教師がまず設計するのは、「活動」よりも「経験」
活動が終わっても、経験は終わらない
前回、学習指導案から活動名を消してみました。
活動の名前や手順を取り去ったあとにも、その授業で子どもに何を経験させ、何が変わることを期待しているのかが残るか。
今回は、その続きを考えてみます。
たとえば、自分の考えをうまく伝えられなかった子どもがいたとします。その子にとって大切なのは、その活動を終えることではありません。「なぜ伝わらなかったのだろう」と考え、別の言い方を知り、もう一度試せることです。二度目に少し伝わるようになれば、最初にうまくいかなかった経験も意味を持ち始めます。
活動には始まりと終わりがあります。しかし、そこで生まれた経験は、次につながっていきます。
ですから、教師が考えたいのは、一つの活動をどう成立させるかだけではありません。そこで生まれた経験を、次のどこで使わせるかです。
「もう一度」は、同じことの繰り返しではない
授業では、新しいことを次々に与える方が、学びが進んでいるように見えることがあります。ところが、技能を育てるためには、前に経験したことをもう一度使う場面が欠かせません。
たとえば、一度目には用意した言葉でうまく伝わらなかった子どもが、相手を替えた二度目には、先ほどの反応を思い出して言い方を変える。活動の形は同じでも、二度目には一度目になかった判断が生まれています。
つまり、「もう一度」は、同じことを機械的に繰り返すことではありません。前の経験を使って、次を変えることです。
これが繰り返されると、学んだことは一つの活動の中で閉じなくなります。教師に言われたから使った表現が、やがて目の前の相手を見て、自分で選んで使うものへと変わっていきます。
50分で学びを閉じていないか
学習指導案には、一時間の始まりと終わりがあります。その枠に慣れていると、教師も無意識のうちに、50分の中で授業を完結させようとします。
導入があり、展開があり、最後にまとめる。確かに、その形は授業を整理するためには必要です。しかし、子どもの学びまでチャイムとともに終わるわけではありません。
今日うまくできなかったことが、次の時間にもう一度試す理由になることがあります。そこで昨日とは違う方法を使ってみると、また新しい課題が見えてくる。そうして経験がつながっていけば、一時間の授業は「完結した50分」ではなく、長い学びの途中にある一つの場面になります。
学習指導案に必要なのも、このつながりではないでしょうか。
本時で何をさせるかだけではなく、ここで経験したことが、それまでの学びとどうつながり、このあとどこで生かされるのか。そこまで見えてくると、学習指導案は活動を時間順に並べるものから、子どもの経験をつなぐ設計図へと変わります。
「この活動、使えそう」で終わっていないか
子どもがうまくできないからといって、目指すところまで下げるのではありません。だからといって、できるまで同じことを繰り返させるわけでもない。目の前の子どもの姿を見ながら、必要な手掛かりを与え、もう一度挑戦できるようにします。
優れた授業を見たり、実践を知ったりすると、目に見えるものを持ち帰りたくなります。「これは使えそうだ」と思い、活動の進め方や教材、教師の働きかけをメモする。
もちろん、それも授業を学ぶ一つの方法です。
ただ、同じ活動を自分の教室に持ち帰っても、同じようにはいかないことがあります。方法だけを持ち帰れば、残るのは「形」だからです。
北原延晃氏、蒔田 守氏、故稲岡章代氏、田尻悟郎氏。私が長く交流してきた優れた実践者の授業を見ていると、それぞれ方法は違っていても、共通して感じることがあります。
それは、「ここは簡単には通さない」という場面があることです。
なぜ、そこで簡単に先へ進まないのでしょうか。
最後に、どんな子どもを育てたいのかが見えているからです。
その姿があるからこそ、「今、この子には何を経験させる必要があるのか」を判断できるのです。
優れた実践から本当に学びたいのは、「何をしているか」ではありません。なぜそこで止めたのか。なぜ、その手掛かりだったのか。定期テストやパフォーマンステストにどうつながるのか。
目に見えるメソッドの奥にある教師の「見立て」まで読み取って初めて、その実践を自分の教室で生かすことができます。
若い教師に、活動のレパートリーだけを渡していないか
これは、若い教師を育てるときにも考えたいことです。
「この活動は盛り上がる」「この教材は使いやすい」と伝えれば、翌日の授業から使うことができます。それも大切な支援です。
ただ、それだけを渡し続けると、手元に活動のレパートリーは増えても、目の前の子どもに応じて授業を変えるための判断基準までは育ちにくくなります。
活動を教えるだけではなく、「なぜ今、この子たちに、この活動なのか」を語る。
そこで初めて、活動のやり方と一緒に、その活動を選んだ教師の判断も渡すことができます。それが、若い教師に「授業を見る眼」を育てることにつながるのではないでしょうか。
「何をするか」の前に
一年後の子どもの姿を思い描くことは大切です。
ただ、それは一年分の活動を先に決めておくことではありません。
目の前の子どもの姿を見ながら、今、何が必要なのかを考え、次に経験させることを選び直していく。その積み重ねによって、一時間が単元につながり、単元で重ねた経験が、その先の子どもの姿へとつながっていきます。
教師の専門性は、活動をいくつ知っているかでは測れません。
これから育てたい姿と、今ここにいる子ども。その間に何が必要なのかを見立て、経験できる場を用意する。そして、そこで現れた子どもの姿を見て、次を考え直す。
授業を設計するという仕事は、その繰り返しなのだと思います。
授業準備を始めるとき、つい「次は何をしようか」と考えたくなります。
ただ、その前に、こう考えてみてください。
この子たちには、次に「どんな経験」が必要なのか。
「何をするか」を決めるのは、そのあとです。
