折り鶴は、最初の”折り目”で決まる
アイキャッチの図(折り鶴)をご覧になられて、
ドキッとされた方はおられないでしょうか。
セミナー、いろんな原稿を書くときに、「折り目」の話をすることがあります。
10年ほど前に、大阪の高槻市の中学校の校内研修に呼ばれて伺ったときに、教師集団の取り組み、参観した保健体育、数学、外国語の授業の素晴らしさに深く感動し、すぐにそれをまとめ、感謝の気持ちからそれをお送りしました。テーマが「最初の折り目」(一部、加筆)です。
目次とレポート(PDF)を貼っておきますので、関心のある方はお読みください。


https://nakayoh.jp/wp-content/uploads/2026/07/教師の仕事は、最初の「折り目」を正しくつけること.pdf
さて、折り鶴の話に戻りましょう。
折り鶴を折ったことがある方なら、よくご存じだと思います。
それは、折り紙は、「最初の折り目」がその後の折り方を大きく左右してしまうということです。
最初の折り目をきちんと付けると、その後の折り目も自然とそろい、仕上がった折り鶴(下の図、上段右端の絵)は美しくなります。
ところが、最初を少しでもいい加減に折ってしまうと、そのずれは少しずつ大きくなり、最後には羽の大きさも首の向きもそろわない、不格好な折り鶴(下の図、下段右端の絵)になってしまいます。

授業も同じではないでしょうか。
◆ 4月の授業は、一年後を折り始めている
4月、新しい学級が始まります。
そのとき教師は、
学習規律、英語の発音やストレス、
「自分の言葉で伝えること」を当たり前にすること、あるいは学んだ英語を実際に使う場面を用意することなど、さまざまなことを指導します。
しかし、本当に大切なのは、教師が何を「させるか」ではありません。
一年後、どのような子どもに育っていてほしいのか。
その姿から逆算して、最初に何を「折り目」として入れるのかです。
教科書を見る目が授業を変えるように、4月の授業デザインが、その一年の学びを方向付けていきます。
◆ バーは、ある日突然下がるのではない
ところが、日が経つにつれて、その折り目が少しずつ緩んでいくことがあります。
「今日は暑いから、仕方ないか。」
「体育の後だから、我慢しよう。」
「午後の授業だからかな(ため息)」
「行事(大会)前だから、こんなもんか。」
一つ一つは、その場ではもっともらしい判断です。
しかし、その「今日は仕方ない」が積み重なるたびに、自分で決めた基準(バーの高さ)は、少しずつ下がっていきます。
その変化は、一時間では気付きません。
お風呂のお湯の温度と同じで、人は少しずつ変化したものに慣れてしまうからです。
しかし、一か月、二か月と積み重なると、最初に描いていたゴールとは、まったく違う場所へたどり着いてしまいます。
◆ 見直すべきは、子どもではなく自分かもしれない
そこで考えなければならないことがあります。
子どもたちができないのは、
本当に子どもたちの責任なのかということです。
むしろ、一年後のゴールイメージが教師の中で具体化されていなかった。
そのゴールへ向かう道筋が曖昧で、指導が一貫していなかった。
その影響の方が、はるかに大きいのではないでしょうか。
授業が思うように進まないと、新しい活動や教材を取り入れて改善しようとすることがあります。
しかし、途中だけを変えても、本当の改善にはつながりません。
◆ 戻る場所は、4月しかない
子どもたちは、教師が示した基準を、教師が思っている以上によく覚えています。
年度当初、「この一年で、この力を付けよう」と教師が示した約束です。
ですから、授業を立て直すとしたら、戻る場所は一つしかありません。
4月に入れた「最初の折り目」です。
どのような子どもを育てたかったのか。
そのために、最初に何を大切にすると決めたのか。
その基準は、今も変わっていないのか。
そこへ戻ることができれば、授業はもう一度、原点から立て直すことができます。
◆ 最後に問い直すべきこと
折り鶴は、最後だけ形を整えようとしても、美しくはなりません。
最初の折り目が、その美しさを決めます。
授業も同じです。
教科書のメッセージを読み取り、一年間の「設計」をし、4月に決めた「授業の基準」を最後まで守り抜くことができたか。
その問いに胸を張って「はい」と答えられる教師だけが、一年後の子どもたちの成長を、本当の意味で喜ぶことができるのだと思います。
一年後の子どもの姿は、教師の一年間を映す鏡です。
その鏡に映っているのは、子どもたちの成長でしょうか。
それとも、いつの間にか下げてしまった、自分自身の「基準」でしょうか。
