第1回 「終わらない」のではない。教師自身が、“全部を同じ重さ”で抱えている
授業が苦しくなる本当の理由
「教科書が終わらない」
「ライティングの時間が取れない」
「パフォーマンス評価まで辿り着けない」
「Can-Doも帯活動も、やることがたくさんあって、どこからやればいいかわからない」
今、若い先生方から、こうした声を本当によく聞きます。
しかし、実は、問題は「量」なのではありません。もっと根本的な問題があります。
それは、
“全部を同じようにやろうとしている”ということです。
定期テストも、帯活動も、ICT活用も、スモールトークも、単語指導も、チャンク指導も、ライティングも、パフォーマンス評価も、全部を「きちんとやらなければ」と思ってしまうのです。だから、どれも丁寧に扱おうとします。
しかし、授業には、当然「時間の限界」があります。
すると、何が起きるでしょうか。
教師が説明して終わる。
ワークシートで確認して終わる。
“何か”を見ながら発表して終わる。
そんな授業です。
ふと気が付くと、
生徒が「英語を使う」前に、
授業が終わっています。
それが習慣になると、学習意欲だけでなく、
学力にも大きな影響を与えてしまいます。
「全部フォルテ」の授業は、苦しい
これは、音楽によく似ています。
もし、最初から最後まで、全部を”フォルテ”で演奏したら、どうなるでしょうか。
うるさいだけで、聴いている側は、疲れます。
逆に、全部が”ピアノ”では、眠くなります。
強弱、リズムがないと、音楽は心に残りません。
授業も同じです。
「ここは深く潜る」
「ここは軽く流す」
この“軽重”がないと、授業は単調になります。
やがて、授業を受けるのも、授業をするのも、苦しくなっていきます。
TANABU Model が示していたのは、「活動量」ではない
TANABU Model をご存知でしょうか。
これは、青森県立田名部高校の取り組みです。
教科書内容の消化ではなく、
「最終的にどんな学習者を育てたいか」から逆算し、
Project や言語活動、帯活動、Can-Do、パフォーマンス評価などを
一本につなげていく単元設計に特徴があります。
ある単元では、徹底的に時間をかける。
読む。話す。書く。やり取りする。
リテリングする。即興で返す。
「使える」ところまで持っていく。
しかし、別の単元では、どれかを軽く扱う。
飛ばすわけではありません。
ただ、フルコースにはしないのです。
ここを勘違いすると、思いつきの授業になり、
生徒に力がつかないまま、授業は崩れていきます。
TANABU Model が示しているのは、
決して新しい考え方ではありません。
むしろ、優れた教師たちが昔から当たり前のように行ってきた
「どこに時間をかけるかを見極める」
という授業設計の本質を、見える形にしたものです。
教科は違っても、
「授業名人」と言われた先達たちは皆、
どこで深く学ばせ、
どこを軽快に進めるのかを考えていました。
TANABU Model は、そうした実践知を言語化した一つのモデルに
過ぎません。
生活が多様化し、情報過多の現代、
先達の知恵である
「ものごとをシンプルに捉える」
ことが問われています。
力のある教師は、「指導計画」を同じ重さにしない
実際の授業を見てみましょう。
例えば、will と be going to。
多くの年間指導計画(教科書会社が作成)では、
同じ扱い(教科書のページ数に応じて)で計画が
立てられています。
しかし、力のある教師は、そこを均等に扱いません。
感覚としては、will は0.6、be going to は1.4の重さです。
なぜでしょうか。
will は、can や do/does など、中1の既習事項と
つなげる形(復習から入る)で導入すれば、
定着までそんなに時間がかからないからです。
一方、be going to は違います。
be動詞の理解、主語との一致、
さらに、この後の「不定詞」にもつながっていきます。
つまり、“後の学習に響く”のです。
ですから、当然、時間配分も変わります。
ここが、「授業を終わらせる教師」と、
「学習者を育てる教師」の差です。
本当に必要なのは、「軽重を付ける勇気」
全部をやろうとする。
全部を教えようとする。
しかし、
授業には”重心“が存在します。
どこで深く潜るのか。
どこで使えるようにするのか。
どこで統合するのか。
そこを決めなければ、
学習者の中に、“つながり”(必要感)は生まれません。
TANABU Model が示していたのは、
新しいやり方ではありません。
むしろ、
「一年間を俯瞰して、
どこに時間をかけるかを決める」
という、
授業設計の本質です。
今、本当に必要なのは、
自身の授業設計(やることが毎回決まっている)に
メスをいれる勇気を持つことではないでしょうか。
第二回の予告
では、
どこを重くし、
どこを軽くすればいいのでしょうか。
その判断は、
教師の経験や勘で決まるものではありません。
帯活動、Can-Do、パフォーマンス評価、定期テスト。
一見すると別々に見えるものが、
一本につながった時、
軽重は自然に見えてきます。
次回は、
「バラバラに見える授業を、どう一本につなぐのか」
について考えてみたいと思います。
