子どもは、いつ「心変わり」するのか
◆ 「ここ、変えてもいいですか」
前の時間に書いた自分の考えを見ながら、ある子が鉛筆を止めています。しばらくして、書いてあった言葉を消すのではなく、その横に別の言葉を書き足しました。
友だちの話を聞いたあとでした。
教師が「考え直しなさい」と言ったわけではありません。「こちらの方が正しい」と教えたわけでもありません。それでも、さっきまで動かなかったものが、その子の中で動き始めています。
授業の中で見たいのは、こういう瞬間ではないでしょうか。
◆ 人は、説明されたから考えを変えるのか
「それは違うよ。こう考えた方がいい」
そう言われて、すぐに「なるほど。では、今日からそう考えます」となる人は、なかなかいません。自分なりに理由があって納得していることなら、なおさら簡単には手放せないでしょう。
ところが、考えが動くことがあります。「絶対にこちらだ」と思っていたのに、予想していなかった事実を知った。自分とは違う経験をした人の話を聞いて、「そういう見方もあるのか」と思った。あるいは、自分の考えを説明している途中で、「でも、それならこれはどうなるのだろう」と、自分自身の言葉に引っ掛かった。そのようなときです。
誰かに答えを変えなさいと言われたからではありません。それまでの自分の考えだけでは、簡単に通れなくなったのです。
◆ 「心変わり」は、意見を変えることではない
ここで言う「心変わり」は、Aと考えていた子どもがBに変わることだけを指しているのではありません。
友だちの話を聞いた結果、「やはり私はAだ」と、それまで以上にはっきり考えることもあります。「分かった」と思っていたことが、実は分かっていなかったと気づくこともあります。答えが出るどころか、新しい問いが生まれることもあります。
結果だけを見れば、最初と同じ答えの子もいます。しかし、その間に別の可能性に触れ、立ち止まり、それでも自分の考えに戻ってきたのであれば、最初の「A」と最後の「A」は同じではありません。むしろ、A’(ダッシュ)と言えるでしょう。
授業で見たいのは、答えが変わったかどうかよりも、その子が考え直さずにはいられない何かに出会ったかどうかなのだと思います。
◆ 「交流しました」で終わっていないか
この視点で見ると、協働的な学びも少し違って見えてきます。
指導案には、「自分の考えをペアで交流する」とよく書かれています。Aさんが話し、Bさんが話す。「なるほど」「私もそう思います」。そこで教師が「では、全体で共有しましょう」と声を掛ける。
二人は確かに話しています。しかし、二人の考えは本当に出会ったのでしょうか。
学校には、自分とは違う人がいます。同じ資料を見ても違うところに目を留める人がいる。同じ問いに別の答えを出す人がいる。自分にはない経験を持っている人もいる。学校という場の「集団性」の価値は、全員を同じところへ向かわせることではなく、一人では出会えないものに出会えることにあります。
だから協働を、互いの答えを確認する時間だけにしてしまうのはもったいないのです。
「なぜ、そう思ったの?」
「私はそこを逆に考えた」
「でも、この場合はどうなる?」
そんな一言が、自分の考えに小さな引っ掛かりをつくることがあります。そこで大切なのは、そのまま全体の「正解」に向かうことではなく、他者と出会ったあとに、もう一度自分の考えへ戻ることです。教師は、その時間を最初に設計しておくことです。
協働と個の学びの往還とは、「個人→ペア→個人」という活動の順番ではありません。他者との出会いによって、それまでの自分にはなかったものを持ち帰り、自分の考えをもう一度つくり直すことなのだと思います。
◆ 「前の自分」を残しておく
ここで、前回の「のりしろ」が効いてきます。
考えが動いたかどうかは、最後の答えだけを見ても分かりません。最初に何を考えていたのかが残っていて、初めてその間に起きたことが見えてきます。
前の時間に書いたマンダラ・フレックス(Mandala-Flex)に言葉が一つ増えた。階層式マッピングの線が一本つなぎ直された。最初に書いた考えの横に、「でも」と別の考えが書き足された。
大切なのは、きれいに完成した一枚をつくることではありません。その子が何に出会い、どこで立ち止まり、何を考え直したのかが残ることです。
前の自分が残っているから、今の自分との間に起きたことが見えるのです。
◆ 英語を使う理由も、そこから生まれる
英語の授業なら、その変化を誰かに伝えようとしたとき、英語を使う理由が生まれます。
たとえば最初は、
I think living in the city is better because it is convenient.
と考えていた生徒が、友だちの話を聞き、資料を読み、質問される中で、自分にはなかった視点に出会ったとします。
そこで初めて、
At first, I thought …
But I didn’t think about …
After listening to …
Now I think …
といった表現が必要になります。
「今日は At first と Now を使って、自分の意見の変化を話しましょう」と教師が型を先に渡すから使うのではありません。自分の中で何かが動いた。そのことを誰かに伝えたくなった。だから、それを表す英語が必要になる。
言いたいことが先にあり、そのために言葉が必要になる。「言語活動を通して」を考えるとき、この順番を当たり前にすることが大事になります。
◆ 教師は、「心変わり」を設計できるのか
では教師は、「ここで子どもの考えを変えよう」と授業を設計すればよいのでしょうか。
そうなると、話は違ってきます。
「ここでAからBに考えを変えさせる」と教師が決めた瞬間、資料も発問も友達との交流も、Bへ連れていくための誘導になりかねません。子どもが自分で考え直しているように見えても、教師が用意した道を歩かされているだけなら、それは「心変わり」とは呼べないでしょう。
教師には、子どもの考えがどこへ向かうかまでは決められません。
しかし、今持っている考えだけでは簡単には通れない事実を用意することはできます。違う経験を持つ人と出会えるようにすることも、すぐには答えの出ない問いを置くこともできます。そして、何かに引っ掛かった子どもが、もう一度自分の考えに戻る時間を保障することもできます。
教師が設計できるのは、心変わりそのものではなく、その「手前」までです。
◆ 「ここで、この子は何と出会うのか」
ですから、単元計画、学習指導案を考えるとき、「ここでは何をさせるのか」と考える前に、次のような問いを持ってみたいのです。
「ここで、この子は何と出会うのか」
資料かもしれません。予想していなかった事実かもしれません。友達の考えかもしれません。自分がうまくできないという現実かもしれません。そして、ときには、前の時間に書き残しておいた自分自身かもしれません。
同じものに出会っても、考えを変えない子はいるでしょう。教師の予想とはまったく違うところに引っ掛かる子もいます。「分からなくなった」と言う子が出てくるかもしれません。
教師が決めるのは、子どもの考えの行き先ではありません。
昨日と今日の間に「のりしろ」をつくっておく。そこに前の自分が残っている。そして今日、何か、誰かと出会う。
そのとき、子どもの中で何が起こるのか。
教師が設計するのは「心変わり」ではなく、心変わりが起こるかもしれない「出会い」です。
それは「揺さぶり」とも言えるかもしれません。
授業の最後に見たいのは、全員が教師の期待した答えにたどり着いたかどうかではありません。「最初の自分」と「今の自分」の間に、その子なりの何が起きたのか。
その「間」にこそ、一人ひとりの学びが残るのではないでしょうか。
