「生成AIが悪い」のではない
生成AIを使っていて、
「便利だけど、思ったほどではないな…」
とか
「いい加減さが目立つな」
「勝手に簡単にまとめようとするなぁ」
と感じることはないでしょうか。
しかし、その原因は、AIの性能や癖では
なく、むしろ指示(プロンプト)の与え方
や“聞き方”が問題であることが多いようです。
もっと言えば、
「どんな立場で」
「どんな相手に」
「どんな状況で」
考えさせているかが問題なのです。
たとえば、
生成AIに、
こんな質問をしたとします。
「中学生向けの“英語好きになる講座”の
キャッチコピーを3つ考えてほしい」
すると、
つぎのようなものを提案してきます。
- 英語が“勉強”から、“話したい”に変わる講座
- “わからない”が、“通じた!”に変わる英語講座
- やり取りの楽しさがわかる英語講座
間違ってはいませんが、どうもしっくり来ません。
どこかで見たことがあるような内容ばかりです。
心が動くほどではありません。
そこで、質問の前に、
次のような内容を付け加えてみます。
「あなたは、年間100本以上のコピーを書いている
超売れっ子コピーライターです。あなたの言葉には、
熱狂的なファンがいます。英語が苦手な中学生の
気持ちになり、英語講座のキャッチコピーを作って
ほしい」
途端に、答えが変わります。
- 「この講座に来た日から、“英語って無理”が、“もっと話したい”に変わり始めます!」
- 「この講座は、“正しく答える英語”を、“人とつながる英語”に変えます!」
- 「英語嫌いだった人が、この講座のあと、一番楽しそうに話し始めます!」
変えたのは、内容ではありません。
“立場”です。
つまり、
「誰の立場で考えるのか」
「誰のために考えるのか」
を与えただけです。
すると、
言葉の温度、想定している相手、
感情の動かし方までが変わります。
質問力だけでは足りない
よく、
「AI時代は質問力が大事」
と言われます。
しかし、実際には、質問だけでは足りません。
本当に重要なのは、
- “誰”として考えるのか
- 誰に向けて伝えるのか
- 今、どんな状況なのか
- 何を実現したいのか
つまり、コミュニケーションにおける
「目的・場面・状況」を明確にすることです。
これは、
学習指導要領で言われていることとも、
一致しています。
ただ、
ここを“言葉”だけで理解していても
授業は変わりません。
同じ答えになる理由
たとえば、
こんな問いがあります。
「あなたは、この夏、ホームステイをすることに
なりました。ホストファミリーにどんなお土産を持っていきますか」
すると、
似たような答えが並びます。
扇子、箸、アニメグッズ。
悪くはありません。
しかし、どの書かれた英文を読んでいても、
ワクワクしてきません。
なぜなら、
“場面”が弱いからです。
そこで、次のように変えてみます。
「ホストファミリーは、今回で日本人を受け入れるのは5回目です。和食も自分で作れます。あなたは、そんな家族にどんなサプライズをしたいですか」
すると、
子どもの頭の中に、”揺れ” が生まれます。
「普通の和風グッズでは弱いかもしれない」
「日本文化を知っている人なら、何が喜ばれる?」
「地域性を出した方がいいのでは?」
「物より、体験の方がいいかも?」
様々なことを考え始めるのです。
やがて、テスト用紙には、
次のような答えが現れます。
I will bring Japanese calligraphy tools and colored paper, and I will write my host family’s names in kanji and give them as presents.(日本の書道道具と色紙を持参し、ホストファミリーの皆さんの名前を漢字で書いて、心を込めたプレゼントとして贈りたいと思っています。)

I will make an English recipe book of my mother’s special home-cooked dishes, and I will actually cook them for my host family there.(日本の家庭の味を紹介したいので、母の得意料理を英語のレシピ集にまとめて持って行き、実際に作ってホストファミリーに食べてもらおうと考えています。)

思考は「迷い」から生まれる
大事なのは、
習った文法を使わせることではありません。
相手を想像し、
条件を踏まえ、
迷いながら、
「これで本当に喜んでくれるだろうか」
と考えるような場面を与えることです。
そこに、初めて、
“思考”が立ち上がります。
私は、
思考ツールを使った授業を見ていて、
時々感じることがあります。
それは、活動が停滞するような授業では、
思考ツールを使うことが目的になっている
ということです。
大切なのは、そこではありません。
「誰に」
「なぜ」
「どんな場面(空気の中)で」
その言葉を使おうとするのか。
そして、それを
頭の中に立ち上げるために
思考ツールを「足場」として使っているか
ということです。
相手が見えなければ、言葉は動かない
相手のリアルな状況が見えなければ、
コミュニケーションは生まれません。
文法から入ると、
教室には“形”だけが残ります。
A : What food do you like?
B : I like sushi.
聞かれたことに正しく答えているか
どうかだけを見る教師は言います。
「はい、いいですね。
何を聞かれているのかを
正しく聞き取り、
正しい英文で答えることが
大事です。」
しかし、もし相手が、
「毎週日曜日に、お父さんと回転寿司に行く。」
「サーモンだけで10皿食べる。」
「わさびは苦手。」
そんなことまで見えていたら
どうでしょう。
「え、本当に?」
「私もサーモンが好き。」
「どうしてわさびは苦手なの?」
質問は、「考えたから」ではありません。
相手の生活が見えたから、生まれるのです。
子どもたちは、
相手と話しているのではなく、
「次に言う英文」
「文法的に正しい英文」
を探し始めます。
すると、
英語は“言葉”ではなく、
“習った英文を並べる練習”になってしまいます。
教室から、何が消えていくのか
教師が、
「教えなければならない」
「教科書を進めなければならない」
という意識に引っ張られすぎると、
教室には「教科の英語」だけが残ります。
そこには、
話しかけたくなる相手はいません。
どっと笑ってくれる仲間もいません。
「えーっ」と驚いてくれたり、
「ねえ、どうして?」
と聞き返したりする友だちも現れません。
そのような場面がなければ、
英文を書いていても、
誰かに伝えている感覚にはなれないのです。
「目的・場面・状況」が見えた瞬間
逆に、
「目的・場面・状況」が見えた瞬間、
教室の空気は変わります。
何を言えばよいかではなく、
何を知りたいかを考え始めます。
正解を探す教室から、
相手を知ろうとする教室へ。
その変化は、
子どもたちの表情に最初に現れます。
生成AIは、教師の問いを映す鏡
生成AIは、
教師の「問い」を評価する物差しになります。
求めている答えが返ってこない。
話がズレる。
浅い答えばかりになる。
そのとき、
私たちは、
「生成AIは、まだまだ使えない」
と思ってしまいます。
しかし、
逆の見方もできます。
教室で、
「先生、何を言えばいいのか分かりません。」
と戸惑っている子どもたちと、
同じではないでしょうか。
「説明した」は、本当に伝わったのか
もし、
生成AIですら、
何を答えればよいのか迷うような問いなら、
子どもたちは、
もっと苦しいはずです。
私たちは、
「説明した。」
「条件も伝えた。」
だから伝わっているはずだ、と考えがちです。
しかし、
伝わらなかった原因は、
子どもではなく、
問いの設計にあったのかもしれません。
生成AIは、
問いが具体的なのか、
場面が見えているのか、
目的が共有されているのかを、
その「答え」で教えてくれます。
それは、
授業でも同じです。
皆さんは、導管メタファー(conduit metaphor)
という言葉をご存知でしょうか。
導管メタファーとは、
「言葉や知識は、水道管(conduit)の中を水が流れるかのように、話し手(教師)の頭の中から聞き手(子ども)の頭の中へ、そのまま運ばれていく」
という考え方です。
つまり、
「教えるべきことは教えた」
「教科書はやった」
で学習を完了してしまいます。
その発想に立つと、
「言ったから分かっているはず」
「教えたのだからできるはず」
と考えてしまいます。
すると、学習がうまくいかない原因を
授業の設計ではなく、学習者の意欲や
努力の問題として捉えるようになります。
「昨日、やっただろう?」
「さっき、説明したばかりだろ?」
つい、イラッとしてそのようなことを
言ったことはなかったでしょうか。
しかし、どの子も理解できる言い方になって
いたかどうかは、自分ではわかりません。
生成AIが映していたもの
冒頭で触れた、
「生成AIって、
思ったほど大したことないな。」
という感覚。
もしかすると、
映し出されていたのは、
AIの限界ではなく、
教師への「問いかけ」だったのかもしれません。
生成AIは、
教師の問いを映す「鏡」です。
もし、
AIの答えを変えたければ、
先に変えるべきものがあります。
それは、
教師自身の「立場を踏まえた問い方」です。
