいかなかったUnitの記述でした。

あるunitをゴールとなるモデルを用意しないまま

単元を開始したそうです。

結果はどうだったのでしょう。

途中で、生徒たちの動きがパタっと止まってしまいました。

学習意欲が減退し、私語が生まれました。

阿南先生はハッとします。

(しまった。時間に追われて、最後のイメージが持てないまま始めたからだ…)

慌てて、途中で設計を見直し、

生徒たちに詫びた上で
今度は、具体的なモデルを示しました。

途端に、「なあんだ、そういうことか」

と納得した生徒たちは一斉に動き始めました。

(途中でリセットしたことに反発するのでは?)

そう心配したことが嘘のように、

まるで、何事もなかったかのように、です。

この変化は何を示しているのでしょうか。

教師が迷っていることは、
授業にもそのまま出てしまうということです。

逆に言えば、
生徒が見えているものは、
教師の心の動きそのものです。

■ 「やりたい授業」が、なぜ実現しなかったのか

阿南先生は、こう振り返っています。

「ディスカッションやディベートをやりたいと思っていました。しかし、実現までに8年かかりました。いつかやってみたいという思いだけでは何も変わりませんでした。」

ここに、考えなければならない「授業の本質」があります。

地図を持たずに出発すれば、目的地にはたどり着けない

という事実です。

「自分の意見を堂々と言える生徒を育てたい。

そのためには、相手の気持ちになって

話すということだけでなく、

よい聞き手にならなければならない。

では、4技能をどこまで身につけていれば

いいのか。そして、基本文を使って自分の言いたい

ことがどこまで言えるようになっていなければ

ならないのか」

何を教えるかではなく、最後に育った姿や

最後に仕上がる具体像を丁寧にイメージし、

必要なことを洗い出してから

「年間計画」を立てたとき、
初めて、授業の設計が具体として立ち上がります。

■ 変化は、どこで生まれていたのか

もう一つ、見逃せない記述がありました。

それは、プレゼンの単元を改めて見返したときに、
特別に Speaking に特化した「単元」を行っていないにもかかわらず、
生徒が自然に話せるようになっていたという報告です。

これはどういうことなのでしょう。

帯学習で取り組んだ日々の「チャット」や

まとめの「レポート」といった
小さな積み重ね(「自分ごと」になる言語活動)

を地道に行っていたからです。

大きな変化は、突然には起きません。

小さなことに真摯に取り組んでいることが、
積み重なったときに現れてきます。

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(ドイツのモダニズム建築家)が残した「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)という言葉があります。

余計なもの(今、必要ないもの)を削ぎ落とし、残すべきものを見極めることで、質は研ぎ澄まされていきます。

基本に立ち返り、その一つ一つを確かなものにしていく。

その積み重ねが、結果として子どもたちの変化を生み出していきます。

■ 1年後に見えてきたもの

今回、阿南先生から届いた報告は、成功談や

自慢話ではありません。

むしろ、
なぜ自分は変わることができたのか」を

的確に示しています。つまり、

🟢思考ツールは、教師からの教え込みや思いつきでは機能しない
🟢最後の活動からではなく、生徒が最後に育った姿から逆算する設計は、学力向上に不可欠である
🟢教えるのではなく、使う中で身につく
🟢
「習慣化」が授業を変える
🟢
小さな積み重ね(設計)が、後になって大きな差になる

以前、HPで紹介したときと、語っていること自体は何も変わっていません。
決定的に違っていたのは、その“先”でした。

時間が経ったあとにも、それが残っていたのです。

2024年10月、あのとき教室で動き始めたものが、
形を変えながら、子どもたちの中にずつと残り続けていました。

阿南先生が学ばれた「原理・原則」は、
その場の手応えではなく、
時空を超えた「結果」として、はっきりと

姿を現していたのです。

■ 最後に

授業は、その時間の中で完結するものではありません。

むしろ、終わったあとにどう残るのか、
その持続性の中にこそ、本当の価値があります。

どのような学びが、時空を超え、
子どもたちの「自信」として立ち上がってくるのでしょうか。

阿南先生は、メールの最後に次のように書いておられます。

まるで教室の空気が、ふっとほどけたような瞬間でした。3年生の最後の授業。卒業文集を全員に手渡したあと、一人の生徒が、誰に向けるでもなく、ぽつりとつぶやきました。「中学校最後の授業が、英語でよかった」その言葉は、全員が静かに文集を読み続けている教室に届き、これまでの時間をゆっくりと照らし出していました。

あのTTの公開授業からの1年間。手応えを感じる日ばかりではありませんでした。うまくいかない日も、迷いながら進む時間もありました。とは言え、その積み重ねが、この一言につながっていたのだと、そのとき初めて実感しました。「ああ、間違っていなかったのだ」と。

かつて、「学校は卒業式のためにある」と教わりました。その意味を、私はどこか形式的に捉えていたのかもしれません。しかし、生徒のあの声を聞いたとき、はっきりと分かりました。

卒業式という一日のためだけではなく、その日を迎えるまでの教室の時間の中で、生徒が「学んでよかった」と感じる瞬間を積み重ねていくこと。

それこそが、英語教師として向き合うべき授業の本質なのだと、生徒から学ばせてもらいました。

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この記事を書いた人

英語 "わくわく授業" 研究所 代表(元関西外国語大学教授)
(公財)日本英語検定協会派遣講師・(株)リンク・インタラック エグゼキュティブ・コンサルタント