「踊り場」は、一息つき、確かめ、進む方向を決める時間
◆ 長い石段を上りながら
山寺を訪れると、山門や本堂に向かって、長い石段が続いていることがあります。
上っても、上っても、石段。そのうちに膝がガクガクしてきて、「この辺で、少し平らなところがあればいいのに……」とため息をつく。そんな経験をされた方もおられるのではないでしょうか。
山寺の石段は、学校や駅の階段とは少し事情が違います。山門や本堂へ向かう参道でもあり、特に山岳寺院では、一段ずつ上っていく身体的な行為そのものが参詣の一部になっていました。また、山の斜面や岩盤、境内の配置に合わせてつくられた石段もあります。途中に平坦な場所がある寺院もありますが、現代の建物のように、歩きやすさを優先して設計されたものばかりではありません。
では、毎日使っている学校の階段はどうでしょうか。
◆ 学校の階段は、途中でいったん途切れる
学校の階段を思い浮かべてみてください。
多くの学校では、1階から2階まで一直線に続くのではなく、途中に平らな場所があります。そこで向きを変え、再び階段を上ります。
その場所が「踊り場」です。英語では landing と言います。階段を上ってきた人が、いったん足を置き、姿勢を整えられる場所です。
踊り場には、いくつもの役割があります。疲れた足を休ませ、息を整える。自分がどこまで上ってきたのかを確かめる。折り返し階段なら、進む方向を変える。そして、次の階段へ向かう。
普段は何気なく通り過ぎていますが、考えてみると、よくできた場所です。目的地ではないのに、そこには平らな場所が用意されています。上り続けることだけを求めず、途中で足を止められるようになっているのです。
授業にも、こうした「踊り場」が必要ではないでしょうか。
◆ 子どもたちは、いつ息をつくのか
新しい文法を学ぶ。練習する。本文を読む。問題を解く。そして、次のページへ進む。教師は年間指導計画に沿って授業を進めますが、その間、子どもたちは次々と新しいことに取り組んでいます。
学習には負荷が必要です。しかし、毎時間、新しい課題を与えられ、十分に理解できないまま次へ進む生徒がいませんか。前の時間に学んだことを使えるようになったという実感を持てないまま、次の内容が始まるということはありませんか。
そんなとき、少し立ち止まる時間があったらどうでしょうか。
「先週は、質問されても一言しか答えられなかったけど、今日は理由まで話せた」
「前は友達の英語が聞き取れなかったけど、今日は何を言いたいのか分かった」
いつも次の課題を与えられるばかりでは、上達していることに気づく余裕はありません。一方、自分ができるようになったことを確認できると、子どもの表情が変わります。
「踊り場」は、できていないことを見つける場所である前に、ここまで上ってきた自分を確かめる場所でもあるのです。
◆ 立ち止まると、見えてくるものがある
ただし、一息つくだけで学びが深まるわけではありません。「踊り場」には、もう一つ大切な役割があります。
それは、自分の現在地を知り、次にどう進むかを考えることです。
例えば、単元の最後に、NSに自分たちの学校の魅力を紹介する活動を予定しているとします。生徒たちは一度、ペアで紹介をしてみます。ところが、相手から質問されると、うまく答えられません。学校行事の名前は言えても、そこで何をするのか、なぜ楽しいのかを十分に説明できないのです。
そこで教師は、すぐに正しい英文を教えるのではなく、いったん活動を止めます。そして、ほかのペアがどのように紹介していたかを聞く時間を設けます。
ある生徒は、行事の説明に自分の体験を加えていました。別の生徒は、相手が知らない言葉を簡単な英語に言い換えていました。それを聞いて、「自分は行事の名前しか言っていなかった」「相手が知りたいのは、そこで何ができるかということかもしれない」と気づきます。
その後、生徒は自分のメモやマッピングを見直します。説明を加える生徒もいれば、紹介する順序を変える生徒もいます。必要な表現を教科書で確かめる生徒も出てくるでしょう。
同じ課題にもう一度取り組んでも、先ほどとは伝え方が変わります。友達の表現をそのまま真似するのではなく、自分の紹介に何が必要なのかを判断したからです。
これが、授業の途中に設ける「踊り場」の一つの姿です。
◆ 「向きを変える」ことにも意味がある
折り返し階段では、「踊り場」まで来ると向きを変えます。そのまま直進しても、上の階にはたどり着けません。進む方向を変えることで、さらに上へ進めるのです。
学習でも、最初に考えたことや選んだ方法が、必ずしも最善とは限りません。実際にやってみたからこそ、うまくいかなかった理由が分かることがあります。また、友達の考えに触れて、それまで気づかなかった選択肢が見えてくることもあります。
先ほどの学校紹介であれば、最初は「学校のよいところをたくさん紹介しよう」と考えていた生徒が、相手の質問を受けて、「数を減らして、一つずつ詳しく説明しよう」と考え直すかもしれません。
ここで変わったのは、英文の長さだけではありません。何を伝えることが相手の役に立つのかという判断です。
「踊り場」で向きを変えるとは、教師の指示で別の活動に移ることではありません。自分の考えや表現、学び方を見直し、必要に応じて変えることです。
◆ 評価は、階段の一番上だけに置くものではない
このような学びの途中での振り返りや修正は、形成的評価や中間評価と考えられます。
単元の最後にパフォーマンステストを行い、結果を返す。そこで生徒が「もっと理由を加えればよかった」「相手の質問に答えられるようにしておけばよかった」と気づいても、その単元の活動はすでに終わっています。
階段を上り切ったところで、「途中の上り方を変えた方がよかったかな」と言われても、今上ってきた階段で、その助言を試すことはできません。
だからこそ、単元の途中に、一度やってみる機会を設けるのです。教師は、その姿から生徒に必要な支援を考えます。一方、生徒は自分の到達状況を確かめ、友達の考えや表現を参考にしながら、次に何をするかを決めます。
大切なのは、評価した後に何が起きるかという部分です。「できた」「できなかった」を確認するだけなら、「踊り場」に立ち止まったままです。そこで得た情報を使って、もう一度取り組む機会があってこそ、中間評価が次の学びにつながります。
ただし、「踊り場」のすべてを評価の時間にする必要はありません。子どもが自分の成長を喜び、安心して次の課題に向かえる時間も必要です。うまくいかなかったことを責められず、もう一度試せるという安心感があれば、子どもは自分の課題にも向き合いやすくなります。
◆ 踊り場をつくっても、教師が決めていたら
教師が「今から振り返りなさい」「友達のよい表現を三つ書きなさい」「次は理由を加えなさい」と指示すれば、確かに生徒は自分の活動を振り返り、表現を修正するでしょう。
しかし、何を見直し、どのように改善するかまで教師が決めてしまえば、生徒自身が判断する余地はほとんど残りません。
学校紹介の活動でも、ある生徒には説明を加えることが必要かもしれませんが、別の生徒には、情報を減らして分かりやすく伝えることが必要なのかもしれません。相手に質問して、何を知りたいのかを確かめるという選択もあります。
教師が全員に同じ改善方法を指示するのではなく、生徒が自分の課題に応じて、次に何をするかを選べるようにする。そのためには、それまでに必要な表現や学び方を身につけさせておくことも欠かせません。
「踊り場」は、教師が次の階段へ誘導するためだけの場所ではないのです。
◆ 教師は、階段だけをつくっていないか
教師は、子どものために一生懸命、階段を用意します。今日はここまで、次はここまで。この文法を教えたら次の文法へ、この単元が終わったら次の単元へ。授業計画には、学習内容と活動が丁寧に並べられています。
しかし、その計画をもう一度見なおしてみてください。
子どもたちが、できるようになったことを喜べる時間はありますか。うまくいかなかったときに、安心して立ち止まれる時間はどうでしょうか。友達の考えに触れ、自分のやり方を見直し、もう一度試せる機会は用意してあるでしょうか。
授業の途中で活動を止めれば、それだけ進度が遅れると考えるかもしれません。しかし、立ち止まらずに進んだ結果、何ができるようになったのか分からないまま単元を終えるのであれば、その進度にどれほどの意味があるでしょうか。
階段には、「踊り場」があります。疲れた足を休ませ、ここまで上ってきた道のりを確かめ、向きを変えて、再び上り始めるためです。
授業も同じです。次の内容を教えることだけが、子どもを前へ進めることではありません。自分ができるようになったことを喜び、必要なら考え直し、次の一段を自分で決める。その時間を単元の途中に用意しておくのです。
あなたの単元計画には、子どもたちが安心して立ち止まり、自分の足で再び上り始められる「踊り場」が用意されていますか。
