令和版の教科書と昭和54年度版の教科書を比較してみると・・・
◆ 教科書が進化したからといって、教師に求められる役割が小さくなったわけではない
今の教科書は、本当に見やすくなりました。
カラー写真がふんだんに使われ、イラストも豊富です。
QRコードを読み取れば、ネイティブの音声や動画もすぐに視聴できます。
デジタル教科書も普及し、学習環境は昭和の頃とは比べものにならないほど充実しました。
学習者にとって、「分かりやすさ」は確かに大きく進歩したと言えるでしょう。
ただ、一方で、教師の「授業力」は向上しているでしょうか。
デジタルコンテンツやQRコードを再生し、
教科書会社が用意した年間指導計画どおりに授業を進め、
用意された発問をそのまま使うだけになっていないでしょうか。
教科書は確かに進化しました。
しかし、それをどう生かすかという教師の役割まで小さくなったわけではありません。
◆ 私が初任のときに使っていた教科書
私が中学生のときに使っていた教科書は、開隆堂出版の New Prince Readers でした。
そして、教師になって最初に使ったのが同じ開隆堂出版の New Prince English Course です。
今でも、その教科書が手元に残っています。
(というか、先日、大掃除をしていたら、段ボール箱の中から出てきました)

現行の教科書と比べると、大きさもずいぶん違います。(アイキャッチの写真を参照)
中身はすべてモノクロで、もちろんQRコードもデジタル教材もありません。
ところが、ページをめくると、授業づくりのヒントになる工夫が次々と現れます。
◆ イラストそのものが教材になっている
まず、本当に久しぶりに初任のときの教科書をパラパラめくってみて、
驚いたのは、イラストが教材になっていたことです。
挿絵は決して華やかではありません。
とてもシンプルです。
しかし、その一枚の絵から子どもが考え、英語で表現するように設計されていました。
例えば、教科書には次のような問いが用意されています。
⑴ 絵を見て考える問い



⑵「自分ごと(personalization)」で考えさせる問い
半世紀も前から、「自分ごと」になる問いが用意されています。







最後の活動は、型を覚え、何も見ないで言えるようになった後で、置き換える語句を自由に選ばせています。
ワークシートを見ながらやり取りをする活動ではありません。
⑴では、
子どもたちは、
「何に見えるか。」
「どちらが大きいか。」
「誰のものか。」
「何色か。」
と、絵を見ながら判断し、自分の答えを英語で表します。
つまり、⑴⑵とも、
見る(読む) → 「思考する」 → 英語で表す
という流れが、ごく自然に組み込まれていることが分かります。
教科書の一つ一つの活動には、子どもの思考を引き出すための意図が込められていました。
英文を読むだけではなく、「考えさせる教材」として設計されていたのです。
◆ 文法も、音声も「使う場面」の中で学ぶ
文法事項についても同じことが言えます。
比較級や最上級、this と that、these と those も、最初に文法を説明する構成ではありません。
まず、
比較する → 「選ぶ」 → 尋ねる → 答える
そうした場面があり、その中で自然に言語材料を使わせるようになっています。
さらに、音声指導にも同じ思想が見られます。
英語は「音声指導が一丁目一番地」であるという考え方が、
教科書全体を通して貫かれているのです。
その代表例が、ストレスやリズムを可視化した音読記号です。
⑶ ストレス・リズムを可視化した音読記号



⚫︎□で囲まれている語(Which, city, larger, Osaka など)→ 強く読む語(内容語)
⚫︎線でつながっている部分→ ひとまとまり(chunk / sense group / thought group)
⚫︎線の高低→ イントネーションやリズム
なお、これはNew Prince Readers, New Prince English Courseでよく使われていた表記法であり、当時の開隆堂が採用していた音読指導のための独自のリズム・ストレス表記である。)
さらに、現在では欄外に置かれることが多い音声指導も、次のような工夫が見られます。
⑷ 音声指導が、まとめの問題の中に位置付けられている



今、多くの教科書では、「欄外」に入っている活動が、まとめの問題の中に組み込まれています。
読むこと、話すこと、音を身に付けることが、それぞれ別々ではなく、
一つの流れとして設計されていることが分かります。
◆ 教師が授業を組み立てやすい構造になっている
昭和後期の中学校英語教科書の中でも、New Prince English Course は、
単なる文型練習に終始せず、多様な題材や実生活とのつながりを大切にした
先進的な教科書として知られていました。
もちろん、現在のようなコミュニケーション中心の教科書ではありません。
しかし、英語を通して世界や文化に目を向けさせるという発想は、
早い段階から取り入れられていました。
豊かな読み物、世界への関心、日本文化の紹介など、
その編集方針は、後の内容重視や異文化理解、
国際理解教育へとつながっていきます。
改めて読み返してみると、
この教科書は教師に授業の進め方を細かく指示しているわけではありません。
むしろ、教師自身が教材研究をしながら、
「どんな場面で考えさせるのか。」
「どこで立ち止まるのか。」
「そのあと、どんな活動へ発展させるのか。」
を考えられる余地が数多く残されています。
例えば、
“Is this a bird?”
“What’s that?”
“What color is this dog?”
“Which flower do you like best?”
教師は、最初に文法を説明するのではありません。
子どもが絵を見て考え、
自分の答えを英語で表そうとするところから授業が始まっています。
つまり、授業の設計は教師に委ねられていました。
改めて読み返してみると、この教科書は、
教師が教材研究を重ねながら、
自ら授業を設計していくことを前提に
構成されていたことが分かります。
同じ教科書を使っていても、
教師によって授業が異なった背景には、
このような「教師が設計する余地」を
残した教科書づくりがあったのかもしれません。
◆ 教科書の奥付には、日本の英語教育をつくった先駆者たちの名前が
昭和54年度版の教科書を読み返していて
もう一つハッとしたことがあります。
私は、古い教科書を懐かしく眺めていたのではありません。
「この教科書を書いた人は、どんな専門家だったのだろう。」
そう思って執筆者を調べてみると、驚くような事実が見えてきました。
そこには、日本の英語教育を代表する研究者たちの名前が並んでいたのです。

特に代表となる三名の著作者です。
どなたも、一度は名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
英語教育史・教科書研究 …… 稲村松雄 氏(学習院大学)
授業づくり・教授法 …… 納谷友一 氏(東京電機大学)
外国語教授法・音声指導 …… 鳥居次好 氏(関西外国語大学)
それぞれが、教科書研究、授業づくり、外国語教授法、音声学の第一人者です。
ということは、単に本文や文法事項、練習問題を書いていたわけではないことが分かります。
そこには、
英語はどのように身に付くのか。
授業はどのように設計すべきか。
発音や音声はどのように指導すべきか。
そうした長年の研究成果が、一冊の教科書の中に注ぎ込まれていたのです。
教科書の一つ一つの活動や問いには、
英語教育に対する考え方や子どもの学びへの願いが込められています。
私たちは、その意図をどれだけ読み取りながら授業をしているでしょうか。
例えば、教科書の巻末には、
次のような「正しい英語の音(日本語にはない母音・子音)」が
どのように作られるのかを示した口蓋図や、ポイントを整理した一覧が
掲載されています。

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執筆者たちは、「音から英語を身に付けること」を、
教科書全体を通して一貫して重視していたことが分かります。
当時は、このような音声指導を授業の中で丁寧に扱うことが、
ごく自然な実践として位置付けられていました。
私たちは、カラーになった教科書やQRコードには目を向けています。
しかし、その土台を築いた先達が、何を大切にして教科書を設計したのかには、
どれだけ目を向けているでしょうか。
そもそも、その方たちが著した書籍を読んでいるでしょうか。
教科書は、時代と共に新しくなっていきます。
だからこそ、その土台を築いた研究者たちの教育哲学から学び、
「不易」の部分を伝承していくことを忘れてはいけないと思うのです。
◆ 教科書が授業をつくるのではない
今の教科書は、本当に完成度が高くなりました。
写真も豊富で、動画も見られます。
QRコードで音声も聞けます。
しかし、教材が充実したからこそ、
それをどう生かすかという教師の設計力は、以前にも増して重要になっています。
教科書は、暗記したことを再現するための台本ではありません。
教師が教材研究を通して授業を構想するための設計図です。
教科書は、その教材をどのように読み解き、
子どもの思考や対話へと発展させるかを、
教師に委ねるよう設計されています。
教科書の一つ一つの活動に、
どのような教育観や言語観が込められているのか。
なぜ、この問いがここに置かれているのか。
なぜ、この順番で学ぶように設計されているのか。
そこを読み解いて初めて、教師は教科書を「使う人」ではなく、
「授業を設計する人」になります。
インターネットやSNS、AIの普及によって、
情報は簡単に、しかも瞬時に手に入るようになりました。
しかし、便利になった分、学習者が自ら「選ぶ」「判断する」「思考する」機会は、
以前より少なくなってはいないでしょうか。
そもそも、私たちは教科書(デジタル教科書を含む)という「素材」を
「教材」にまで高める努力をしているでしょうか。
時短、省エネで、深層を理解しないまま、先を急いでいないでしょうか。
今求められているのは、「教科書で授業をする」という発想ではありません。
教科書を読み解き、教師が授業を設計するという発想です。
◆ 原点に戻るとき
私は、この古い教科書を閉じたとき、改めて考えさせられました。
これからの授業では、デジタル教材、AI、QRコード、動画などを
活用する場面がますます増えていくでしょう。
しかし、QRコードを見せるだけでは授業は変わりません。
動画を流すだけでは、何も力はつきません。
子どもが考え始めた瞬間に、初めて授業になります。
大切なのは、デジタルとアナログを何となく組み合わせることではありません。
「どの力を育てるために、何を使うのか。」
「どちらにしかできないことは何か。」
そこまで考え抜いて初めて、教材は子どもの学びに変わります。
だからこそ、それぞれのメリットとデメリットを理解し、
「何を育てるために使うのか」を明確にすることが、
これからの教師には求められているのだと思います。
本当に子どもを育てるのは、教材そのものではありません。
教科書に込められた意図を読み解き、学びへと再構成する教師の授業設計です。
どれほど教科書が進化しても、授業をつくるのは教師であり、
その出発点は、子どもが考えたくなる問いにあるということでした。
令和8年度版の教科書には、ICTやデジタル教材、多様な資料など、
現代だからこそ実現できた価値が数多く盛り込まれています。
その価値を本当に生かせるかどうかは、
教師がその教材をどう読み解くかにかかっています。
ここまで古い教科書を読み返してみて、私は一つのことを強く感じました。
教科書は、教えるための「手引き」ではありません。
執筆者が長年積み重ねてきた研究や教育哲学が詰まった、
一冊の研究書でもあるのです。
もし私たちが、その背景を考えず、ページ順に進め、QRコードを再生し、
用意された発問を繰り返すだけになっているとしたら、
教科書の価値を半分も生かせていないのかもしれません。
教科書は、「終わらせる」ものではありません。
読み解くものです。
この活動には、どんな意図があるのだろう。
なぜ、この問いがここに置かれているのだろう。
この教材で、本当に育てたい力は何なのだろう。
そう問い続けることが、教材研究です。
教材研究とは、プリントを用意することではありません。
教科書がどれだけ進化しても、それを読み解かなければ、授業は深まりません。
そして、その教科書に込められた思想を読み解き、
子どもの姿に合わせて再構成していくことこそが、
一人ひとりの教師に託された「専門性」なのだと思います。
教科書が進化し続けている今だからこそ、教師の教材研究も進化しなければならない。
半世紀近く前の教科書を読み返して改めて感じたのは、
教科書とは、執筆者たちが長年積み重ねてきた研究と教育哲学を、
一冊の中に結晶化したものです。
その思想を読み解き、
子どもの姿に合わせて授業として再構成するとき、
教科書は初めて本来の力を発揮します。
