第2回 操るのではなく、支える
鵜飼を見ていて、もう一つ気づいたことがあります。
以前は、鵜匠という仕事を、
鵜を巧みに操る仕事だと思っていました。
しかし、実際は違いました。
鵜匠は、縄を強く引かず、
鵜が流れに入る余地を残していました。
鵜は自分で水に入り、
自分で潜り、魚を追っていきます。
鵜匠はその流れを壊さないように
そっと支えているように見えました。
もし強く引けば、
鵜は流れから外れてしまいます。
急がせれば、動きはぎこちなくなります。
無理に操ろうとすれば、
本来持っている力が発揮できなくなります。
それは、日常にはない光景でした。
鵜匠は「動かしている」ように見えで、
実際にしていることは、
手にしている鵜が「動ける状態」を壊さないこと
だったからです。
鵜飼が始まる前の説明で、
担当の鵜匠がこんな話をされていました。
「自分が管理している鵜の体調や機嫌を見ながら、
その日の状態を知り、使う鵜を選んでいる」
羽の動き
目の様子
水への入り方
同じ鵜でも、それぞれ違います。
だから、その日の状態を読みながら
彼らとの「仕事」を決めるというのです。
鵜と川の「あいだ」を読む
長良川の川面を見ながら、
次第に、
魚を捕る鵜以外のものを見ていました。
流れを読むー
今は行かせるのか
まだ待つのか
行かせるなら、どこまで任せるのか。
鵜匠が向き合っていたのは、
鵜そのものではなく、
鵜と川との関係だったのかもしれません。
流れ、風向き、水温、月明かり、天候、
自然は一瞬たりとも同じ顔を見せません。
だからこそ、
決まったやり方を当てはめるのではなく、
その瞬間に「何が起きているのか」を感じ取る。
鵜飼とは、
技術で魚を捕る営みである前に、
見えない変化を読み続ける営みではないかー
そう思えてきました。
流れを壊さない
人もそうではないでしょうか。
私たちは誰かを育てようとするとき、
つい縄を強く引いてしまいます。
「もっと早く!」
「そうじゃなくて、こう!」
しかし、強く引かれた瞬間、
人は「自分の流れ」を見失うことがあります。
動いているように見えても、
それは自分で動いているのではなく、
動かされているだけだからです。
本当に力のある人は、
人を動かそうとせず、
その人が自分で動き出せる流れを読み、
その流れを壊さない人なのかもしれません。
長良川の夜に見ていたのは、
鵜飼ではありませんでした。
「待つとは何か」
「育てるとはどういうことか」
その答えの一端だったような気がします。
